第7話 午後三時の再配置
午後三時は、
もう「時間」ではなかった。
配置だ。
光の角度、
影の長さ、
空調の温度。
すべてが、
同じ場所に戻される。
俺は、
立ち上がっていた。
いつ立ったのか、
覚えていない。
彼女も、
立っている。
出口の前だ。
自動ドアは、
相変わらず音を立てない。
ガラスの向こうに、
外が見える。
駐車場。
空。
動かない雲。
普通だ。
あまりにも、
普通すぎる。
(……出られるな)
そう思った瞬間、
空中に文字が浮かんだ。
《協力を誓う者あり。
――その選択は、後で反転する》
彼女が、
こちらを見ないまま言った。
「出ます?」
「どうぞ」
俺は、
譲った。
理由はない。
ただ、
先に出たい気分じゃなかった。
彼女が、
一歩踏み出す。
ドアは、
ちゃんと開いた。
光が、
床に落ちる。
彼女の足先が、
境界を越えた。
――その瞬間。
音が消えた。
完全な無音。
空調も、
遠くのアナウンスも、
血の音も。
世界が、
無言になる。
彼女は、
外に出ていない。
出た「こと」になっていない。
足は、
前にある。
体は、
中にある。
まるで、
位置情報だけが、
食い違っている。
彼女が、
振り返る。
「……出ました?」
「いいえ」
俺は、
正直に答えた。
彼女の口が、
わずかに歪む。
恐怖じゃない。
笑いでもない。
理解だ。
「ですよね」
無音のまま、
空中に、
別の文字が重なる。
《登場人物の理性的な議論は、
必ず物理的な「雑音」によって
かき消される》
だが、
雑音がない。
だから、
議論も成立しない。
成立しないものは、
壊れもしない。
世界は、
うまく逃げた。
彼女が、
足を戻す。
ドアは、
閉じる。
音は、
戻らない。
代わりに、
振動が来た。
床が、
わずかに揺れる。
モール全体が、
呼吸しているような、
鈍い上下。
《異常な現象を解決した瞬間、
その現象はさらに
スケールアップして再発動する》
誰も、
解決していない。
だが、
試みた。
それだけで、
十分だった。
天井の照明が、
一斉に点滅する。
店舗のシャッターが、
少しずつ、
下り始める。
閉店ではない。
固定だ。
棚が、
通路を塞ぐ。
ベンチが、
壁に寄る。
空間が、
座標として再配置されていく。
彼女が、
低く言った。
「……この場所、
私たち用に
なってません?」
「なってますね」
否定する理由が、
なかった。
(……腹、
減ってきたな)
考えてしまう。
さっきのスープ。
味は、
もう思い出せない。
だが、
温度だけは残っている。
《状況が最も絶望的なとき、
主人公は必ず
「的外れな美食」について考える》
彼女が、
少しだけ笑った。
「ラーメン、
好きなんですか」
「まあ……
普通に」
雑音がない。
だから、
声は届く。
だが、
意味は、
どこにも行かない。
モールの奥で、
何かが、
確定した音がした。
カチリ、と。
時間ではない。
構造が、
止まった音だ。
午後三時は、
もう戻らない。
だが、
進みもしない。
俺たちは、
出口の前に立っている。
出口は、
存在している。
ただし――
使われる予定がない。
《これは、誰も生き残る必要のない話である。》
午後三時は終わらない。
終わらないまま、
正しい位置に配置された。




