第34話 永遠の不死とイナサの決意
夜空のように美しい黒の長髪。凛々しい顔立ち。苦労と優しさを滲ませた目尻と口元の小じわ。真理を見通すがごとく何処までも透き通る黒の瞳。
背丈は高く、立派なローブを羽織り、大きな杖を握る。威厳に満ちた姿。
そして肌は生気がないほど白かった。
そう。
「つまり、私は不死者となったわけか」
嘆きと不変の女神によって師匠は不死者として蘇ったのです。
師匠は自嘲の笑みを浮かべた後、哀れみと諦めの入り混じった眼差しを肩に止まる嘆きと不変の女神に向けまして。
そしてふと足元に視線を落とし、それから一面に広がる花畑を見やって感慨深げに目を細めました。
「これは……凄いな。綺麗な花畑だ。ヒメル大陸にこんな場所があったとは」
『そこのドワーフの男が君のために創った花畑さ』
「ドワーフの……?」
師匠はようやく私たちに気が付きました。私たちを見て少し目を見開きます。
「そこの、ドワーフの魔法使いさん。このアホがいうように貴方がこの花畑を?」
「……ええ。けれど別にししょ……貴方のためではありませんよ」
「だろうね。君たちはボロボロだ。私が殺し損ねた悪魔王を倒す時に、偶然生まれてしまったのだろう。あの子の魔力の影響も合っただろうし、あり得なくはない。それより、私の尻ぬぐいをさせて悪かった」
師匠は苦笑します。
「相打ちできたと思ったのだがね。まったく、つくづく全てを取り溢した自分が嫌になるよ。賢者と謳われても結局このざまさ。いや、情けない私の話はよそう。それより、悪魔王を打ち倒してくれてありがとう。どうしても倒したかった相手だから、感謝する」
「いえ……」
私は小さく首を横に振りました。
セイランが気遣うように私を見ます。
「グフウ……」
「大丈夫です」
私はまた小さく首を横に振りました。けれど、先ほどよりも少し弱弱しいのは自覚していました。
その違いに師匠が目敏く気が付きます。
「その反応……もしかして、君たちは私を知っているのか? いや、考えてみれば私はドワーフの魔法使いも古竜の力を従えるエルフの戦士も知らない。それに、私以外に灯火の姉ちゃんの寵愛を受けた娘も博打好きの女神様の聖女も知らない。……つまり、あの時からそれなりの時間が経っている?」
私をセイランをナギをシマキを、じっくりと眺めた師匠は嘆きと不変の女神に小さくニヤリと笑いました。
「なるほど、なるほど。お前との賭けには勝ったというわけか。神々も罰として私を生かしてくれたか。感謝しなければな」
『負けに負け込んだ私としては大変不愉快だがね。寸でのところで君を攫われ、憎き粘着女に力の一部をかすめとられ、挙句の果てには君の魂は輪廻の星々の向こう側へと送られ遺灰にすら手を出せない。本当にしてやられたよ。大負けさ』
嘆きと不変の女神がチラリと私を睨みました。
死した師匠の魂を終りと流転の女神さまの恩寵法で送り、念のためにと魔術で創った邪悪を寄せ付けない守り木で師匠の遺灰を守っています。
だから、師匠が不死者として蘇るなんてことは普通はあり得ませんでした。
『けれど、最後の最後でやはり私は勝ったのだ』
「……そのようだね。大方、相打ちをした際に私の魂の一部が悪魔王の魂にへばりついたのだろう。だから私の記憶もその時が最後となっている」
『相変らず私の愛し人は聡明だな。そうさ。君の言う通りだ。そして幸か不幸か、あの粘着女が私の力を使って、悪魔王を復活させた。それどろか、君を復活させるだけに相応しい贄すら用意してくれた。尊き魂を腐らせるあの女はとても不愉快だったが、それでも今回ばかりは心から感謝しなければな』
「………………その口ぶり。もしかして、怨念と腐食の女神が復活したとでも?」
『後ろにあるのが、そうだよ』
「…………なっ!?」
亡骸である怨念と腐食の女神の貝殻をみて、師匠は驚きの声をあげました。そして私たちに驚嘆の眼差しを向けてきます。
「君たちは……凄いな。神殺しを為してしまうとは。……結局、魔法はここまで到達できてしまうのか。神を殺し、こんな綺麗な花畑まで作ってしまうのか」
「それは――」
私をじっと見て、師匠は悔しそうに目を伏せました。
その姿に耐えきれなくなって、私は口を開きますが。
『そう悲し顔をするな。私の愛し人よ』
それよりも先に嘆きと不変の女神がニンマリと笑いました。
『私が君の心を慰めてあげよう。大丈夫。まだ、奇蹟は途中だ』
嘆きと不変の女神は翼を大きく広げて、怨念と腐食の女神の遺体の上に飛び降ります。
『神代から幾万。善神の手を焼かせた戦女神の遺体がここにある。しかも、悪魔王が己と神の復活のために各地の厄災の化身を狂わせ、いくつもの死病を流行らせた今、多くの魂が死を嘆き永遠を臨んでいる!』
圧倒的な不死の力が嘆きと不変の女神から溢れました。
『今の私ならば、世界中の人々を不死者にするのはもちろん、君の親友を、ソメイを蘇らせることさえ容易い』
「っ! やめろ、不死神! あの子の死は私の罰だ! あの子の死はあの子の覚悟だ! それをっ――」
『大丈夫だ。みな、永遠に揺籃の住民になる。君は君の大好きな人と永遠を共にできる。その怒りもいずれは安らぎに変わるさ』
「やめろっっっ――」
見たこともないほど怒気を滲ませる師匠を尻目に、嘆きと不変の女神は不死の祝福を世界に与えようとして。
「馬鹿ども。何故、お前らが止めない」
「私たちよりも、貴方が止めるべきだと思ったので」
『なっ!?』
シオリが転移で怨念と腐食の女神の遺体の上に立ち、嘆きと不変の女神の首根っこを掴みました。
『力尽きて寝ていたはずだ! 何故、今頃っ!』
「……娘が起きているのに眠る母親がどこにいる。寝かしつけの基本だぞ、まったく」
「……かあさん」
シオリはため息を吐いて、怨念と腐食の女神から飛び降りました。
そして唇を震わせる師匠に目もくれず、シオリは嘆きと不変の女神を投げました。
「おい、癇癪女。私は寛大だ。今、ここを去るならお前を見逃してやる」
『……義母上が私を見逃す? くくっ。可笑しな事を。神の贄となった貴様にはそのような力すらもうないというのに。それに、今さら止めたところでもう遅いさ。私の奇蹟は世界に広がった。いずれ、あと少しもしないで世界は永遠に包まれる』
嘆きと不変の女神はようようとシオリに笑いかけます。人の弱みに漬け込むようなとても厭らしい笑みです。
『それに義母上も我が愛し人と共に永遠を生きたいとずっと願っていただろう? 私は知っているぞ。毎晩毎晩、その声をもう一度聞きたいと願い泣きながら、彼女から贈られた花を愛でているのを。だから貴様は小さき命を本気で守らずにいたのだろう? 私の計画にも気が付いていたからこそ、それを叶えるために』
「……はぁ、何を世迷言を。イナサは私の弟子だ。そう約束した。なら、私は大切な弟子を育てることに全力を尽くすだけだ。もう既にいない娘を優先するなんてあり得ない」
だから、とシオリは後ろに振り返りました。
「もう泣くな」
「だって、あちしのせいで、シオリおねえちゃんが……」
「お姉ちゃんではなく師匠と呼べ」
そこには目を腫らすイナサがいました。近くにはショウリョウもいました。ショウリョウがイナサをここまで連れてきたのでしょう。
「いいか、イナサ。弟子のケツを拭くのは師匠の務めだ」
シオリは雫を目端にためるイナサのおでこを指で弾きました。
少し赤くなったおでこを抑えながら、イナサがむっと頬を膨らませます。
「あちしはおもらしさんしてないのよっ? ひとりでおトイレいけるもん」
「あ、いや、今のは言葉の綾でだな。つまりだ。私がお前の手を握ってやる。転んだら立ち上がるまで見守ってやる。だから、気にするなと言いたくてだな……」
「……ありがとうなのね、シオリおねえちゃん」
「師匠と呼べと……いや、いい。好きに呼べ」
小さく溜息を吐くシオリに柔らかく微笑んだイナサは、そして片方の手で怨念と腐食の女神の亡骸に触れました。
飄々としていた嘆きと不変の女神が大きな動揺の声を漏らします。
『っ、小さき命を。何を――』
「かみさま。あちし、やっぱりかみさまのおさそいをことわらなくちゃいけないの。ごめんなさいなの」
イナサのもう片方の手のひらに、白く輝く灯火が現れました。
『っ、それはっ! 小さき命よ、それを今すぐしまいなさい。でないと、逢えなくなってしまうぞ。ずっと、逢いたかったのだろう? 抱きしめて欲しかったのだろうっ? 話したいことがあるのだろうっ?』
「かみさまのいうとおりなの。まきちゃさんにのったこととか、おおきなみずたまりさんをおよいだこととか、ひみつのしーくれっとおんせんとか、すぱらしいケーキとか、ほんもののおひめさまとおはなししたこととか」
イナサは指を一つづつ折り、思い出を挙げます。
「オロシがずっとずっとまえにいってたの。ぱぱとままはね、パパとママ……ぐふうパパとセイランママみたいにやさしくてあたたかいって。だから、ぜんぶね。ぱぱとままにあっておはなししたかったの。グフウぱぱたちとのたびをきかせてあげたかったの。そしたら、いっぱいよろこんでくれて、やさしくあたたかくぎゅっとしてくれるっておもったの」
「イナサ……」
「それは……」
それはいつぞやの誕生日の日にイナサが飲みこんだ言葉だったのでしょう。
だからこそ、私たちは強く後悔しました。
イナサは私たちをパパとママと慕っていました。けれど、本当の両親でないことはずっと前から、それこそ最初にあった時から気が付いていたのです。
それでも両親に逢いたくて、オロシから伝え聞いた両親の像を私たちに重ねていた。
それには気が付いていました。だから、旅の間はイナサの心が癒えるならと、彼女の親代わりとなった。できるかぎりの優しさを注いだ。
けれど、それが余計に彼女の両親への恋しさを募らせてしまった。
私たちはパパとママとではなく、グフウとセイランとして彼女に向き合うべきだったのです。
あの時、イナサの誕生日の時にそう気が付いていれば。身近な人の死に怯える彼女に寄り添うのではなく、心から向かい合っていれば――
「ちがうの。グフウパパとセイランママがぎゅっとしてくれて、あちしはぽかぽかでうれしいってきもちがいっぱいだったの。ありがとうなのね」
イナサはそんな私たちの内心すらも見通して、幼くも確かな理知の光を宿した瞳で嘆きと不変の女神を見やりました。
「ぱぱとままにあえないのはかなしい。とってもむねがきゅっとなる」
『大丈夫だ、小さき命よ。じきにその悲しみも癒える。私の奇蹟ならば君は永遠に逢いたかったぱぱとままと一緒に過ごせる――』
「けど、だいじょうぶなの。あちしはいっしょうけんめいかなしむから、だいじょうぶなの」
『っ!? やめろ……! やめろっ!! 消えろ! ああっ!!』
イナサは片方の手に灯していた白い炎を怨念と腐食の女神の亡骸へと落とします。そして怨念と腐食の女神の亡骸はぽぅっと淡く燃え始めました。
嘆きと不変の女神は酷く声を荒げ、翼を大きくはためかせて怨念と腐食の女神の亡骸を燃やす白い炎を消そうとします。
イナサはそんな彼女に言いました。
「あちしとおなじくろいかみのね、きれいなおねえさんがやくそくしてくれたの。シオリおねえちゃんみたいに、おほしさまのむこうにいるひとをおもっていっしょうけんめいないて、いまいっしょにいるひとといっしょうけんめいわらえば、いつかあちしがおわったときにあわせてくれるって。ぱぱとままに、オロシとグフウぱぱたちにあわせてくれるって。だから、あちしはだいじょうぶ」
『っぁあああああああああああああ!! また姉さんかっ!!』
憎しみの絶叫が響き渡ります。
『姉さんは姉さんはっ、いつもいつもそうだ! どうして私の大切なものを全て奪うっ!? 死こそが悲しみの根源だ! だからこそ永遠なのだ! 永遠こそが悲しみをなくせるのだ! それなのに偽りの言葉で人を慰める姉さんこそが、悪だ! 終われば人の記憶はなくなるというのにっ!!』
嘆きと不変の女神はゆらりと大きな力を立ち昇らせます。終りと流転の女神の奇蹟が込められた目の前の白い炎を消すために。
けれど、それよりも先に。
「かみさま。またあおうね」
『っっっっっ!?!? 我が愛し人――っ』
白い灯火が波紋のようにぶわりと世界に広がり、嘆きと不変の女神はその灯火に飲まれて消えてしまいました。
そしてまた、怨念と腐食の女神の亡骸を媒介に世界中に広がっていた不死の祝福も消えました。
しかし。
「……命令には逆らえないみたいだ。どうか、頼む。私を終わらせてくれ」
師匠が私たちに杖を向けてきました。
どうやら嘆きと不変の女神は消える直前に師匠を終りと流転の女神の白き灯火の奇跡から守り、私たちを排除するように命令したようです。
師匠はいくつもの魔術陣を展開しながら、自嘲の笑みを浮かべて私たちに目を伏せました。
だから、私が一歩前に出ます。ここからは私の番です。
師匠は私以外、戦う様子を取らないことに怪訝な表情を浮かべます。
「君一人で私の相手を? ボロボロなのだし、君たち全員で一緒に――」
「大丈夫です、師匠」
「ししょう……?」
「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね」
小首を傾げる師匠に柔らかく微笑み、私はローブをはためかせ、立派なひげを撫で、杖を掲げました。
「私はグフウ。大魔術師ヨシノの最初で最後の弟子、ドワーフの魔術師のグフウ!」
魔術陣を一つ、展開しました。
「師匠が私に教えてくださったように、今度は私が師匠に魔術をお教えしましょう! ……〝魔の光よ。翔りて穿て――魔弾〟」
そして魔術の基礎である〝魔弾〟を放ちました。
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