第22話 花とセイラン
嘆きと不変の女神が去ってからしばらくの間、ハナカゼやラッカ、周りにいた神官や兵士たちも動くことはできませんでした。
悪神に相対したのです。当然のことでした。
どうするべきかと悩んでいたら。
「――!!」
「『ソメイ』の花がっ!」
「びょうきさんなの!」
サキとハナカゼが慌てるように師匠の像の方へと駆け寄りました。大悪魔の邪気によって枯れてしまった芝のように広がる薄紅の花々に目を伏せます。
イナサも悲しそうに顔を歪めていました。
「――! ――!」
「やめろ、サキ。お前が枯れてしまうぞ」
枯れた花を蘇らせようとするサキをセイランが止めます。
大悪魔の邪悪な結界によって蝕まれた彼女は、その花の妖精としての力がまだ回復しきっていません。分霊が仮初である以上、無茶は控えた方がいいです。
私は悔しそうに下を向くサキに微笑みました。
「大丈夫ですよ。花は元通りになります」
師匠の像から少し離れたところに、一輪だけ薄紅の花が咲いていました。運がよかったのか、大悪魔の邪気でも枯れることはなかったのです。
私は膝をついてガラス細工に触るようにその花びらを優しく撫で、魔力探知で詳細を調べました。
そして大杖を構え、師匠の像の前で三つの魔術陣を輝かせます。
「〝我が想いは咲き狂え――想花〟」
「わぁっっ!!」
「――!!」
「きれいなの!!」
師匠の像の周りに、再び薄紅の花が咲き乱れました。それを見て、落ち込んでいたハナカゼたちも顔を輝かせ、また嘆きと不変の女神によって呆然としていた人たちも歓声をあげました。
Φ
翌日。
「パパママ! あちしはぼうけんもかねてひとあしさきにいってるの! ふたりはあせらずくるの!」
「グフウ殿、セイラン殿。また、あとでじゃ」
おめかししたイナサと立派な法衣に袖を通したオロシが宿を出ていきました。
二人とも街の散策と『散花の眠り』へ向かったのです。
私たちは『散花の眠り』で開かれる祭りの式典に呼ばれていました。昨日、大悪魔からサキや王都を救った感謝をしたいそうです。
サキを癒したオロシなどはともかく私は何もしていなかったのですが、それでもと言われて参加することにしました。
「少し太ってしまいましたね……」
黒のジャケットに白のシャツ、黒のズボンを着た自分の姿を見下ろして、ポツリと呟きました。
毎日訓練をしているので体型管理はできていたつもりでしたが、鉄道による移動で運動量が減少していたのでしょう。
十年以上から使っていた礼服が少しだけ窮屈になってしまいました。
運動量を増やしますかと決意し、私は髪を整えひげを結び、廊下にでました。別の部屋で着替えているセイランを待ちます。
「遅いですね……」
着替えに手間取っているのでしょう。頑張って一人で着替えられましたね、とからかってやろうと思い。
「……待たせた」
「いえいえ。よく一人で着替え――……」
実際に扉が開いて現れたセイランにそう言おうとして、しかし呆然としてしまいました。
てっきり、十年以上前から式典などで使っていた黒のパンツドレスを着て出てくるものだと思っていました。
違いました。
そう、タンポポの刺繍が特徴的な紺のワンピースが、スラリとした彼女の身体を包んでいました。
化粧もしているのでしょう。普段から綺麗なその肌が玉のように輝いて、薄紅色の唇は艶やかでした。
長い耳から下がったタンポポのイヤリングは静かに揺れ、首が隠れるくらいまで伸びてきた後ろ髪は一つに結ばれて横に流し、前髪は花の髪飾りに留められていました。
セイランは一筋の傷が刻まれた右頬に少し触れたあと、その若葉色の瞳を奥ゆかしく揺らして尋ねてきます。
「……やはり、変だろうか?」
「い、いえ! まったく、変ではありませんよ! とても似合っています!」
「……そうか。なら、よかった」
セイランは耳の後ろをポリポリとかき、そっぽを向きます。
「そ、その、私たちも早く『散花の眠り』に向かってしまいましょう」
「……そうだな」
その仕草に妙な居心地の悪さを感じて、私は少し早足で宿を出ました。
「グフウ様、セイラン様! ご一緒に『散花の眠り』まで――」
ちょうどよく宿の前に馬車が来て扉が開き、白のドレスに身を包んだハナカゼが姿を現しました。そして私たちを見て固まります。
「……も、申し訳ありません! 大切な時間をお邪魔するつもりはっ!」
「いや、大丈夫だ。それより何の用だ?」
「その、『散花の眠り』までご一緒にと思いまして。サキの礼もしたく。……ところでイナサちゃんやオロシ様は……?」
「あの二人なら先に行ってしまいましたよ」
「なんと……!」
「――!!」
ハナカゼが膝をつきました。馬車からサキが出てきて、励ますように頬に何度もキスをします。
「まったく。せっかくのドレスが汚れてしまうぞ」
セイランがハナカゼを立ち上がらせ、ドレスについた土埃を優しく叩き落とします。
「……ありがとうございます」
「そう落ち込むな。約束してなかったのだし、仕方ない。途中であの二人を拾えばいい。な、グフウ」
「ええ、そうですね」
私たちは彼女の厚意に甘え、馬車に乗りました。馬車は花々が咲き誇る王都をゆっくりと進みます。
そんな街を通りゆく人たちは、花冠、花の服、花モチーフのアクセサリーなど花をモチーフにした何かを身に着けていました。
そしてまた手には花束を手にしており、すれ違った人に挨拶をするのと一緒に一輪の花をプレゼントしています。
「こんなに花が溢れてて、とても嬉しくなるお祭りですね。こういった祭りは初めて見ました」
「そうだな……アタシもだ」
セイランは感嘆の溜息をもらし、目を細め頬を柔らかく緩めました。
「セイランは何度か王都に訪れたことがあるんですよね? この花の祭りは初めてなのですか?」
「いや、何度か参加したことはあるが……これほど華やかな祭りではなくてな。もっとひっそりとしたものだったのだ」
「へぇ」
私たちは王女であるハナカゼに視線を向けました。彼女は咳払いして、話し出します。
「セイラン様の言う通り、十年程前まで静かで厳かなものでした。変わったきっかけは、教会が賢者ヨシノ様への神罰の撤回を発表したことでした。教皇様を通じ神々から直々に謝罪があったのです」
「なんと」
「神々が謝罪だとっ!?」
私は言うに及ばず、その十年前は既に南側諸国にいたセイランも目を大きく見開きます。
「この花祭りは、悪魔王の侵攻によって亡くなった人を祈り、そして賢者ヨシノ様が悪魔王を討ち取ったことを讃える祭りでした」
「……なるほど。多くの功績があろうと、神敵を讃えるなぞ大々的にはできないからな」
「はい。北側諸国ではよくあることなのです。みな、賢者ヨシノ様に救われ、けれどそのことを口にできなかったです。神々から隠れるように静かに祝い感謝することしかできなかった」
ハナカゼは深く息を吸って、己の罪を告白するように言います。
「そのせいか、彼女の話は書物に残るものばかりになりました。しかも悪魔王との戦いはその書物さえ残らず、今も多くの謎に包まれているのです。世界を救ったはずなのにです」
悔しそうに彼女は顔を歪めました。外の華やかさとは真逆の空気がこの場を包みました。
サキもそれにつられて、悲しそうに目を伏せています。
「〝斉唱〟・〝我が想いは一輪の咲い――想花〟。せっかくの花のお祭りです。笑顔でいてくれた方がししょ……賢者ヨシノも喜ぶでしょう」
「……そうですね。ありがとうございます!」
「――!!」
二人にタンポポの花をあげました。二人は笑顔になりました。
「グフウ様はまるでソメイ様のようですね」
「……その、ソメイ様とは?」
「賢者ヨシノ様の親友の花の微笑みです。ソメイ様は賢者ヨシノと共に旅をし、出会った女性や道行く人に花をプレゼントしていた、と王家に伝わっています」
「っ!」
初めて知る事実に私は驚きました。まさか師匠に花の微笑みの親友がいたなんて。もしかしたら、師匠が植えて欲しいと願った花と関係があるかもしれません。
私はもっと詳しく聞こうとしました。
「む。あれはイナサとオロシだな」
しかし、イナサとオロシを見つけたため、話は中断されました。
Φ
『散花の眠り』には多くの人々が集まっていました。花を手に、神妙な面持ちで佇んでいました。
私たちも一輪の花を渡され、頂上にいるハナカゼたちを見やります。
王様が口を開きました。
「四十五年前! 賢者ヨシノ様は悪魔王を討ち取った! 後世に語り継がれる英雄譚だ! けれど、だからこそ、私たちは我らが罪を後世に語らなければならない」
多くの人が目を伏せました。
「英雄でなき我らは弱かった。戦うことはおろか、悪魔に与するものさえいた! そして我らはあろうことか、賢者ヨシノ様に罪を犯させた。ソメイ様の命を奪ったのだ!」
式典が始まる前に聞きました。
師匠の像は悪魔王を討ち取ったことを讃えるだけでなく、自分たちの罪を償うために建てた慰霊碑だそうです。
そして、師匠の像の周りに咲き誇る芝のように広がる薄紅の花は、ソメイの分霊に一番似た花だそうです。
多くの人が自らの罪から目を逸らそうとした結果、薄紅色の可愛らしい花だということしか伝わらなかったそうです。
訴えかけるように続いた王様の言葉は、ふっと静かな風が吹いて止まりました。
そして、とても静かで柔らかく厳かな声音が響きます。
「ゆえに、我らが償いを、感謝を、祈りを、花に捧げる」
強い春の風が吹き荒れました。ハナカゼとサキの風の魔法でした。
人々は手に持っていた花を春の嵐に捧げました。
そして春の嵐は『散花の眠り』に咲き誇る多くの花々を散らしながら、空高くへと舞い上がっていきます。
多くの人が祈り手を組み、目を閉じ、頭を垂れました。
散って舞い上がる花びらに祈りました。その悲しくて寂しくも、美しいその姿に静かに強く想いを託しました。
そして。
「おはなさんがいっぱいあらわれるの!!」
「っ、これは!?」
「なんと、美しいっ」
「祝福じゃ……」
多くの人にどよめきが広がりました。
なんと、『散花の眠り』の花畑から沢山の花の微笑みが現れました。
その数は優に千を越えていて、色々な種類の分霊を抱えていました。
タンポポ、チューリップ、ミモザ、エリカ、コスモス、アネモネなど花畑に咲いていた花々はもちろん、紫陽花やマリーゴールドなど季節外れの花を抱えている子もいます。
それはまるで幻想的で、宙に咲く花畑のようでした。
「アハハハ! くすぐったいの! おどってほしいのね! おどりましょ!」
花の微笑みは舞い上がる花びらに赦しを与えるかのようにキスをしたあと、花畑にいる人たちを取り囲みました。
囁くように近づき、くるくるとまわって飛び、頬ずりするように触れてきました。可憐に飛び回り、微笑みます。
イナサは目を輝かせ、ズンチャカトッテンズッチャッチャ、と彼らと共に踊りだします。
人々はそれにつられるように踊りだしました。
「〝我が想いは一輪の咲い――想花〟」
一輪の蒼夢花を咲かせ、セイランに差し出しました。
「セイラン。私たちもどうですか?」
「……喜んで」
セイランの金の御髪に蒼夢花を飾り、私たちは踊りました。
手を合わせ、ステップを踏みました。ちょっぴり優雅で、けれどずんちゃっちゃな私たちらしい踊りでした。
セイランがクルッと回ります。
タンポポの刺繍が施されたワンピースがふわっとたなびき、タンポポのイヤリングが揺れます。
花の髪飾りと蒼夢花が彩るその綺麗な髪も美しく揺れ、それに感動したのか花の微笑みたちが近づいてきて、彼女の髪に何度もキスを落としていました。
「ん? どうしたのだ? そんなにアタシの顔をみつめて」
「花がとても似合うなと思っただけです」
「……そうか」
鍛え抜かれた身体や右頬の傷など、歴戦の戦士としての風格。佳麗な雰囲気や顔立ち。とても強くてカッコいい、私の大切な人。
だからこそ私は十二年近く一度も見たことのなかったそのワンピース姿に少し面を食らいました。その結わえられた髪が揺れる姿に呆然としてしまいました。
けれど、やっぱり、その蒼夢花のように凛々しくもタンポポのように可愛らしい笑みを浮かべる彼女は、花がとても似合う人でした。
これまでも、そしてこれからもずっと、そうなのでしょう。
師匠がどうして私に女性に花をプレゼントするように言いつけたのか、詳しいことは分かりません。
想像することしかできないのです。
けれど、私はその師匠の言いつけのおかげでセイランと旅をすることができ、彼女に似合う花をプレゼントすることができます。
今はそれを深く感謝しました。
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