第31話 魔法と魔術・中
「……そうか。魔法を使ったのか」
私の返答を聞いたセイランは一瞬だけ目を伏せ、私に微笑みました。
「グフウ。ありがとう。イナサやクソババアを、アタシを助けてくれてありがとう」
「……礼なんていりませんよ。私が助けたかったんです。死んでほしくなかったんです」
「そうか……グッ」
「セイランッ! 今直ぐ治癒しますっ」
目を細めて頷いたセイランは力が抜けて膝を突きました。呼吸も浅くなっています。
紅い夜空の下で目をこらしてよくよく見れば、セイランの体中に刻まれた傷はふさがっておらずとめどなく血が流れていました。
自己治癒できるほどの闘気が残っていなかったのです。それだけセイランは満身創痍でした。
私は背負っていたイナサとオロシを地面に寝かせ、慌ててセイランを肩で支えます。想像して治癒の魔法でセイランの傷などを癒します。
「師匠ッ!」
魔法大学が建つ小島からヨゾラが飛行魔法で飛び降りてきました。倒れていたシオリに駆け寄ります。
「我らが母、祈りと豊穣の女神さまよ。どうか彼の者に癒しの祝福をっ」
胸の前で手を組み恩寵法を行使します。
彼女の恩寵法は中々の腕前でした。私はシオリに行使していた治癒魔術を一瞬だけやめ、治癒魔法に切り替えてヨゾラの恩寵法を補助するようにシオリを治癒します。
「グフウ様。これは、いったいっ?」
「分かりません。ただ、悪魔王、そして怨念と腐食の女神が復活し、シオリがイナサと共に彼らの前にいました」
「……本当にありがとうございます。グフウ様たちがいなければ、師匠は――」
ヨゾラはシオリの容体と眠るイナサとオロシを見て、そして奥に見える怨念と腐食の女神や悪魔王の邪気を感じて、状況を全て理解したのでしょう。
深々と頭を下げ。
「わたしがなんだ?」
「ッ。師匠ッ!!」
シオリが目を覚ましました。寝起きだというのに傲岸不遜な声を響かせます。
「最悪な気分だ。全くもって不愉快極まりない」
「師匠。身体を起こしてはっ」
「そうです。まだ、身体を動かすことすらままならないはずです!」
シオリは先ほどまで生死の境目を彷徨っていたのです。身体を動かせるような状態ではありませんでした。
「ふんっ。誰にものを言っている」
片腕はなく深い傷が刻まれた右目は閉じたまま。顔は青白く、半神の神威すら纏っていた覇気も今やとても弱弱しいものでした。
けれどシオリは力強く立ち上がりました。そしてジッと私とセイランを見つめてきます。
「……そうか。転移の魔法を、大悪魔の魔法を使ったのか」
望んでいた結果を得たかのように、それでいてどこかつまらなそうに呟かれた彼女の声音に私は空虚な気分になりました。
それを知ってか知らずか、彼女は魔法で雲のベッドを生み出して地面で寝ていたイナサとオロシを魔法で移動させました。
そしてイナサの頭を撫でながら私たちに目を伏せました。
「グフウ。それに脳筋バカ。悪かった。イナサを危険に晒したのはわたしの失態だ。この子を、わたしの大切な弟子を無事に助けたこと、深く感謝する。この礼は命に代えてもする」
「ど、どういたしまして」
「な……」
シオリに素直に感謝されると、どうにも妙な気持ちになってしまいます。セイランなんて驚愕を通り越して呆然としていました。あんぐりと口を開けています。
そんな私たちの様子にシオリはとても不愉快そうに顔をしかめ、ふと何かに気が付いたのか上空を睨みました。
『やあやあ。義母上よ』
「お前にあの子はやらん」
『おっと』
空から悠々と翼を羽ばたかせて降りてきた嘆きと不変の女神に向かってシオリは魔法で〝魔弾〟を放ちました。嘆きと不変の女神はひらりとかわし、私の頭に止まってニンマリと笑います。
『己が母だということは否定しないかね?』
「……」
『やれやれ。これから家族になるというのに義母上はつれないな』
嘆きと不変の女神は肩を竦めてクククッと笑います。私の頭の上で笑う彼女がとても鬱陶しくて魔法で〝魔弾〟を放ちます。
やはりというべきか。嘆きと不変の女神は意に介することなくかわし、その体を身震いさせました。
『しかし、流石にわたしも肝が冷えたよ。あの粘着女の贄となるなんて。腐ってもあの女は戦の女神。強欲で傲慢な強き烈女だ。彼女の生贄となれば半神と言えど魂すら腐り死してしまう。そうなれば流石の私では蘇らせることができなんだ。……とはいえ、義母上も小さき命も無事だったことは喜ばしいことだ』
「この子をかどわかし悪魔たち招き入れたやつが何をぬけぬけと」
無表情で発せられたその言の葉には強い怒気が込められていました。そして私たちは嘆きと不変の女神こそがこの事態を招いた存在だと理解しました。
嘆きと不変の女神は私たちの視線に肩をすくませます。
『誤解だ。義母上よ。小さき命と言の葉を交わしたのは事実であるが、悪魔たちは偶然乱入してきたに過ぎない。私が人の子の魂を手放すわけがないであろう?』
「……貴様の戯言にはうんざりだ。あの子から強く拒絶されたのに、それでも強欲に望むとは。姉の気苦労が知れる」
シオリは呆れと同情が入り混じったため息を小さく吐き、いない存在として扱うと言わんばかりに嘆きと不変の女神から視線を外しました。
そして私に支えられていたセイランの膝を蹴りました。
「おい。脳筋バカ。わたしを不愉快にさせておいて何をボケッとしている。さっさと剣を握れ」
「脳筋バカではない。セイランだ」
セイランがシオリに膝を蹴り返しました。シオリは意に介することなくセイランの胸倉を掴みます。
「いいや、お前は脳筋バカだ。わたしと同じ大罪人だ」
「……大罪人だと?」
「そうだ。弱さは罪だ。自由を奪い殺す最悪の罪だ。なのにお前はこの十数年何をしていた。導きのガチ恋竜の祝福を使いこなせていないどころか振り回されている。結果がこのざまだ。十数年前の方がまだマシだったぞ」
「……」
シオリが左手に黒の大剣を召喚します。黒く光るその大剣は魔法武具でありとてつもなく強い力を有していました。神々が創り上げた神器といっても差支えないほどの力です。
シオリは黒の大剣を肩に担ぎ、迫りくる悪魔の不死者の軍勢に黒の大剣の切っ先を向けました。
「わたしが直々に指導してやる。ついてこい」
「……チッ」
セイランは舌打ちをして、私からを一瞥しました。
「……グフウ。悪かった。アタシはもう大丈夫だ」
セイランは私から離れて大剣と巨斧を握りしめました。シオリの隣に立ち戦意を滲ませ、今にも悪魔の不死者の軍勢に飛び込む勢いです。
慌てて止めます。
「待ってください! セイランも貴方も戦える身体ではありません! 戦えば死んでしまいます!」
「そうです、師匠! 今、教師陣で総力をあげて学生や住民の避難と、悪魔たちの侵攻を遅らせる魔法を準備しています! だから――」
「いいや、駄目だ。このままでは避難が完了する前にあの軍勢が襲ってくる。不死の力も混ざっている今その魔法も意味をなさないだろう。誰かが戦う必要がある」
「戦うってっ! もうすぐ怨念と腐食の女神が完全に顕現するんです! 足止めは不可能です!」
『それなら心配ない。私が少し嫌がらせをしてきた。だから粘着女が完全な顕現は幾分か遅れるだろう』
「だそうだ。まぁそう心配するな、グフウ。今度はただの足止めだ。死にはしないさ」
「っ」
セイランは申し訳なさそうに眉を八の字にしていました。彼女にそんな表情をさせてしまった自分がとても嫌になりました。
「……私も戦います」
大杖を握りしめて残り少ない魔力を練り上げます。
「いや、お前にはイナサたちの避難を――」
「ヨゾラさん。イナサとオロシのこと、よろしくお願いします」
「……分かりました。ご武運を」
シオリや私たちの様子を見て諦めたのか、ヨゾラはイナサ達が眠る雲のベッドを操って魔法大学の方へと飛んでいきました。
「隕鉄。蹴散らせ」
「っ」
シオリが黒の大剣をゆっくりと横なぎに振るいました。すれば、周りの大気が彼女の手足となって吹き荒れ、こちらに迫っていた悪魔の不死者の軍勢の一部を吹き飛ばしました。
圧倒的な風の魔法でした。
そしてそれが開戦の狼煙となり、シオリとセイランは悪魔の不死者の軍勢に向かって駆けだし、勇猛果敢に戦います。
シオリはとても圧倒的でした。
全てを吸い込む黒の球体を創り出し、悪魔の不死者を飲みこみました。聖なる光の竜を創り出し、その咆哮で悪魔の不死者を消し飛ばしました。神性を帯びた雷を圧縮した巨大な金槌を振り下ろし、悪魔の不死者たちを焼き潰しました。
彼女に触れた悪魔の不死者は全て黄金に変えられ、悪魔の不死者たちが放つあらゆる魔法は眼力一つで無に帰され、『跪け』という言葉一つで悪魔の不死者たちを地べたに這いつくばせました。
流石は神代の魔法使いでした。神の如き魔法を圧倒的にそれでいてとても繊細に操っていました。
それだけではありません。隕鉄と呼ばれた黒の大剣を振るう姿は、武の極致と言っても過言ではないほどとても美しく洗練されたものでした。
その振るわれる大剣は悲鳴一つ上げることができないほど速く、数百の悪魔の不死者が創り上げた硬き結界を切り裂くほど鋭く、大地を叩き割るほど力強いものでした。
けれど、それでも怨念と腐食の女神の生贄となったせいか、その顔は苦しく何度も精彩を欠いた様子が見受けられました。
だから、私たちがそこをサポートしました。
セイランは荒ぶる竜が振るう爪のごとく鋭く荒々しく力強い武技をもって、そして私は魔法をもって、悪魔の不死者を打ち倒します。
触れただけで石へと変える煙を、何でも切り裂く刃の魔法で、大地の化身の如き巨大な土人形を創り出す魔法で、触れたら全てを溶かし分解する液体を生み出す魔法で、意識を幻想に封じ込める結界の魔法で、悪魔の不死者を倒していきます。
それらはシオリが使った神代の魔法には及びません。
けれど、理屈は分かっていてもそれに対応する『ことば』の組み合わせが見つからず魔術では再現ができなかった人外の魔法でした。圧倒的で不条理な力でした。
魔法は魔術と違ってとても速く確信的で容易なものだったのです。
想像したその瞬間に想うがままに想った結果を得られる。魔術陣も詠唱も必要がないからこそ、その分の魔力消費すら減る。
まるで自らの手足のようでした。今さっき使い始めたばかりなのに、どこまでも信頼のおける力でした。
想像で全てが叶えられる、素晴らしく万能で自由な力でした。
「ざっとこんなものか」
嘆きと不変の女神の嫌がらせのせいなのか、悪魔の不死者の軍勢の動きは鈍く、足止めどころか軍勢を壊滅させる勢いで悪魔の不死者たちを倒すことができました。
悪魔王は怨念と腐食の女神の完全の顕現に集中しているのか、深く瞑想していて無防備を晒していました。
私たちもほとんど力を使い果たしてしまいましたが、これならやれそうという感じでした。
「まとめてわたしがやる。お前らは雑魚を処理しろ」
シオリが黒の大剣を構え、ゆっくりと集中しながら残りの魔力の全てを黒の大剣に注ぎ込んでいきます。
やがて黒の大剣は強き神性を帯び始めます。目の前の不完全な怨念と腐食の女神が放つ神威をも超える神性です。
そしてそれは一つの魔法となります。〝神の剣〟とも言える魔法でした。
私はこれなら倒せるという強い確信を抱きました。目の前で起きている魔法が理解できているからこそ、怨念と腐食の女神が打ち倒される未来を想像できました。
そしてシオリが大剣を大きく振りかぶり。
『世界に怨みをぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 命よ腐れぇええええええええ!!』
けれど、それが振り下ろされる前に怨念と腐食の女神が完全に顕現しました。閉じていた貝が開き、おどろおどろしい赤黒い闇の球体が姿を見せました。
圧倒的な邪気と神威がこもった声を響かせ、邪悪な魔力がこもったおどろおどろしい赤黒い吐息が広がっていきます。
それに触れた大地も空気も何もかもが腐り、呪われ、死んでいきました。
シオリは投げやりに〝神の剣〟の魔法を帯びた黒の大剣を赤黒い吐息に向かって投げつけました。当然腐りドロドロと溶けて呪われ死んでいきました。
「……駄目だな」
「……」
私もシオリの言葉に同感でした。
赤黒い吐息は確かに魔法でした。
けれど理解できませんでした。解析の魔法を使っても、何一つ分かりませんでした。私の想像を優に超えたものだったのです。
魔法は想像のままに想像した結果を叶える万能の力でした。
けれど、想像ができなければ何もおこせない力でした。
私はあの赤黒い吐息の原理もそれを消し飛ばす魔法すらも想像できませんでした。
だから、私はセイランとシオリと共に転移の魔法で逃げようとしました。
けれど、その前に。
「颶絶ッッッッッッッ!!!!!」
セイランが魔力と闘気を全て込めて大剣を、私が鍛冶魔法と鍛冶魔術で打った大剣を振り下ろしました。
そして大剣が生み出した暴風を纏った斬撃は。
「なッッッッッ!?!?!?」
「……………………チッ」
赤黒い吐息を消し飛ばしました。
「グフウ。お前の言った通りだ。この大剣は決して傷つかないな」
そしてセイランは傷一つない大剣を担ぎながら、ニカッと笑いました。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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