第35話 大魔術師ヨシノ
ターゲブーホ都市の湖の底で拾った師匠の本は日記でした。
遠い遠い国の言葉で綴られた、後悔ばかりの日記でした。
師匠は親友の花の微笑みであるソメイと共に、ヒメル大陸をめぐって十年以上悪魔王と戦っていたそうです。
ある時には直接会敵し、ある時には手下の悪魔たちの侵攻を食い止め、ある時には悪魔王が齎した災害を防ぎ、ある時には悪魔王によって暴走したダンジョンを封印し。
怨念と腐食の女神を顕現させるために暗躍していた悪魔王と戦い、その知恵と勇気と魔法で多くの人々や精霊、妖精たちの命を救ってきたそうです。
けれど、救えなかった命も多くあった。
決して知恵や勇気がなかったわけではありません。
ただ、魔法が足りなかった。自分の、いえ人類の魔法の才では悪魔王と戦うには不十分だったのです。
だから、師匠は魔術を創った。人の身では起こせない奇蹟を起こすために、多くの人々が生まれながらの才能ではなく知恵と勇気で未来を切り開くために。
その過程でシオリと仲たがいしながらも、師匠は徐々に悪魔王を追い詰めました。
そして四十年以上前の決戦で、ついにはその心臓に魔力の弾丸を貫かんとした。
けれど、同時に、悪魔王にそそのかされた人間が親友のソメイを襲い、ソメイもソメイを庇おうとした師匠も深手を負ってしまった。
そして己の命と引き換えに悪魔王は怨念と腐食の女神から授かった寵愛を世界に放ったのです。
そう、この世界に存在する万物を腐らせる『赤黒い吐息の魔法』を。
怨念と腐食の女神の亡骸が燃え尽き、嘆きと不変の女神が消えたことで不自然で邪悪な光は消え、世界は優しい夜に包まれました。
そして私の〝魔弾〟が流れ星のように輝きます。
「っ!? 〝我が言の葉は世界に通ずる〟・〝魔の光よ。聳えて守れ――魔盾〟っ!?」
流石は師匠でした。
私の〝魔弾〟に大きく動揺しながらも、一昔前の魔術陣と詠唱によって生み出した〝魔盾〟で防ぎました。
そして驚きの表情を私に向けます。
「今のは……」
「基礎攻撃魔術ですよ。〝斉唱〟・〝魔の光よ。翔りて穿て――魔弾〟」
「〝我が言の葉は世界に通ずる〟・〝言葉よ残れ〟・〝魔の光よ。聳えて守れ――魔盾〟ッ!!」
百の〝魔弾〟を放てば、師匠は再び一昔前の魔術陣と詠唱によって百の〝魔盾〟を展開して、全て防ぎます。
けれど、師匠の顔は苦悶に満ちていました。
「……その魔術は確かに私のだ。けれど、私はその魔術を知らない」
「ええ、そうでしょう。なにせ、私が改良した魔術です」
「お前がか……?」
「はい。私は天才ですので」
いつぞや、師匠に言われました。私は一を十、いえ一を百にする天才だと。
実際、師匠と共に過ごした三十年間で、私は師匠が生み出した理論や魔術を大きく発展させました。
それは師匠にすらできなかったことです。それに対して強い自負があります。
とはいえ、零から一を生み出すことに関してはてんで駄目で、その点では大天才の師匠に逆立ちしても敵わないでしょうけれど。
「……天才、か。なら、お前はどうやって魔術で……いや、もう私にはどうでもいいことだ。もう、関係ない」
内心苦笑していますと、師匠が懇願するように口を開き、けれど直ぐに首を横に振っていくつもの魔術陣を展開しました。
私も魔術陣をいくつも展開します。
しかし、詠唱はしません。
魔術陣を展開しては消し、また新たに展開するという行為を繰り返します。十秒も経つと、一秒間に展開されては消える魔術陣の数は優に千を超えました。
魔術陣の展開と消去を繰り返しながら、師匠はボソリと呟きました。
「……私の手の内を知っている?」
「ええ。稽古試合の時、その厭らしい欺瞞術式で何度もだまくらかされましたからね。忘れるわけもありません」
魔術師同士であれば、展開された魔術陣を見れば相手が発動しようとしている魔術が理解できてしまいます。
だから偽物の魔術陣を同時に展開して、本命の魔術陣を隠すのです。
この読み合いこそが、魔術師同士の戦いにおける真骨頂でもあります。
そしてこの読み合いを制するには、基本的に相手よりも多くの魔術を知っていなければなりません。
だからこそ、師匠は理解したのでしょう。
「どうしてだっ!? さっきも、その前も。私はお前の魔術陣を読めなかったっ。お前はそれに気が付いていたはずだっ。なのに、どうして私を終わらせないっ!」
早く自分を不死の呪縛から解放してくれと、そう希うように師匠はその凛々しい顔を歪ませ、怒りを露わにしました。
けれど、その表情は認めたくない何かから逃げるようなものでもありました。
だから私は師匠に対して全力の信頼を込めて、万を超える魔術陣を展開します。
私が知っている全ての魔術陣を師匠に突きつけるのです。
「師匠。私は魔術師です」
「そんなことはどうでも――」
「どうでもよくありません!」
だって、私は大魔術師ヨシノから魔術を教えていただいたのです。
他の誰でもない、自分が最も魔術を愛していると声高らかに宣言した師匠の弟子であることが、私の誇りなのです。
だからこそ、師匠であっても師匠を否定させません。
「魔術は空の果てを超えたのです! 〝大地の楔よ。我を解き放て――浮遊〟、〝風の衣よ。自由の翼を与え給え――飛翔〟っ」
「っ、待て! 〝我が言の葉は世界に通ずる〟・〝大地の楔よ。我を解き放て――浮遊〟、〝風の衣よ。自由の翼を与え給え――飛翔〟!」
私が飛行魔術で上へ上へと飛べば、師匠がそれを追いかけてきます。
「〝我が言の葉は世界に通ずる〟・〝言葉よ残れ〟・〝魔の光よ。翔りて穿て――魔弾〟っ!」
「〝斉唱〟・〝魔の光よ。翔りて穿て――魔弾〟!」
師匠が放った〝魔弾〟の全てを、〝魔弾〟で撃ち落とします。
「〝斉唱〟・〝爆ぜる火花に弾ける風よ――爆風〟!」
「〝我が言の葉は世界に通ずる〟・〝魔の光よ。聳えて守れ――魔盾〟っ!」
小さな爆発を師匠の周囲にいくつも放てば、師匠は自身を中心に球状に展開された〝魔盾〟で防ぎます。
「私を早く終わらせろ!」
「できない相談ですよっ」
そして魔力の弾丸はもちろん、風の刃、火の鳥、一条の雷、氷の息吹など。空高く飛び上がりながら、私たちはあらゆる魔術の応酬を繰り広げます。
「〝我が言の葉は――いや、〝言の葉〟・〝復唱〟・〝目に焼き付けろ、その刹那の輝き――閃光〟!」
「っ! 流石は師匠ですっ! 〝魔は万物の根源となりて、炎の奔流に蠢け――奔炎〟」
そうしてしばらくすると、師匠の魔術に変化が現れました。詠唱が短くなりました。魔術陣が洗練され、かつより複雑になりました。
一秒、一分。時間を重ねるごとにその変化は如実に現れ。
「なるほど。同一の魔術陣を重ねることで威力を上げるのかっ!! なら、〝高唱〟・〝暴れ狂いて吹き堕ちよ――颶瀑〟!」
「くっ。〝魔の光よ。聳えて守れ――魔盾〟っ」
そしてついには、私と同じ魔術を使うようになりました。
頭上から吹き降ろされる風を一瞬だけ〝魔盾〟で遅延させ、その隙に飛行魔術で加速して〝颶瀑〟の範囲外へと逃げます。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「はぁ、はぁ、はぁ」
そして私たちは雲の上の空の果て。夜の帳が覆いつくし、幾万の星々が輝く宙の下にいました。
いくら魔術で補助しているとはいえ、空の果てでは呼吸は難しく私の息は上がってしまいます。
そして呼吸を必要としないはずの不死者の師匠も息が上がっていました。
それは嘆きと不変の女神の祝福に逆らったから。
嘆きと不変の女神ががもたらす不死の本質は不変。魂を現世に止め、その魂の時を止めることによって、不死を実現しているのです。
だからこそ、不死者は成長しません。時間の恩恵を受けられない。
けれど、師匠は成長した。嘆きと不変の女神の祝福に抗い、四十年という魔術の変遷をこの短期間でなぞり、新しい魔術を習得した。
だから、その代償として師匠の顔はとても苦しそうに歪められていて。
それでも。
「師匠。笑っていますよ」
「っ」
夢中になれることを見つけた少女のように、とても楽しそうに笑っていました。
私の指摘に師匠は虚をつかれたように息を飲み、それから空を見上げました。
幾星霜の星々が涙のように淡く輝き、零れ落ちる雫のように流れていました。
「……今更。今更なのだ。私はソメイを救えなかった。あの子の命を犠牲に、皆に不死の呪いを施すことしかできなかった。不死神の言葉に従うしか、私はできなかったんだ」
四十年以上前。
その決戦で悪魔王が断末魔のように放った『赤黒い吐息の魔法』は世界中の命を腐らせるものでした。
師匠にはそれを防ぐ手段はなく、しかし嘆きと不変の女神が囁いたのです。
私が魔術を授けよう。世界中の命に一瞬だけ不変の呪いをかける魔術を。そうすれば皆が助かる、と。
もちろん、対価はありました。ソメイの魂です。人が神の魔法を魔術で再現するためには、犠牲が必要だったのです。
そして師匠とソメイはその提案にのった。のるしか、なかった。
「私では、私の魔術ではソメイを救えなかった。何も出来なかったんだ。なのに今更、あの吐息を防ぐ魔術を得たところで、何もかもが遅いんだ……」
それは酷く弱弱しい言葉でした。無力と後悔に溢れた言葉でした。
私はそれに息を飲み、しかしそれでも慰めの言葉をかけるわけでもなく、セイランの花のような笑顔を思い浮かべながらくしゃりと微笑みました。
「それでも師匠。魔術は楽しいでしょう」
「……………………ああ、楽しい。楽しいんだ」
師匠はまるで罪を告白するかのように頷きました。
結局、私がどんなに言葉を尽くしても、師匠の苦しみを慰めることはできないのです。
だって、私は魔術でセイランを助けることができたから。セイランと一緒に怨念と腐食の女神を倒すことができたから。
けれど、だからこそ、私は師匠に伝えるのです。
貴方が創り出し、そして私に教えてくださった魔術は、こうして私の大切な人を救ったのだと。とても綺麗な花畑を生み出すことができたのだと。
そして未来の魔術はもっともっともっと凄いことができるのだと。私たちが想像もしえない奇跡を起こせるのだと。
その魔術の楽しさが、その感動が師匠に伝われと祈るのです。
「グフウ。お前は魔術を愛しているか」
「ええ、愛しています」
「……そうか」
私の言葉に師匠は静かに微笑みました。
そうして耳が痛くなるほどの静寂の中、私たちは互いに杖の先端を向けて魔術陣を一つ展開しました。
ゆっくりと魔力を練り上げました。
そして互いの瞳を見つめました。
ふと、私は師匠と初めて魔術の稽古試合をしたときのことを思い出します。あの時もこうやって向かい、互いに一つの魔術陣を展開しました。
あの時は、私が負けました。
「聖葬火――〝魔の光よ。翔りて穿て――魔弾〟」
「〝高唱〟・〝魔の光よ。翔りて穿て――魔弾〟」
けれど、今回は。
「……私の負けか」
私が勝ちました。
蒼い炎を纏った〝魔弾〟に撃ち抜かれた師匠は静かに目を閉じて、タンポポの綿毛のようにふわりと吹き飛んで落ちてきました。
「っ、師匠っ!」
重力以外の特別な力に引っ張られているのか、師匠の落下速度は速く飛行魔術で加速しているのに追い付けません。
けれど、師匠が地面にその身を打ち付けることはありませんでした。
「甘え癖はいつになったら治るんだか」
飛行魔法で一瞬だけ浮いたシオリが師匠を抱きとめました。
そして優しく地面に着地したシオリは花畑に腰を降ろし、師匠を花畑に寝かせその頭を膝の上にのせました。
そして〝魔弾〟が撃ち抜いた胸の辺りから、蒼く燃える聖葬火がゆっくりと広がっていきます。
「……かあさん」
「いい子は寝る時間だ。さぁ、目をつむりなさい」
師匠はその蒼き火に照らされた黒の瞳でシオリを見上げ、けれどシオリはそんな師匠の瞼を優しく撫でてカーテンを閉めました。
それから子守唄のように師匠の頭を撫でました。東から僅かに射しこんだ白い光が、それを照らしました。
そして師匠はハラリハラリと灰になって燃えてゆき。
「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったな」
その身体の殆どが燃え尽きた時、師匠は閉じていたその黒の目を開いて私を見やりました。
「私は大魔術師ヨシノだ…………」
ひらりと、蒼い炎が舞い上がりました。
それはまるでいつか見た天灯のように、夜明けに舞い上がる星屑タンポポの綿毛のように。
空の果てを超えて、西の宙に輝く星々へと消えていきました。
「まったく……悪い子だ」
シオリの言葉が耳朶に響く中、私は静かに祈りました。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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水曜日に投稿すると言ったのに遅れてしまってすみません。かなり難産でして、時間がかかってしまいました。
そして次の投稿ですが、今度こそ来週の水曜日に投稿したいと思います。最終話です。よろしくお願いします。




