第17話 温泉と夜空
冬になりました。
私たちは土砂崩れなどから魔機車を守り、その撤去に貢献したということで、鉄道を運営している北側諸国連盟協会とやらから表彰をいただきました。
そしてまた、温泉街に招待されました。貴族たちや他国の王族すらも湯治にくるほど有名な場所だそうです。
長旅で疲れていることもあり、遠回りになりますが私たちは温泉街でゆっくりと休むことにしました。
「なんとも風情のある場所じゃ」
「静かでいいところだ」
「そうですね」
「かわさんからもくもくさんがでてるの!!」
夕方の薄暗くなった頃。
高級感のある魔機車を降りた私たちは目の前に広がった光景に息を飲みます。
山の中にぽつんと存在する温泉街。天灯にも似た、宙を浮く魔法具のランタンによって幻想的に照らされていました。
エルフの建築様式に少し似た木造の建物が立ち並びます。絢爛豪華な派手さはなく、されど趣きと風情があって品のある美しさが輝きます。
温泉街の中央には川が流れ、温泉が流れ込んでいるのか湯気が昇っており、魔法具のランタンや温泉街に並ぶ宿屋などの灯に反射しています。
温泉特有の独特な匂いもこの静かで風情ある雰囲気に溶け込んでしました。
「エルドワ旅団のグフウ様ですね。お待ちしておりました」
支配人の格好をした男性に声を掛けられました。
「私はユモトと申します。北側諸国連盟協会様よりグフウ様たちの案内を仰せつかっております」
「よろしくお願いします」
私たちはペコリと頭を下げました。
早速ユモトの案内で私たちが泊まる宿に案内してもらいます。温泉街の中で一番高く、一番奥にありました。
「……少し懐かしですね」
黒の瓦が特徴的な二階建ての大きな木造の宿でした。
ユモトが口を開きます。
「この宿は賢者ヨシノの遺産の一つ。『星屑の隠れ家』をモチーフに建てられた宿でございます」
師匠の……。どうりで、どこか懐かしさがあるわけです。師匠と共に暮らしていた家にどことなく似ているのです。
「こちらへどうぞ」
「む? ここじゃないのか?」
「はい」
等間隔に並ぶ平らに削りだされた石を足場にして、木々の間を歩きます。いくつかの魔法具のランタンが淡く足元を照らしていました。
「グフウ様たちがお泊りになるのはこちらの離れでございます」
先ほどの二階建ての木造と同じ様式で建てられた、こじんまりとした小さな平屋がありました。
引き戸を開き、玄関に入ります。靴を脱ぐ様式なのでしょう。玄関よりも床が一段と高くなっています。靴を脱ぎました。
ユモトが目の前の紙が一面に張られた引き扉を開きます。
「ほう。草を編んだ絨毯、いや床か?」
「いいにおいがするの!!」
「畳です。ヒモトの床材でございます」
畳とやらの匂いが充満し、黒の木材を柱が特徴的な落ち着いた雰囲気の部屋でした。机や椅子も全て黒の木材で作られていました。
「……黒檀か。しかも、樹魔だな。いい木だ」
「そうなのね」
黒の木材の柱に触れ、セイランは嬉しそうに口許を綻ばせます。イナサも同じように黒檀の柱に触れて、目を細めています。
エルフの感性にどこか触れるところがあるのでしょう。
それからユモトからいくつかの説明を受けました。
「では、ごゆっくりとおくつろぎください」
ユモトは頭を下げて部屋を出ていきました。
「じゃあ、これからどうしましょうか?」
「まずは温泉だろう」
「そうじゃな。ここはどうやら温泉に入りながらお酒を飲めるらしいと聞いたことがある。楽しみじゃ」
「それは、なんと!」
俄然楽しみになりました。
「お前ら……」
「やれやれなのね」
離れにも露天風呂がありますが、男女で分かれていません。
私たちは本館の方の温泉に向かいました。セイランとイナサと別れ、男湯に入ります。
服を脱いで、脱衣所の扉を開きました。むっと蒸気が私たちの前に現れます。
「いい景色ですね」
「夜空と湯気の『こんとらすと』なのじゃ」
石風呂がありました。
ちょっとぬめりのある岩床に、冬の寒々しい夜の外気を押しのけるように立ち昇る湯気。
そして空には冬の星々が広がります。少し視線を落とせば、魔法具のランタンで淡く照らされた温泉街が見え、視界の端には偉大で静寂な森が広がります。
その景色に感嘆しながら私たちは湯船で体を洗いました。
そして温泉に浸かりました。
「気持ちいですね」
「うむ、よいものじゃ」
故郷の温泉よりもぬるいですが、これはこれで心地の良い熱さです。ぬめりが少なくさらっとした温泉水に身体も心もホカホカになります。
疲れが流れ出していきます。
しばらく温泉を堪能していますと、オロシが口を開きました。
「ところでグフウ殿。そろそろ」
「そうですね。頼んじゃいましょう」
湯舟から上がって水気を落とし、脱衣所へと向かおうとしました。
「いてっ」
「これは、魔法の矢文じゃな」
魔力の矢が私の頭に突き刺さりました。矢筈には魔法の文字が括り付けられていました。セイランの魔力です。
『ほどほどにしとけよ』と書かれていました。
「……最初からそのつもりですよ」
「……そうじゃそうじゃ」
私たちはちょっと小さな声でぶつくさいって、脱衣所に併設されたカウンターでお酒を受け取りました。
Φ
翌日。私たちは温泉街に繰り出しました。
貴族たちが保養で訪れる場所なので、温泉街も小さく、そう遊ぶところも少ないです。片手で数えられるほどのお店を巡り、昼食を食べ、山々と温泉街を眺めながらゆったりとした雰囲気を楽しんでいました。
イナサはいつの間にか仲良くなった同じ年頃の貴族の子女たちと追いかけっこをしていました。ゆっくりするより、体を動かしたい年頃なのでしょう。
私たちはお茶と温泉饅頭を食べながら、温かく見守っていました。
「パパ、ママ、オロシ! あちしはやまにぼうけんしたほうがいいとおもうの!」
イナサが四人の子どもたちと一緒に私たちのところに駆け寄ってきました。
「唐突にどうしたのですか?」
「ドワーフのおっさん! しってるかっ! あのやまにはひみつのしーくれっとおんせんがあるんだぜ!」
「すっごくたいせつないせきもあるっていってた!」
「とうさんたちがいってたんだ!」
「でも、あぶないからいっちゃだめだって! オトナたちはずるいですわ!」
「パパたちつおいもん! おんせんもいせきもぼうけんよ!」
どうしますか、とセイランとオロシを見やります。
魔力探知で探った限り、山にはそう強い魔物はいません。私たちであれば、子どもたちを守りながら、秘密が重言した温泉にもたどり着けるでしょう。
オロシは少し悩み、セイランはカカッと笑いました。
「冒険か。それはいい」
「いいのっ!?」
「ああ。なんせ、アタシたちは六月灯冒険者だからな。冒険の専門家と言っても過言ではない」
子どもたちの親の貴族たちに冒険者ギルドカードを見せました。何故か驚くように立ち上がり、握手を求められました。
なんでも、私たちがエルドワ合戦の総大将をしていたことや五頭蚓を倒したことを『新聞』と呼ばれる色々な情報をまとめた紙で読んで、ファンになったとか。
ともかく、数人の護衛とメイドも同行する条件のもと了承をいただき、私たちは子どもを連れて山に行きました。
……大変でした。
イナサと同じ年頃の子どもたちは、それはもうヤンチャでした。もちろんイナサもヤンチャでした。
冒険が楽しいのか、あっちにいったりこっちにいったり。興味は直ぐに移り変わり、走り回り、こけて泣いたり、時に喧嘩したり。
色々ありながらも、私たちは山の頂上にたどり着きました。
「これがひみつのしーくれっとおんせんなのね!」
「いせきもあるですわ!」
「かっけー!!」
「おれたちぼうけんしたんだ!!」
天然の温泉と古びた遺跡が山の頂上にありました。
山の頂上に温泉なんて珍しいなと思いつつ、私たちは遺跡に入ります。
「なんにもねー!」
「でっけーへや!」
「じめっとしていやですわ!」
「ん……?」
何にもない大きな部屋が一つあるだけでした。イナサは少し首を傾げていましたが、直ぐに他の子どもたちと同じく「つまらないの」と興味をなくしていました。
その後、泥だらけのイナサたちを温泉に入れました。
メイドやオロシたちに子どもたちを任せ、私は少しその場から離れて遺跡に戻りました。セイランも一緒です。
「貴方も気が付いていましたか」
「当り前だろう」
私は遺跡の壁に触れました。
「……かなり高度な隠蔽と封印ですね」
「いけそうか?」
「はい。知っている術式なので」
私は数十の魔術陣を展開しました。壁の奥に刻まれた魔術陣に侵入して、その隠蔽と封印を解きます。
「階段だな。ワクワクするではないか」
セイランは楽しそうに口角をあげます。冒険やダンジョンが好きなので、興奮するのでしょう。
そして階段を下り、いくつかの罠を解除して私たちはそこにたどり着きました。
「これは……魔術陣だな」
「ええ、師匠の魔術陣です。相変らず癖のある字と術式です」
小さな部屋の床や壁にはいくつもの魔術陣が刻まれていました。
「欺瞞術式が多いですね……師匠以外に魔術を使う人なんていなかったでしょうに」
「どういうことだ?」
「魔法と違って、魔術は魔術陣を見ればどんな術なのかが全て分かります。だから、嘘の術式を混ぜたり暗号化するのです」
「なるほど……だが、魔術に詳しくなければそれを読み解くことはできないと」
「そうです。魔術は半端魔法と言われていたのなら、知識をもっている人もいなかったでしょう?」
その時代にこれだけの欺瞞術式を刻むなんて、相変らず用心深い人です。遠い未来の人を想定していたのでしょう。
「それでその魔術はなんなのだ?」
「……転移の魔術です。これと同じ魔術陣が刻まれた場所まで自由に転移できます。位相を読むに……北側諸国だけで四十箇所近くありますね。南側諸国は三十ほどですか」
「それは……やばいな」
「はい。やばいです」
魔術陣の規模からして、数百人単位を一斉に転移させるのも可能そうです。つまり悪用すれば、他国に軍隊を送って簡単に攻め込むことすらできるのです。
「とはいえ、私とナギ以外にこの魔術陣を解ける人がいるとは思えませんが」
「ナギが魔術を教えているのだ。直ぐに他の人も現れているだろう」
「……それもそうですね。隠蔽はより強固にしておきますか」
私たちは転移の魔術陣の部屋を出て、大きな部屋へと戻ります。師匠の隠蔽と封印の術式に加え、私独自の暗号と欺瞞を混ぜた魔術陣を刻み込んでいきます。
「これで、よしと。さて、戻りますか」
「そうだな。それにしても、賢者ヨシノはどうしてこんな辺境に転移の魔術陣を刻んだのだろうな。四十年以上前には温泉街なんてなかっただろうに」
「ああ、それは簡単ですよ。師匠は温泉好きなんです。シュトローム山脈にいたころも、よく温泉探しに付き合わされて大変でした。ここも温泉探しで見つけていつでも入れるようにと刻んでいたのでしょう」
「なるほど」
私たちはイナサたちのところに戻りました。
Φ
冬の夜空はやはり美しいです。木々に囲まれた離れの露天風呂の縁に腰を降ろし、開けた空を見上げてそう思いました。
「なんだ、入っているわけではなかったのか」
「足湯ですよ」
引き戸が開き、セイランが現れます。彼女は私の隣に座り、着ていた宿から貸し出された服の裾をあげて露天風呂に足をつけました。
「これはこれでいいものだな。ほっとする」
「ええ、そうでしょう」
私はぐい呑みをあおります。
「アタシにもくれ」
「ほどほどにしてくださいよ」
「お前らじゃないんだし、分かってるわ」
こんなこともあろうかと事前に用意していたもう一つのぐい呑みにヒモト酒を注いで、セイランに渡します。
こつんとぶつけて、乾杯しました。
「イナサはもう寝ましたか?」
「ああ、オロシと一緒にな。今日の冒険で疲れたらしい。ぐっすりだ」
「夕飯の時も眠そうでしたからね」
舟をこぐイナサを思い出して、私たちは小さく微笑みあいました。
セイランが夜空を見上げます。
「……冬の夜はいいな。月が綺麗に見える」
ほぅ、と白い息を吐きながら、セイランは満月を見つめました。
師匠と温泉を探した思い出が脳裏をよぎりました。あの日もこんな満月が浮かんでいました。
けれど、今、私の隣にいるのはセイランで、あの時とは全くもって違う心持ちでした。
「……ええ、本当に綺麗です」
今日の疲れも、私たちの言葉も、遠い記憶も、湯気に溶けました。九つのお月様が輝く夜空までのぼっていきました。
ちゃぷん、と湯がはねました。
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