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豆知識にかかわる見解について

忠臣蔵の吉良家はなぜ高家筆頭?(後偏) - 日本一の家柄であるはずの吉良家ってなぜ歴史的な活躍はしなかったの?

作者: ふみた

続きです。

(・v・;)

後に将軍家となる足利の

特別な分家ってことに

なってしまった吉良家の


その後の活躍(?)です。

('ω')


なお前半はこちら

https://ncode.syosetu.com/n0235jv/

 (前偏のあらすじ)


 なんやかんやあって、

 吉良家できました。

 ('ω')↓


https://ncode.syosetu.com/n0235jv/




 というわけで後編開始です。

 (;´∀`)


 鎌倉時代前期、、

 北条の介入により足利家の

 家督は次男の泰氏が継承。


 追い出される形となった

 長男の長氏は独立して

 吉良家の初代になりました。

 (。・ω・。)



 一方で足利の当主になった

 足利泰氏。


 彼もやがて息子に跡を譲る

 お年頃になります。

 ('ω')


 泰氏には息子が五人いました。


 本当はその長男の家氏が跡を

 継ぐはずだったのですが…



 また北条が反対しました。

 ( ゜N゜)


 なぜなら泰氏は北条家から

 後妻を迎えてたから。


 長男の家氏は先妻の子だから

 北条の血が流れてない。


 だから北条出の後妻が産んだ

 三男の頼氏が推されました。



 それで…デジャブです。

 (;´∀`)


 頼氏(さんなん)が跡取りになりましたが、

 家氏(ちょうなん)がゴネたから足利には

 また同格の分家ができます。


 それが…斯波家です。

 ( ゜N゜)


 超有名です。

 室町初期は奥州全てを任され、

 応仁の乱のキーマンとなり、

 後期には織田や朝倉の主君でも

 あった、あの斯波様です。


 とにかくそれで足利本家と、

 吉良と斯波は同格ってことで

 [足利御三家]とされたんです。



 では他の兄弟たちは??


 次男は渋川氏、五男は一色氏の

 初代になります。(・ω・)


 そして四男の足利国氏は…



 北条の手引で吉良家の養子に

 されました。(゜∀゜)


 なぜなら国氏は北条出身である

 後妻が産んだ子だから。


 それを使って吉良家を乗っ取る

 算段だったのですが…



 吉良家の初代当主になっていた

 吉良(足利)長氏が上手(うわて)でした。

 (;´∀`)



 自分がされたのと同じ方法で、

 吉良と同格の分家を作って、

 後継を出す特権もつけて、、


 国氏を追い出しました。(^ー^)ノ


 そうしてできた吉良と同格…

 ひいては足利と同格の分家が、


 今川家です。('ω')

 これ知らん人おらんでしょ。



「御所が絶えれば吉良が継ぎ、

 吉良が絶えれば今川が継ぐ。」


 と、謳われたのはそういう

 経緯があってのことです。



 こうしてとにかく、、

 足利には特異も普通も含めて

 多くの分家ができました。


 その後しばらくは波乱もなく

 平和だったのですが…



 日本全土を揺るがす大事件が

 起きちゃいました。。


 元寇です。( ゜C゜;)ノ

 ジンジン ジンギスカンです。


 これ詳細を書いたらまたまた

 長くなるから割愛しますが

 とにかくも蒙古に襲われて…

 (ーvー;)



 日本武士全体が貧乏になって、

 北条の権威は地に落ちます。。

 \(゜ロ\)(/ロ゜)/


 それで全国で鎌倉幕府に対する

 謀反や反乱が起きたんです。。

 (・n・;)



 ではこれを北条はどうやって

 取り締まったのでしょう??


 その対策の一つが…連座制。


 反乱を起こした本人だけでなく

 その親族や友人までまとめて

 処罰するってやり方です。。



 一定の効果はありましたが、

 反乱はなくなりません。


 それどころか無関係の人まで

 処罰してたので北条に対する

 恨みが増えたんです。。



 そんな鎌倉後期に起きたのが

 霜月騒動って反乱です。('ω')


 けっこう大規模な反乱でした。

 謀反人は処罰されました。


 なお吉良家にはあまり関係ない

 騒動だったはずなのですが

 なぜか巻き込まれてしまって…



 当時の吉良家の当主だった

 吉良満氏が死去。

 (殺害されたかは不明)


 満氏の長男の貞氏も死去。

 (殺害されたらしい)


 という重大事になります。

 ( ;゜Д゜;)



 それで若くして吉良家を

 継いだのが、満氏の次男で

 貞氏の弟である吉良貞義。

 (´;ω;`)


 父と兄を同時に亡くした

 ことで貞義は幕府を…


 北条を恨むようになります。



 そしてそれから48年後の

 1333年。(・n・;)


 京の後醍醐天皇が鎌倉幕府

 を倒すべく蜂起します。


 それで足利高氏(尊氏)が

 鎌倉幕府の大将として、

 後醍醐天皇とその味方の

 楠木正成らを討伐するため

 京に遣わされます。


 その途中で三河(愛知県)の

 吉良家に寄るのですが…



 応対したのはあの件の…

 吉良貞義。(´゜д゜`)



 半世紀前の恨みを晴らすべく

 貞義はなんとなんと高氏に…


 北条を…鎌倉幕府を裏切ろう

 と勧めたんです。( ゜C゜;)



 当時の吉良貞義は足利一族の

 長老格ともいえる存在、、


 それで幕府への不満もあった

 足利高氏はなんとなんと、、



 裏切りに賛同。(゜∀゜)

 幕府の実質No.2が寝返り、、


 これを機になんやかんやで

 鎌倉幕府は滅びました。。


 (/・ω・)/ハナシガザツ…



 こうして後醍醐天皇による

 建武の新政が始まります。


 足利尊氏は大功労者。


 それゆえ最初は後醍醐天皇に

 大事にされていましたが…


 やがて敵対してしまいます。

 (/・ω・)/



 こうして尊氏は後醍醐天皇と

 これに味方する新田義貞、

 楠木正成らと戦うことに…

 (/・ω・)/


 一門の分家を束ねて奮戦した

 尊氏優勢だったのですが、、



 実はこの戦いに吉良家は直接

 参戦してませんでした。

 ?(・n・;)?


 というのも足利尊氏にすれば、

 理由はどうあれ主君である

 北条家への裏切りを進言した

 吉良貞義は信用できない、、


 一度裏切ったヤツは何度でも

 裏切るかもしれない。

 (=゜ω゜)ノオマエガソレ言ウ?


 だから傍に置きたくなかった。

 ということらしいです。。



 ではそんな吉良家が任された

 役割は何かというと…


 北畠軍の監視です。(・∀・)


 北畠は奥州拠点の大勢力。

 これに急襲されては一大事。


 だから尊氏は吉良に北畠の

 動きを報告することと…


 もし攻めてきたら足止めを

 するよう命じてました。


 けど…



 北畠の強さは半端ねぇ、、

 ( /゜Д゜)/


 吉良はほぼ無抵抗のまま

 蹴散らされたそうです。。

 (。-∀-)


 それで尊氏の本隊も北畠の

 襲撃をまともに受けて…


 ボロ負け。ヽ(;▽;)ノ


 一族郎党を連れて九州まで

 落ち延びたそうです。。



 ちなみにその一族郎党に…

 吉良は含まれませんでした。

 (・n・;)


 本隊からはぐれたのか

 見捨てられたのかは不明。


 ただ…含まれませんでした。

 (;´∀`)


 吉良荘に逃げ帰って大人しく

 していたそうです。。



 そんな情けない吉良に比べて

 凄かったのが足利尊氏。

 ٩( 'v')و


 逃げ延びた先の九州で味方を

 集めるとなんとなんと、、


 京に向かって再進撃!

 (;・∀・)


 後醍醐天皇らを追い出し、

 そのまま征夷大将軍になって

 室町幕府を開いちゃいます。

 (((o(*゜▽゜*)o)))



 ただ…新生幕府には課題も

 あったんです。

 (・n・;)


 それは直臣が少ないこと。


 だって再進撃に従ったのは

 九州四国などから集めた

 いわば寄せ集めの兵卒。。


 各地の国主大名を任せられる

 人材が足りなかったんです。。



 それで尊氏は一族の分家に

 すごく広い範囲の管理を

 任せることにしました。。

 ('ω')


 現代風に言えば…


 尊氏の母の生家である

 上杉には関東のほぼ全域。

 ( ゜Д゜)

 足利本家と同格である

 斯波には東北地方ほぼ全部。

 ( ゜c゜)

 足利と同格の吉良と同格の

 今川には静岡県の大半。

 (゜∀゜)

 他にも細川とか土岐とかも

 どえりゃあ領地を貰って、、

 (@_@;)


 もんのすごい…(・C・;)

 超絶大盤振る舞いです。。



 なおこれを機に足利本家と

 同格だった斯波家と今川家は

 正式に臣下になりました。

 (;・∀・)


 そりゃそんなモンもろたら

 誰でも頭を下げますわ、


 それで足利一門はみんな

 大大名!と思いきや…



 吉良家には加増なし。

 (・N・;)


 だって今回の戦で何も手柄を

 立ててない、、

 どころか大失態ですから。


 褒美がなかったんです。。

 (´ーωー`)


 足利一門で一番格式の高い

 吉良家だけが大名に出世

 できなかったんです。



 それで意固地になったのか

 吉良は幕府に反抗的に…

 (;´∀`)


 尊氏と反目した弟の直義や

 後醍醐天皇側やらに付いては

 中途半端に逆らいました。。


 さらに将軍である足利家にも

 臣下の礼をとることなく、

 同格を主張し続けたんです。


 それで足利家も家臣ではない

 吉良に褒美を与える義理も、

 処罰する権限もないって

 ことになっちゃって…

 (;´∀`)



 吉良家はそのまま細々と、、

 (;´v`)

 戦国時代にも大した活躍の

 機会もないままでした。



 けど戦国後期に御近所の

 徳川ってのが武田と組んで

 今川を滅ぼして…


 三河どころか一気に遠江に

 勢力を伸ばしてしまうと…


 

 御近所のよしみで徳川の

 客将って立場に……^_^



 さらに流浪の身となった

 今川氏真が徳川家を頼って

 くると今川と同等以上の

 立場ってことになって、、、

 

 それで徳川が江戸将軍家に

 なるとそれなりに古参で

 同格っぽい立場ってか、、


 みたいになったとかでまぁ

 悪くは扱われなくて、、



 江戸時代を、、


 忠臣蔵の舞台を迎えた。。

 ってわけです。(。-v-)


 吉良にとっては迷惑千万で

 しかなかったのですが、、、



 けど…それも悪くはなかった

 のかもしれません。^_^


 大大名だった一族がみんな

 滅んだり没落したのに対して

 吉良家は始まりの鎌倉時代から

 最期の江戸時代までほぼ…



 現状維持でしたから。

 ('ω')



 目立たなかったから…

 滅びなったから最終的に…


 足利家と同格の立場を貫き、

 本来は元将軍家が務めるべき

 大役を得たんですから。


 結果として一時とはいえ…



 吉良は日本で一番高い家柄と

 認められたんですからね。

 (;´v`)


 まぁ…その最後はあまりにも

 お気の毒でしたけど、、、



細々とやっていたらなぜか

日本一の家柄になって、

なぜか悪役として滅んで

しまった吉良家って…


とりとめもなく纏めたら

だいたいこんなところって

お話でした。(;´∀`)


なお前編はこちら

https://ncode.syosetu.com/n0235jv/


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― 新着の感想 ―
前編も拝読しました。吉良家の歴史について、とても勉強になりました。 楽しく、興味深くまとめてくださって、大感謝です!
前後編、読ませていただきました。 あの辺の足利分家の構図って、わかりにくいですよねぇ(^^; 戦国時代には詳しいって人でも、その辺りがよく把握できてない人って、意外に多い気がする。 わかりやすくま…
「どーもー家格は高くても貧乏でお気楽な喜連川でーすw」 松の廊下事件は結構なぞが多いんです。浅野のトノさま勅使饗応役 2回目なんで解らんとか吉良に金積むのどーとか動機が不明なんです。 むしろ吉良の…
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