第8話 配置された二人
モールは、
もう拡張しなかった。
壊れもしない。
完成していた。
広くも、
狭くもない。
必要な距離だけが、
正確に残されている。
俺と彼女の間、
三歩分。
近づこうとすると、
床が、
ほんのわずかに傾く。
離れようとすると、
照明が暗くなる。
誘導ではない。
強制でもない。
自然現象だ。
(……親切だな)
そんな感想が、
一番まずい。
彼女は、
もう出口を見ていなかった。
代わりに、
床を見ている。
タイルの継ぎ目。
傷。
色ムラ。
それらが、
規則的に並んでいることに、
気づいたのだろう。
「ここ……
私たち、
立つ場所、
決まってますよね」
「でしょうね」
否定は、
ノイズになる。
空中に、
文字が浮かぶ。
《協力を誓う者あり。
――役割は、すでに割り当てられている》
彼女は、
それを見て、
少し肩を落とした。
「裏切り、
書いてない」
「もう、
選択肢じゃないからでしょう」
裏切るには、
自由が要る。
この場所に、
それはない。
モールのスピーカーが、
初めて音を出した。
アナウンスではない。
確認音だ。
ピッ。
一回。
それだけ。
床が、
微かに振動する。
《異常な現象を解決した瞬間、
その現象はさらに
スケールアップして再発動する》
誰も、
何もしていない。
だが、
配置が完了した。
それが、
この世界にとっての
「解決」だった。
彼女が、
俺を見る。
「……私、
あなたのこと、
よく知らないですよね」
「ええ」
事実だ。
名前も、
過去も、
理由も。
知らないままで、
十分だった。
それなのに、
彼女は続けた。
「でも、
一緒にいるのは、
嫌じゃないです」
空中に、
文字が浮かびかけ――
途中で、
消えた。
予言が、
最後まで書かれない。
世界が、
迷っている。
俺は、
その隙に、
どうでもいいことを考えた。
(……このモール、
フードコート、
もう一軒くらい
あってもよかったな)
カレーとか。
うどんとか。
温度が、
選べるやつ。
《状況が最も絶望的なとき、
主人公は必ず
「的外れな美食」について考える》
彼女が、
苦笑する。
「今、
お腹のこと考えました?」
「まあ……」
否定しない。
否定は、
理性的な議論だ。
この世界では、
長持ちしない。
天井の照明が、
少しだけ明るくなる。
スポットライトのように、
俺たち二人を照らす。
観測対象として。
俺は、
はっきり理解した。
この場所は、
脱出ゲームじゃない。
実験でもない。
保存庫だ。
変化しない二人を、
午後三時のまま、
保管する。
彼女が、
静かに言った。
「……ねえ」
「はい」
「私たち、
もう進まないですよね」
俺は、
出口を見る。
近い。
触れられる。
だが、
使う意味がない。
「ええ」
「それって……
失敗ですか?」
「いいえ」
失敗には、
目的が必要だ。
ここには、
もうない。
床の振動が、
止まる。
空調の音が、
消える。
午後三時が、
完全に固定された。
《これは、誰も生き残る必要のない話である。》
俺と彼女は、
生き残る必要がない。
だから、
消える必要もなかった。
ただ、
ここに配置された。
午後三時は、
静かに、
完成していた。




