第32話 魔法と魔術・下
怨念と腐食の女神の魔法を消し飛ばして笑ったセイランは。
「あ、やばっ」
「っ」
膝から崩れ落ちました。慌てて滑り込み、セイランを支えます。
「今すぐ治癒を――」
「大丈夫だ、グフウ。単に魔力と闘気を使い切っただけだ。喋る事しかできないが、安心しろ」
「……何が安心しろですか」
魔力も闘気も身体を動かす大事なエネルギー。その両方を使い切ったとなれば、普通は気を失っているはずです。
それでも気力だけで意識を保っているセイランに呆れるやらなにやら。
けれど命に別状はないと分かって胸を撫でおろすと、セイランは柔らかく微笑みます。
「それよりグフウ。アタシはお前を……強く信頼している」
「……何を急に?」
「だから、その、あれだ……」
戸惑う私にセイランは少し耳を赤くして、そして強く息を吸って言いました。
「アタシの命をお前にやる。お前がくれたこの大剣に誓う」
セイランは傷一つない大剣に触れて透き通った声音でそう言いました。まだ、彼女の言葉を飲みこめていない私にセイランは続けます。
「だから、廻命竜の呪いもこの大剣の力も十全に引き出せないアタシだけど、お願いだ。お前の命をアタシにくれ。アタシが必ずお前の道を切り開くから、どうかアタシの手を握ってくれ」
「……」
セイランが差し出した手には大剣が握られていました。
未だに状況を全て理解できていませんでした。セイランの言葉の意味も全て分かってはいませんでした。
だけど、猛烈に自分を殴りたい気分になりました。
セイランにここまで言わせて自分が、セイランを悩ませてしまった自分が、そして自分を信じられなくなってしまった自分が、とても悔しかった。
『世界に怨みをぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 命よ腐れぇええええええええ!!』
怨念と腐食の女神が再び叫びました。
されどその叫びは先ほどとは比べ物にならないほど邪悪で、強大な力を宿した赤黒い吐息が広がりました。
大地が腐り、地の底が現れました。空すらも腐り、天が割けました。空気は死に、全ての生き物が恐怖しました。
チラリと魔法大学や街の方に魔力探知をやれば、多くの人々があまりの邪悪な神性に心が砕けて座り込んでいるのが分かりました。
誰もが、誰しもが、あの赤黒い吐息から逃げられず自分が大切な人が腐り死んでいくのを理解してしまったからこそ、心が折れてしまっていました。
そしてやはり、と言うべきか。
私はその『赤黒い吐息』の魔法を全く理解できませんでした。セイランが消し飛ばした事実を見たのに、それを打ち払う想像も全くできませんでした。
何も理解できていませんでした。
また、魔力も闘気も使い切り身体を動かすことすらままならないセイランでは、いえ、万全だったとしても、あの大剣では力が増した赤黒い吐息を打ち払うことはできない。
圧倒的な無力感が襲い掛かります。
けれど、それでも、私はセイランの手を握りしめました。深呼吸して、情けない自分をさらけ出すように言いました。
「セイラン。貴方の命をください。そして私の命をもらってください」
「ああ、やる。もらう。だから、安心しろ。アタシたちはずっと一緒だ」
「……はい!」
私は大杖を構え、その赤黒い吐息を見定めて魔力を練り上げます。
「おい、大馬鹿ものども。何をしている? 逃げるぞ。おい、聞いているのかっ。 ……チッ。もういい。勝手にしろ」
飛行魔法で空を飛んで逃げるシオリを無視しながら、私はいつぞやの師匠の言葉を思い出します。
人が空に行けるか、と。魔法も翼を持たない人が、空に行けるかと。
当時の私は無理だと思っていました。一年前の私は空には行けると分かった気になっていました。
違います。空なんかに囚われているから、駄目だったのです。
目指すは空の果ての向こう。
誰も知らない、想像しない、想像すらできないそんな場所。
そんな場所はないと誰もが言うでしょう。けれど、誰もその場所がないと証明はできないからと、限りなく零に近いその場所を目指して進む。
それはとても愚かで阿呆なことです。現実的に考えたら、鼻で笑ってしまうくらい無謀に満ちたこと。
そして酷く怖いことだった。
「〝我が心に光あれ〟」
飛べないと分かっているのに、翼がないにも関わず空高くから飛び降りることなんてできるでしょうか。安全な鳥かごから出ようと思うでしょうか。
私は怖くてできなかった。
だから、私は何よりも理解を大事にしていたのです。魔術を使うとき、必ずと言っていいほど魔法という現象を解析していた。
その魔法を理解してから、その魔法を模倣していた。
臆病だったのです。
だから、魔法に頼ってしまった。
シオリの言葉を、セイランを失うことを恐れて、不確かなものに自分と大切な人の命を賭けるということができなかった。
だから、確実たる魔法にすがった。想うがままに想うが通りに想ったことを実現させる確固たる力を頼った。
できると想えるものは必ずできる。その絶対的な安心が私の恐怖をやわらげた。
「〝暗闇に輝く星々は吉星か凶星か終ぞ知らず。我らは己が心を光にただ目指すのみ」
けれど、もう要りません。挑むことすらできない魔法は要らない。
セイランが私に命をくれたから、私の命を貰ってくれたから、私たちは死なない。最後までずっと一緒に生きていける。
それはどんな魔法よりも確固たるもので、これからどんな失敗が待っていようと挫けることはないと思えました。
淡く、それでいてどこまでも力強い勇気が私の心に宿りました。
だから、私は私が想像すらできない無謀に挑戦できる。想像以上とは比べ物にならない、想像できない結果が手に入ると信じて。
「〝その光は虹より煌めき。深淵より昏く〟」
ふと、昨日のシオリの言葉を思い出しました。魔術は力任せに火を起こすようなものだと。
考えればその時に疑問に思うべきでした。
人は火を理解して使っているのかと。
そう。多くの人が火が起こるその原理を理解していないのに、火を生み出し日常生活の一部として扱っている。
なんとなく、適当に、ただ力任せに棒をまわせば火は熾ると言わんばかりに。
だから、魔術も同じです。
魔法の理解なんて大層なことをしなくてもいい。
『ことば』をなんとなく、適当に、組み合わせて何かを起こす。たまたま、その結果が魔法の模倣になっただけ。
それでいいのです。それが魔術なのです。
だから、私はなんとなく、適当に、無数の魔術陣を展開しました。
先ほどセイランがやったように赤黒い吐息を消し飛ばせると、できないという想像を覆せると信じて。
「〝ただ無謬と無謀の彼方に輝き給え〟」
私は魔術を行使しました。
そして魔術によって生み出された光の結界は赤黒い吐息とぶつかり。
拮抗して!
「失敗しちゃいました」
「そうか。それは仕方ないな」
光の粉が散って、壊れました。
そりゃあ、そうです。翼もないのに空高くから飛び降りたらぺちゃんこに潰れてしまうのは当然のこと。
失敗は当たり前なのです。
「じゃあ、我慢するか」
「そうですね」
赤黒い吐息が目の前に迫ってくる中、私たちは肩を竦めて笑い合いました。手を繋いで大剣の影に隠れてどうにか赤黒い吐息を凌ごうとしました。
「ああ、もう! この阿呆どもめッ!! どれだけわたしを不愉快にすれば気が済む!」
飛行魔法でとっくのとうに逃げていたはずのシオリが戻ってきて、私たちに触れました。
「オエー」
魔法大学の傍まで魔法で転移させられました。
私は胸の奥から込み上げる気持ち悪さに、両手を地面について腹の中のものを吐いてしまいます。
「おい、クソバアア! グフウはな。まだ事前に気を引き締めてないと転移酔いで吐いちゃうんだぞ! 何してくれてるのだっ?」
「そんな馬鹿なことを言っている場合かっ!? お前たちは死ぬところだったのだぞ! 最初はあの腐れ女神が寝起きだったから偶然防げただけだ! あの大剣では完全に覚醒して放たれたあの『吐息』を防げないことを理解していただろうっ!!」
シオリが両目を吊り上げて、声を荒げて激高します。
「なのに、お前たちは、お前たちはっ……くっ」
「あ、おい! 大丈夫か、クソババアっ!?」
シオリが目をまわして、倒れてしまいました。気を失ったのです。
慌てるセイランを宥めます。
「大丈夫ですよ、セイラン。単に興奮しすぎて気を失っただけです」
「む、そうか。なら……よくはないがいい。それよりグフウ。転移酔いは大丈夫か?」
「はい。問題なく」
転移で逃げただけで、赤黒い吐息は今もこちらに迫ってきています。あと、十数秒もすればここに到達し、直ぐに魔法大学や港町を飲みこんでしまうでしょう。
そうすれば、誰もが死ぬ。
だけど、なのに。
「セイラン。今、私はとってもワクワクしています」
「だろうな。とっても楽しそうだ」
私は口角がつりあがるのを抑えられませんでした。
失敗。
それは、その挑戦をして想った結果がでなかったことを意味する言葉。
じゃあ、どうして上手くいかなかったのか。何が駄目だったのか。
それをなんとなく、適当に予想して。
そして先ほどよりは幾分かの正確性をもって再び、なんとなく、適当に試せば、同じ失敗はしない。
そしてそれを繰り返せばいずれは成功するでしょう。
けれど、魔術の本質はそこではありません!
失敗で成功を超える。つまり、意想外をもたらすこと!
昨日、私がチエの演算子による魔術の失敗を『聖樹の若木』を創り出す魔術に変えて、彼女の成功を超えたように!
「〝魔の光よ。聳えて守れ――魔盾〟・〝空の果てを臨む我ら。地底の果てを超越する――魔術〟」
私は二つの魔術を行使しました。
そして虹色のヴェールがかかった魔力の盾が一面に広がります。
そしてそれは赤黒い吐息とぶつかり、拮抗して!
赤黒い吐息と共に爆発して!
「「…………は?」」
『……ぁぁっ!?』
そして花が咲き乱れました。
私は目の前のあり得ない光景を呆然としてしまい、だからこそ心を落ち着かせるために呟きました。
「……先ほどの失敗の時。私の結界が壊れる前に光の粉が散りました。あれは私の結界によって邪神の魔力が浄化されて生まれた、新たな神性の欠片だと思いました」
「新しい神性だとっ? んな馬鹿な。人が神の欠片を作り出したなんてありえない――」
「だからこそ、私はそのあり得ないを信じました。チエが創り出した演算子を使って、その神性を共振させようとした」
「聖樹の若木を生み出したやつか」
「はい。生み出された神性が共振して抑え込めないほどに力が増せば、大きな爆発が起こると。神性を伴ったあれば爆発で赤黒い吐息を消し飛ばせるのではないかと、なんとなくそう考えた」
確証なんて一切ありませんでした。けれど、魔術はあり得ないをあり得るにするものだから。
そして。
「そのついでに、なんか爆発で悪魔王と怨念と腐食の女神を倒せないかな、なんて思いました」
空の果ての向こうを夢想した。なんせ、悪神の攻撃を防ぐ盾が悪神たちを倒す。
それが意想外なことなだと。
「けれど、想像できる想像以上は意想外ではない」
つまり。
「誰が花畑が現れるなんて想像できますかっ!?」
私は目の前に広がる光景に、その地平線の彼方まで咲き誇る色とりどりの花々に向かって叫びました。
「……プっ。アハハッ! 確かにそりゃあそうだ! こんな戦いの最中にこんな御伽噺みたいな花畑が現れるなんて誰も想像できないもんな!」
セイランが呵々大笑と笑いました。
私もそれにつられて笑いました。
怨念と腐食の女神が、悪魔王が未だに生きているのに、こんなきれいで可愛らしい花畑を目の前にして笑えるなんて誰が想像できたでしょうか。
いや、できない。
だから、魔術は楽しい。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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