【第三話】「高ボッチの風と、あのZRX」
雲海を背に、テントを撤収し終えた朝8時過ぎ。
まだキャンパーたちの多くはテントの中でまどろんでいるようだったが、俺は一足早く出発する。陣馬形山の朝はとにかく気温が低く、寝袋から出るのに気合が要った。けれど、それもこれも全部含めて“この旅”の旨味だ。
目的地は、松本市にある高ボッチ高原。昨日の駒ヶ根で出会い、少しだけ話した青年――ZRXに乗っていた彼の目的地だった。別に深い縁があるわけじゃない。けど、ほんの少し言葉を交わしただけで、どこか「分かる」と思えた旅人の後を追ってみたくなった。
下道で北上すること約2時間。途中、伊那市の古びた商店街で開かれていた朝市に寄る。年配の女性たちが切り盛りする小さな露店で、俺は手作りの五平餅を1本買った。
「旅の途中かい?」
「ええ、群馬からです」
「おお、また遠くから! まあ、今日は晴れてるし、景色きれいだよ」
にこやかに笑うおばあちゃん。人の温かさが身に沁みる。
---
塩尻の山道に差し掛かると、道路はくねくねと蛇行し、標高を上げていく。
高ボッチ高原の道は、舗装こそされているものの細く、車が来たらすれ違いに気を遣うタイプの山道だった。
「こりゃあ……気合入れて登らないと」
ギアを落とし、慎重に登っていく。
ふと、前方にZRXらしきバイクが停まっているのが見えた。
「……まさか?」
エンジンを切って近づいてみると、やっぱりあの青年だった。
バイクの横で座り込み、地図を広げている。スマホは手にしていない。
「どうしたんですか?」
「うわっ……あ、あなたは昨日の!」
「伊勢崎から来たヤツです。安中って言ってましたよね」
「そうそう! えっ、こんなところでまた会うとか、運命ですか?」
青年――名前は笹本直也といった。26歳。初めての本格的ソロキャンプで、地図を見ながら不安げにルートを確認していたらしい。
「スマホ、圏外です」
「俺も昨日、陣馬形山で圏外に泣かされましたよ」
「仲間っすね……」
彼は道を見失ったわけじゃなかった。ただ、どこで停まって写真を撮ろうか迷っていただけだという。
「ちょうどよかった。ここからもう少し上がると開けた草原に出るらしいですよ。景色、相当いいらしいです」
「じゃあ、一緒に行きますか?」
「ええ、せっかくですし」
---
高ボッチの展望台に着いたのは昼前だった。眼下には諏訪湖、正面には雄大な富士山。遮るもののないパノラマ。直也はすかさずスマホを取り出し、夢中で写真を撮り始めた。
「……こりゃすげぇ」
俺は黙って景色を見つめていた。何度でも見られる。風が吹くたびに雲の形が変わり、光が差す場所が変わる。生きている風景だった。
「陣馬形山も良かったですけど、ここもヤバいですね」
「ですね。でも……ちょっと寒い」
「寒いのはどこも一緒ですね、山は」
お互い笑いながら、俺はバックパックから残っていたパンとソーセージを取り出し、直也はポケットからコンビニのおにぎりを出した。
「……旅って、こういうのでいいんですよね」
「豪華じゃなくていいんですよ」
「ええ。景色がごちそうです」
しばらく、無言で食べた。
---
午後2時。俺はここで折り返し、帰路につくことにした。直也はもう一泊すると言っていた。
「またどこかで会うかもしれませんね」
「ですね。山か、海か。どっちかですね」
固い握手とかは交わさない。ただ、少し笑って別れる。それが旅人の礼儀みたいなもんだろう。
帰り道、安曇野の農道を流していると、前を走っていた原付が道端に寄って停まった。若い男が、焦った様子でメットを外す。
「どうしたんですか?」
「……すみません、チェーン外れたっぽいんです」
俺はZ900を停め、手持ちの工具を出して対応。
以前、似たようなトラブルで見知らぬ人に助けられた経験があったからこそ、手を貸すのにためらいはなかった。
---
夕方には松本を抜け、諏訪湖の東側を通って長野原方面へ。
山の陰に沈みゆく夕日がミラー越しに揺れていた。
「……やっぱ、旅は面白いな」
今回、読んでいただきありがとうございます。「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、評価をよろしくお願いします!




