第3話:二日酔いと蕎麦といろは坂
目が覚めたのは、テントの中だった。
「……う……あ゛……」
頭がガンガンする。
まるで何かに殴られたような鈍痛が後頭部に張り付いて離れない。
酒が残ってる。というかもはや二日酔いの頂点。
「……弥右衛門、あれは……悪魔の酒だ……」
呪詛のように呟きながら、寝袋を這い出る。
そして朝の猪苗代湖を見て、すべてを許した。
波の音、澄んだ空気、遠くに見える磐梯山──
「この景色で酒が抜ける……わけねぇか……」
のろのろと食材を取り出し、朝食は昨日買っておいたパンと、ドリップコーヒー。
コンビニのパンだが、朝の湖畔で食えば、それはもうパンじゃなくてブレックファストである。
コーヒーの湯気が、まるで浄化の煙のように昇っていく。
「……生き返った」
実際はまだフラフラだが、気力が戻ったのでテントを撤収。
風がなくなったせいで設営時の戦争が嘘のようにスムーズ。
バックパックとクーラーボックスをZ900に積んで、いざ出発。
次の目的地は日光、いろは坂。
途中、“報徳庵”という蕎麦屋に立ち寄る。
旅先での蕎麦は、ほぼ“ご褒美”である。
「天ぷらそば一つ!」
出てきたのは、ざるに美しく並べられた蕎麦と、カラリと揚がった天ぷら盛り合わせ。
そばつゆにちょんと浸けて一口──
「……ッうめぇ……!」
胃袋にやさしく染み渡るそばの香りと、サクサクの天ぷら。
マジで胃がリセットされていく感じ。昨夜の馬刺しと弥右衛門が昇天していく。
帰り道に蕎麦屋を入れておいた数時間前の自分に拍手したい。
食後のコーヒーも済ませて、さあ本日のハイライト──
いろは坂。
Z900が山のカーブに唸りを上げて突入する。
ギアを落とし、タイトなカーブをリズムよく抜ける。
「い」「ろ」「は」と名付けられたカーブを、ひとつずつクリアしていく。
「ふはっ……楽しい……!」
ところが。
後ろからバイクの爆音。
ミラーを覗くと、赤いネイキッド。軽量そうな車体が、コーナーを斬り裂くように迫ってくる。
そして──
ヒュッ!
こっちがアクセルを開けてるにもかかわらず、まるでスラロームのようにスムーズに追い抜かれる。
「ッ……このやろっ……!」
闘志に火がついた。
バイク乗りの性である。
こっちも回転数を上げ、Z900のトルクでグイグイと追撃する。
だが、赤いバイクは速い。
速いだけじゃない、カーブでのブレーキングと立ち上がりが異常にうまい。
「ちょっと待て、あれ……プロか!?」
本気で追いかけているのに、どんどん点になっていく。
数分後、俺のZ900は観光客のワゴン車の後ろに詰まって終戦を迎えた。
心の中で静かに、フル装備の赤いネイキッドに敬礼する。
「……参りました」
峠を下りきると、夕方の光が差していた。
土産屋で**漬物と蕎麦と、なぜか買わされた“日光限定プリン”**を積み込み、帰路につく。
Z900のエンジン音が、すでに旅の終わりを告げているようだった。
帰宅すると、アパートの前でヘルメットを脱いで、しばし放心。
焼肉の匂いも、日本酒の余韻も、星空も──
全部、夢だったんじゃないかって思うほど、現実が無臭だ。
でも、Z900のエンジンが静かに冷えていく音だけが、確かに言ってくれていた。
「また行こうぜ」
──完──
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