第1話 フードコートの午後三時
ショッピングモールという場所は、時間を溶かす。
外が晴れているのか雨なのかも分からない。季節すら、曖昧になる。
午後三時。
昼食にも夕食にも早すぎる、いちばん人が少ない時間帯だ。
俺はフードコートの端、観葉植物の影がかかる席に座っていた。
トレイの上には、冷めかけた天丼。味噌汁はもう手をつけていない。
(……衣、厚かったな)
どうでもいい感想が浮かぶ。
状況に似合わないと分かっているのに、止まらない。
向かいの席には、女が一人座っている。
三十代前半。買い物袋はない。仕事帰りでもなさそうだ。
彼女は、スマホを触りながら、時々こちらを見ている。
視線の角度と、呼吸の間。
――間違いない。
俺は、この女が今日ここで起こることの中心にいると知っていた。
理由は単純だ。
俺の能力が、そう告げている。
自分以外の人間にだけ、わずかな「先」が見える。
数分後か、数十分後か。
曖昧だが、外れたことはない。
そして今、彼女の未来は――
破綻している。
その破綻が、犯罪か、事故か、ただの人生の終わりかは分からない。
分かるのは、「ここで何かが起きる」ということだけだ。
女が立ち上がった。
その瞬間、視界の端に、文字が浮かび上がる。
《協力を誓う者あり。
――しかし、その手は必ず裏切りへと向かう》
空中に、薄く、消えかけの文字。
俺にしか見えない。
女は、俺のテーブルの前に立った。
「すみません。相席、いいですか?」
断る理由はなかった。
断ったところで、別の形で関わるだけだ。
「どうぞ」
女は座り、軽く会釈した。
「人、少ないですね」
「この時間は、こんなもんです」
会話は、正常だ。
雑音もない。BGMも、子どもの泣き声も、今は遠い。
彼女は俺の天丼を見た。
「それ、美味しいですか?」
「まあ……値段なりです」
沈黙。
この沈黙の先に、彼女が「助けて」と言う未来が見える。
あるいは、「ちょっとお願いが」と。
その瞬間、文字が再び浮かぶ。
《協力を誓う者あり。
――裏切りは、回避不能》
(分かってるよ)
俺は天丼を一口食べた。
衣が油を吸いすぎている。
(……次は、ざるそばにするべきだった)
女が口を開く。
「変なこと言うんですけど」
「はい」
「ここ、前にも来たことあります?」
「ありますよ。何度も」
「そうですよね」
彼女は、ほっとしたように笑った。
「私、ここで――
人を、待ってるんです」
来た。
分岐点だ。
この先、俺が関われば、彼女の未来は少しだけ変わる。
完全には救えない。
でも、結果は拡大する。
問題を解決すれば、より大きな問題になる。
それも、何度も経験してきた。
俺は、箸を置いた。
「その人、来ますか?」
「……来ません」
断定。
未来視と一致している。
「でも、来ないって決めたら、全部終わっちゃう気がして」
その瞬間、フードコートに雑音が流れ込んできた。
清掃機のモーター音。
子どもの叫び声。
アナウンスのハウリング。
彼女の次の言葉は、聞き取れなかった。
《理性的な議論は、雑音によって遮断される》
――そういう世界だ。
俺は、なぜか、味噌汁を飲んだ。
ぬるい。
(七味、入れすぎたな)
女は俺を見ている。
答えを求めている。
だが、俺はもう知っている。
ここで正しいことを言えば、
彼女の破綻は、より多くの人を巻き込む形で再発動する。
救わない。
解決しない。
俺は、立ち上がった。
「すみません。
そろそろ、帰らないと」
女は驚いた顔をした。
「え……?」
「天丼、冷める前に食べた方がいいですよ」
的外れだ。
分かっている。
でも、それしか言えなかった。
俺はトレイを返却口に置き、フードコートを出た。
背中に、視線を感じながら。
振り返らない。
出口のガラス越しに、文字が浮かぶ。
《これは、誰も生き残る必要のない話である。》
モールの外は、夕方の光だった。




