フィクション 妙高高原編 第六話「関温泉の夜と、白い影」
関温泉には、夕暮れ直前に到着した。
木造三階建ての、年季の入った旅館。看板は少し色褪せていたが、ロビーのストーブの匂いが妙に懐かしい。
「お一人様? 今日は空いてますよ。登山の方、今朝出ちゃったから」
女将は朗らかで、部屋まで案内してくれた。
布団は既に敷かれ、窓からはまだ雪の残る山肌が見える。4月とは思えない寒さだった。
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ひとまず風呂へ。
この関温泉、妙高山の山腹から湧く茶色い湯で、鉄の匂いがする。
湯船に入った瞬間、足先からジワジワと温かさが広がっていく。
「……これが、しみるってやつか」
誰もいない湯船で、独り言をこぼす。
曇ったガラス越しに、外の杉林が揺れていた。
ふと、風呂の隅に誰かの影が映った。
振り返るが、誰もいない。風のせいか……いや、何かが残っている気がする。
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夕食は、小さな食堂で取った。
山菜の天ぷら、鱒の塩焼き、地元のどぶろく。全部うまい。
とくに、ウドとこごみの香りは、バイク疲れの身体に沁みた。
食事中、話しかけてきたのは、隣に座った背の高い中年男性。
アークテリクスで固めた登山ガチ勢風。
「妙高山は霊の山なんだよ。知ってる?」
「……は?」
「いや、本当に。昭和の終わりまでは“女人禁制”だった時期もある。オカルトじゃなくて、民俗学的にガチな話」
「はぁ……」
「昔、あの山で行者が消えたことがあってさ。その日、温泉街で狐火が走ったって」
話は止まらない。こっちはもう、どぶろくでいい気分なのに。
彼の名前は“山崎さん”。今日も単独で妙高を登ってきたらしい。なんという猛者。
「あとさ、夜中に階段の下、気をつけたほうがいいよ。白いやつ、出るから」
最後に言い残し、部屋へ戻って行った。
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その夜、トイレに起きたのは午前2時半。
廊下は冷え込み、木造の床がきしむ。
トイレを終え、ふと階段の方を見たとき――
見た。
白い影が、階段の下からこちらを見上げていた。
人の形だけど、顔がわからない。
ただ、確かに「見ている」という気配。
一歩、近づいたように見えた。
咄嗟に部屋へ駆け戻り、布団を頭までかぶった。
朝まで、眠れなかった。
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翌朝。チェックアウト時、女将に聞いてみた。
「ここの旅館、昔何か……ありました?」
「ああ、まぁ、いろいろねぇ……。でも今は、大丈夫よ」
そう言って、苦笑いを浮かべた。
帰り際、玄関で山崎さんと再会。
「見た?」
「……はい」
「俺は昨日の夜、廊下で“狐面の女”に首をかしげられた。ははっ、まあ山の冗談だよな」
本当に冗談だったのかは、今でもわからない。
Z900にまたがり、関温泉をあとにする。
山の上には、まだ雲が低く垂れ込めていた。
妙高の山は、春でも眠ってはいない。
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