【第二話】「強風とアヒージョと、男たちの距離感」
雲が流れる空の下、なんとか設営したテントの前で俺は椅子に沈み、缶ビールを開けた。
ぷしゅっ。
「……効くなあ」
喉を潤すというより、魂に直接沁み込むような一口目だった。標高1,400メートルを超えるこの陣馬形山キャンプ場は、風が強く、時折吹き上がる突風に煽られながらも、なんとか俺はテントを張り終えた。あのまま風に負けてたら、設営完了する前に心が折れてたかもしれない。
周囲を見渡すと、点在するテントのうちのひとつに、同じようにソロキャンらしきライダーがいた。黒い革ジャンに、スキンヘッドが映える男。彼もビールを片手に、景色を眺めていた。
すると、彼のほうからゆっくり歩いてきた。
「お疲れさまです」
「ああ、どーも。風、強いですね」
「いやぁ、マジでテント飛ぶかと思いましたよ。俺、一回張ったやつ、見事に空飛びましたから」
そう言って笑った男は、年の頃は俺とそう変わらない三十代後半といったところか。
「ツーリングですか?」
「ええ、伊勢崎から。全部下道で来ました」
「それはまた……マゾですね」
「はは、よく言われます」
彼の名前は倉橋さんといった。千曲市出身で、今日は有給を使ってこの景色を見に来たらしい。
「いや、でもわかるなあ。この景色はズルいっすもんね」
俺たちの目の前には、南アルプスから伊那谷までが一望できる絶景が広がっていた。夕日が少しずつ落ち、山々に長い影を落としながら、眼下の町がオレンジに染まっていく。
「夜景、すごいらしいですよ」
「ああ、それも見たくてここに来たようなもんです」
---
夜になり、肉を焼いたあとのスキレットでアヒージョを作った。ニンニクとオリーブオイル、ぶつ切りのエリンギとベーコン、そして家から持ってきた冷凍むきエビ。
ぐつぐつとスキレットが唸る音と、漂う香ばしい匂い。
「それ、うまそうっすね……」
倉橋さんがチラッと見てくる。俺はアヒージョをつまみながら、パンをちぎっては浸し、ビールで流し込んだ。
「ちょっと多いんで、どうですか?」
「え、マジで? じゃあ遠慮なく!」
男二人、焚き火を囲んでアヒージョをつまみながら、ライダーらしい雑談をする。装備の話、好きな峠、くだらないオートバイの失敗談――。
でも、必要以上に深入りしない。夜が深くなってくると、自然とお互いの声も少なくなった。
---
午後10時。
気温はグッと下がり、焚き火がないと厳しいくらいに寒くなった。テントに入り、寝袋にくるまりながら、耳を澄ます。
風の音が、テントの外をさわさわと滑っていく。人の気配もするけれど、誰も干渉してこない静寂が、たまらなく心地よい。
「……さて、明日は早起きして雲海を見るか」
つぶやいて、目を閉じた。
---
翌朝――。
「……っ!」
テントを開けると、そこには夢のような風景が広がっていた。
眼下には、うねるような雲の海。朝日が雲を柔らかく照らし、白と金色が溶け合う。風も昨日ほどではなく、ひんやりした空気が心地よい。
「……来てよかった」
テーブルの上に昨夜の残りのパンと、保温ボトルに入れておいたコーヒー。どこよりも贅沢な朝食だった。
少し離れた倉橋さんのテントも開いていた。
「あれ、もう起きてたんすね」
「ええ。見逃したくなかったんで」
お互いに手を振り、短く会釈を交わす。言葉はいらなかった。
---
今日はここから木曽方面へ抜けて、さらに北上する予定だった。けれど、ちょっと寄り道したくなった。
昨日の行きがけ、駒ヶ根の交差点で少し話したあのZRXの青年――「安中から来た」と言っていた彼が向かっていた高ボッチ高原。
距離的に無理じゃない。あそこから見る松本の街も、夜景が綺麗らしい。
――行ってみるか。
風がまた吹いた。だが、もう怖くはない。むしろこの風こそが、旅の味だ。
次回、【第三話】「高ボッチの風と、あのZRX」。
今回、読んでいただきありがとうございます。「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、評価をよろしくお願いします!




