第28話 悪魔王だけでは終わらず
「起きろ、グフウ」
「……ん」
まどろみに沈んでいた意識が優しい手の温かみに引っ張られました。重たい瞼を開けて顔をあげれば、セイランが横から心配そうな顔でのぞいていました。
目の前の机には二冊の本と数十枚の紙が散乱していました。どうやら私は机に伏して寝ていたようです。
けれどいつ寝てしまったのか、と疑問に思ったところで、師匠の本の解読をしていたのを思い出しました。
そうです。夜明け前に師匠の本の解読が終わって、朝稽古まで一休みしようと軽く目を閉じたら――
「……セイラン。今、何時ですかっ?」
「昼過ぎだ。まったく。勝手に稽古をサボって」
「……すみません」
コツンと拳で軽く頭を叩かれました。
「昼飯を用意する。そのだらしない顔を洗って着替えを済ませろ」
セイランはそう言って部屋を出ていきました。
残された私は一度だけ師匠の本に視線を落としました。そのページに書かれていた文字を撫でます。
「……師匠はどうやって乗り越えたのでしょうか」
胸の奥底から零れそうになるため息を飲みこんで、私は洗面所へと向かいました。
Φ
ローブを羽織って部屋を出れば、セイランが待っていました。
「ついてこい」
魔法大学の食堂に連れていかれるかと思ったのですが、違うようです。セイランは中庭に進んでいきます。
中庭には学生たちが集まっていて、セイランを見つけるやいなや一斉に道を開けます。
その先には食事が並んだ机と抉れて荒れ果てた地面が見えました。食事は小さな魔法の結界で覆われています。
「……セイラン。その、これは」
「お前の飯だ。朝一で新鮮な海産物を獲ってきた。存分に食え」
「なるほど……?」
セイランの言い分。そして刃物で抉ったような地面の惨状。
「つまり、セイランが作ったわけですか?」
「いいから食え」
問答無用で席に座らされました。
海鮮物を中心とした料理が机には並んでいました。
どれもこれも手が込んでいて作るのにかなりの時間がかかったのが伺えます。料理を覆う魔法はどうやら『料理が冷めないようにする魔法』のようで、とても温かくいい匂いがします。
グーとお腹が大きくなりました。
しかし、私たちを取り囲む学生たちの視線が気まずく、どうにも食べづらいです。
「見せもんではないぞ!」
「は、はい!」
「すみません!!」
セイランが周りをひと睨みすれば、学生たちは蜘蛛の子を散らすように私たちが見えないところまで去り、物陰から私たちの様子を覗いてきます。
……魔力探知を切っておきますか。そうすれば、あまり気にはならないでしょう。
「いただきます」
学生たちの存在を頭の外に追い出し、私は手をあわせてセイランの手料理をいただきます。
まずは魚の煮付けです。
何度か使ったことがある箸を手に取り、その身を切り開きます。ホクホクとした湯気があがります。
口に身を運べば、魚の柔らかな食感と煮汁の優しくて落ち着く味が口いっぱいに広がりました。
とっても美味しいです。
煮魚の一部と煮汁をパンに浸して一緒に食べると、更に美味しいです。
他の料理にも手をつけます。
どれもこれも美味しいです。幸せな味がして、昨日から沈んでいた気持ちがふっと軽くなりました。
「ごちそうさまでした」
味わって食べたかったのに、ぺろりと平らげてしまいました。
「セイラン。とても美味しかったです。ありがとうございます」
「……元気になったならいい」
セイランはそっぽを向きました。
その様子に更に嬉しくなりました。
セイランは一人だけで料理をすることがとても少ないです。廻命竜の呪いのせいで、刃物を使うと周りを切り裂いてしまうからです。
だから、料理をするときは味付けや調理方法などはセイランが決めて、それ以外を私が担当するというのがここ十年以上の決まりとなっていました。
けれど、私やナギが落ち込んだ時などはこうして一人で手ずから料理をしてくれるのです。
その優しさがとても嬉しいのです。
「……〝汚れがつるり。お皿はピカピカキュっと真っ白に――皿洗〟」
少しだけ躊躇って、私は魔術で泡の水を作って食器を洗います。
「……夕飯も作ってやる」
「……それはとっても楽しみですね」
ちょっとしたことに気が付いてくれる彼女の優しさに、どうしようもなく温かな気持ちになりました。
その気持ちを心の裡で大事に噛みしめながら、私は他愛もない話をセイランとしました。
「あちこちから黄色い悲鳴が聞こえるかと思ったら、お主らじゃったか」
一時間ほど中庭でのんびりしていると、呆れた様子のオロシがやってきました。
「イナサはどうしたのですか?」
「シオリ殿と一緒じゃ。絵本の読み聞かせをしておる」
「絵本だと? クソババアがか?」
セイランが目を丸くします。
「うむ。とっておきのがあるらしくての。張り切って読み聞かせておった」
「……信じられん」
「そうでしょうか? 昨日話した限りだと、案外子供に優しそうな人でしたが」
「実際、子ども相手にはとても優しい方じゃな」
「優しい? あのクソババアがかっ? いつもアタシに魔法をぶち込んで嫌がらせする傍若無人バアアがっ?」
セイランがあり得ないっ! といったように顔をしかめます。
クソババアとか呼んでいるからそんな態度を取られるのでは、と少しだけ思いましたが、口にはしませんでした。
代わりにオロシに質問します。
「シオリとは親しいのですか」
「そうじゃの……。長い付き合いになるかの。最初に出会ったのは儂とイナサの両親が悪魔王に襲われた時のことじゃな」
「悪魔王に襲われたのですかっ?」
「うむ。儂の〝不運〟が呼び寄せてしまったのじゃ。襲われた儂らを助けてくれたのがシオリ殿じゃ」
オロシは遠い目をしました。
「それからシオリ殿は儂らを何かと気にかけてくれるようになっての。冒険者として色々と彼女に依頼されたものじゃ。それに長い間、子宝に恵まれなかったヨツユとハモンのためにあれこれと手を尽くしたりもしてくれたのぅ」
「……つまり、クソバアアはもとからイナサを育てるつもりで呼び寄せたのか」
「うむ。儂も追い先短いからの。弟子にするというのは、不器用な彼女なりの詭弁じゃろうて。昔からよくある事じゃ」
安堵するように目を細めるオロシに、私たちは何も言えませんでした。
「……少し騒がしくないか?」
「そうじゃの……お主らの睦みあいにやられた学生たちのせいかと思ったが、少し違うようじゃ」
学生や講師が走り回っています。ヨゾラの姿が目に入り、声をかけます。
「何かあったのですか?」
「あ、グフウ様っ! それが我が師がいなくなりまして。水の橋も架けられず、港に帰れなくなった者たちの対応に追われているのです」
「クソババアがいないだと?」
セイランがオロシに視線をやります。
「つい先ほどまで、昨日の図書館でイナサと絵本を読んでいたはずなのじゃが」
「ええ、存じております。なのに、そこにもおらず。いえ、師がふらっと消えるのはよくある事なのですが、イナサ様も見当たらず」
「イナサがいないじゃとっ?」
オロシが目を丸くするのと同時に、私は魔力探知を最大まで発動させます。
瞬間。
『さてはて英雄よ。悪魔王が復活するぞ』
カァーとカラスの鳴き声と共に、空が赤黒く染まり邪悪な魔力が周囲を埋め尽くされました。
「〝光は聖に輝き悪しき力に屈さず。全てを祓いて守る――聖絶〟っ!!」
「神よ! 我らを守る盾を与えたまえ!!」
邪悪な魔力によって、学生や講師たちの多くが倒れていきます。
私は魔術で、オロシは恩寵法で魔法大学を覆う結界を作り、邪悪な魔力から守ります。
「南だ! 南に嫌な気配がするっ!」
セイランは空中を蹴って空高く跳び上がります。私はオロシを背負って飛行魔術で空中へと浮かび上がります。
「……海が干上がっている」
「あれは、悪魔の不死者か」
目に飛び込んできた光景はとても邪悪で絶望的なものでした。
魔法大学の周囲の海が干上がり、悪魔の不死者が露出した海底を埋め尽くしていました。数万を優に超える悪魔の軍勢はゆっくりとこちらへと侵攻してきます。
そして一番その奥に、カエルの頭蓋骨を被った体長十数メートルの悪魔と、それすらも豆粒に思えてしまうほど巨大な貝が見えました。
カエルの頭蓋骨を被った悪魔は。
「……悪魔王じゃ」
悪魔王でした。
そして巨大な貝は。
『む? もう怨念と腐食の女神がいるではないか。あの粘着女、我慢できずに未来まで書き換えて不完全のまま顕現したのか。まったく。英雄譚を書き直さなくてはならないではないか』
悪神、怨念と腐食の女神そのものでした。
嘆きと不変の女神の依代たるカラスが私の頭の上に止まりました。
いつも読んで下さりありがとうございます。
面白い、また少しでも続きが気になると思いましたら、ブックマークやポイント評価を何卒お願いします。モチベーションアップにつながります。
また、感想があると励みになります。
また、今週の土曜日も投稿をお休みさせていただきます。来週からは通常通り投稿ができると思いますのでよろしくお願いします。




