第14話 湖の砂浜で
いくつか鉄道を乗り継ぎながらフェルトフラッシュ王国を越え、一ヵ月ほどでザール共和国へとやってきました。
「ここがターゲブーホ都市ですか」
「でっかいみずたまりさんなの!!」
「湖というのじゃ」
「これがウワサのみずうみさんなのっ?」
乗り場を降りた私たちの眼下には、夕日に照らされた赤レンガの街並みと大きな湖が広がっていました。湖は水平線が見えるほどに大きいです。
「ウンタァゲーエン湖だ。旧ターゲブーホ都市があった場所だな」
「旧?」
「五十年ほど前に悪魔王の魔法で湖に沈んだのだ。生き残った人々が再興したわけだな」
セイランの言葉に相槌をうちながら、私とオロシは満面の笑みを浮かべます。
「ともかく、ようやく酒が飲めま――」
「さっそく酒場に――」
「グフウ? オロシ?」
「「なんでもありません」」
後ろから怖ろしい声が聞こえ、直ぐに首を横に振りました。
ドワーフにとって酒は水も同然。その水を一ヵ月禁止にされていたのです。本当に辛かった。
なのに、ここでまたセイランの怒りを買ってしまっては、もっと辛くなるのです。ここは我慢です。
「はぁ、まったく」
「まったくなのね」
私たちが阿呆をやったことはセイランから聞かされているため、彼女のため息に合わせてイナサがやれやれと肩を竦めました。ジト目も向けてきます。
「こほん! はやく宿を取ってしまいましょう!」
「も、もうすぐ日も暮れるしの!」
宿を取りました。ゆっくりと休み、翌日となりました。
私たちは神々へ挨拶をするために教会に向かいました。鐘が何度も響いていて、喪服を着た人たちが教会に列をなしていました。
「葬送か」
「邪魔になりますし、挨拶は明日にしましょう」
「そうじゃな」
瞑目した私たちは併設された孤児院に顔を出し、寄付などをします。イナサはすぐに仲良くなった孤児院の子どもたちと楽しそうに遊んでいました。
対して、オロシはシスターと何やら深刻な表情で話し込んでいました。
「何かあったのですか?」
「いや、うむ。どうやら、ザール共和国の北部が荒れているようでの」
「またか」
「また?」
ため息交じりのセイランの言葉に首を傾げます。
「北部はもともと獣人の国だったのだ。それが四十年ほど前に合併してな」
「禍根が残っているというわけですか」
「そうだ。民意の上だったのだが、貴族たちの恨みが根強くてな。争いとはいかないが、面倒になっているのは間違いないだろう」
セイランは孤児院の子どもたちと楽しそうに話すイナサに視線を向けます。私たちは頷きました。
「遠回りしましょう」
「とすると、西側から回る方がよいかの?」
「いや、そっちはシュトローム山脈に近い。安全をとって東側から回ろう」
北側諸国はダンジョンが多い代わりに、南側諸国と比べて魔物の数も少なく弱いです。
しかし、魑魅魍魎の魔物が跋扈するシュトローム山脈に近い西側はその限りではないという話を、昔師匠から聞いた覚えがあります。
「では、東側から回れる鉄道を駅舎の方で――」
鉄道の切符の話をしようとしたら。
「いそいでみずうみさんにいくべきだとあちしはおもうの!」
「おうっ」
向こうからイナサが走ってきてオロシに飛びつきました。オロシが痛そうな声を上げますが、目を輝かせるイナサは気づきません。
「ぱしゃぱしゃができるってでぃーちゃんがいってたの! これはやらなければいけないことなの!!」
でぃーちゃんは孤児院の子どもの誰かでしょう。
「つまり、湖で泳ぎたいということですか?」
「そうともいうのね! あとおばけさんもみたいの! でぃーちゃんがみたの!」
「不死者はともかくお化けはいませんよ」
シスターに話を聞いてみると、ウンタァゲーエン湖にはビーチがあるそうです。秋に入りましたが、昼間はまだまだ汗ばみますから確かにいいかもしれません。
オロシもそう考えたのか、にこやかに頷きました。
セイランは、と思って視線を向けると、彼女は少し嫌そうな顔をしていました。
「どうしたのですか?」
「や、うん。まぁ、大丈夫だろう」
「何が?」
「何でもない」
セイランの様子が気になるところですが、ともかく私たちは孤児院の子どもたちに別れを告げて、ウンタァゲーエン湖へと向かいました。
「でっかいみずうみさんに、おすなばさんなの!」
「砂浜ですよ」
「すなはま! なんてココロおどることばなのね!!」
「まだ湖に入ってはいけませんよ!」
イナサは砂浜を走り回ります。きゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいます。
「それにしても湖にこんな砂浜があるのですか。海にしかないものだと思っていたのですが」
「確かにそういう現象はあるが、ここはちょっと違うな。言っただろう、魔法で沈んだと。その影響だ」
私たちは砂浜に荷物を降ろしました。
「はやくみずうみさんにぱっしゃんしたいの!」
「まてまて。まずは着替えてからだ」
土魔術でついたてを作り、近くのお店で売っていた水着のワンピースをセイランがイナサに着させます。
「よし、これでいいな」
「ママ、ありがとうなの! じゃあ、みずうみさんに――」
「まってください」
ついたての中から飛び出して、湖に駆けだそうとしたイナサを止めます。
「そのままだと、危ないです」
「う?」
「座ってください」
私はイナサを座らせて櫛で黒髪を梳かし、編み込みながらツインのお団子を作ります。セイランに借りたお花の髪留めで固定します。
「はい、これでいいですよ」
「可愛いな」
「あちし、かわいいのっ!? パパ、ありがとうなの!」
ぴょんぴょんと跳ねてイナサは喜びます。
「お二人とも凄いの。服もじゃが、髪結びなど儂にはとうてい。感謝するのじゃ」
「いえいえ」
私は首を横に振りました。オロシはその厳つい顔をにこやかに歪ませたあと。
「ふん!」
いきなり法衣を脱ぎ捨てて、一瞬で水着になります。やはり武術をしていたのか、多少は老いていますが鍛え抜かれた筋肉が太陽の下に輝きます。
「儂が一番じゃ!」
「あ、オロシ、ずるいの! あちしもっ……」
まるで子どものように意気揚々とオロシは湖へと飛び込み泳ぎ出しました。イナサが慌てて追いかけます。
「いい歳だろうに」
「元気ですね」
オロシを追いかけて湖に飛び込もうとしたイナサは、けれど行っては返す小さな波に立ち止まってしまいました。
聞いたところによれば川遊びもしたことがないということなので、イナサにとってこれが初めての水遊びとなります。
怖いのでしょう。
助けにいこうかとも思ったのですが、イナサの様子をみてやめました。彼女は強い子です。
「あのみずうみさんといえど、しょせんはみずたまりさんでしかないの! あちしのてきさんではないのね!!」
覚悟を決めたのか、イナサは小さな波を蹴りながら湖へと飛び込みました。
「…………! つめたい! あひゃは! つめたいの!!」
最初はびっくりした表情で呆然としていたイナサですが、直ぐに楽しそうに湖を泳ぎ出します。潜ったりもします。
初めてなのに上手に泳ぐイナサに少し驚きますが、考えてみれば彼女はハーフエルフです。自然の申し子で泳ぐのも得意なエルフの血をひいていると考えれば、そうおかしなことではないでしょう。
凄いことには変わりありませんが。
「じゃあ、私も泳ぎますか」
「え、お前も泳ぐのかっ?」
セイランが驚いた声をあげます。
「あ、もしかしてドワーフだから泳げないと思っていますか? 残念でした。貴方たちみたいに素早くは泳げませんが、昔師匠に教えてもらって泳げるようになったのです」
「そ、そうか……」
セイランは少し残念そうに目を伏せます。私は少し首を傾げました。
「貴方は泳がないのですか?」
「あ、ああ。アタシはちょっとな。冷えやすいし」
「え? 冬でもあんなにポカポカな筋肉湯たんぽの貴方が寒い?」
「おい、グフウ。死にたいならそう言え」
セイランが拳を握りしめます。慌てて弁明して、魔術で創った蒼夢花をプレゼントして機嫌を直してもらいました。
「まぁ、アタシの事は気にするな。荷物も見てるから好きなだけ泳いでこい」
「ならお言葉に甘えて」
私も湖に飛び込み、師匠に教えてもらった『こぼりりゅう』という特殊な泳法で泳ぎまくりました。
Φ
「いまからここにおしろさんをたてるの! おヒメさまのおしろなの!」
お昼も過ぎた頃。砂浜にイナサの言葉が響きます。
「チーちゃんはこのとうをおねがいするの! ここはおうじさまのおヒメさまがぎゅっとするすっごくすごーくたいせつなところなの! チーちゃんのそのかくしきれないおヒメせいぶんがカギをにぎるの! まかせたの!」
「あらあら。これは気合を入れなくてはいけないわね」
イナサの言葉に、わずかに緑みの帯びた青の瞳が特徴的な犬人のお婆さんのチグサが頷きます。
「いつの間にか仲良くなってしまいましたね」
「イナサは人見知りしないからな」
「あの子の母に似たのじゃろう」
いくらイナサが上手に泳ぐとはいえ、まだ四歳の幼子です。魔力探知も水の中だと効きづらいのもあって、完璧な安全を確保できません。
なので、遠く深くまで泳ごうとしたイナサを止めました。
しかし、イナサにとってみれば泳ぐのがすっかり楽しくなっていたところに水をさされたのです。
彼女はむくれてすぐに砂浜へとあがってしまいました。
そして僅かな時間で砂浜に遊びに来ていたチグサと仲良くなり、砂でお城を作り始めたのです。
チグサへ自己紹介して魔術で作った花を贈ったあと、私たちも砂遊びに混じろうかと思ったのですが、イナサの「あっちいってなの!」の一言で追い返されてしまいました。
先ほどのことでまだ腹を立てているようです。仕方ありませんので、遠くで見守ることにしました。
「ふぃ! かんせいなの!!」
太陽が一番高いところにのぼったころ、砂のお城は完成しました。
「お昼にしましょう。チグサさんも一緒にどうですか? 先ほど、腕にかけて作ったのです」
「あら。じゃあ、お言葉に甘えましょうかしら。お昼ご飯、楽しみだわ」
チグサは実に可愛らしい笑みを浮かべました。くちもとのしわがよって、柔和な微笑みが強調されます。上品な方です。
大きな革の布を砂浜に広げ、靴を脱いで座ります。イナサが砂遊びしている間に材料を買って、土魔術の台所で作った料理を広げました。
卵とたっぷり野菜のバケットサンドやミニハンバーグ、鶏肉の揚げ物にベーコンと無花果の炒め物、夏野菜の煮込み料理、キノコと魚のスープなど。フルーツジュースや梨のタルトもあります。
「あらあら。グフウさんはすごいのね。シェフの料理みたいだわ!」
「ふふん! パパはすごいの!」
食事の挨拶をして食べ始めます。
「ん! とっても美味しいわ!」
「うむ。やはりグフウ殿の料理はうまいの!」
「あちしもほっぺがなくなるほどおいしいとおもってるの!!」
「喜んでくれて何よりです」
チグサとオロシ、イナサが大きく目を見開き、美味しそうに食べます。セイランは黙々と、けれどとても美味しそうに食べています。
嬉しいです。
「ところで、あちし。ちーちゃんにききたいことがあるの!」
「あら、なにかしら?」
上品に頬に手をあてて、ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべるチグサ。
「そのふくにかくしているのは、ずばりおヒメさまのほうせきだとおもうの! つまり、チーちゃんはむかし、おヒメさまだったの!」
「あら……! それに気づいちゃうなんて、流石はイナサちゃんね」
「ふふん!」
鼻を高くするイナサに微笑み、チグサは首に下がったペンダントに触れます。黒のワンピースの下に隠れていたのは、鈍く光る藍色の宝石でした。半分が欠けていました。
「きれい!!」
「藍輝石というのよ」
「あいきせきね! きちんとおぼえるの!」
キラキラと目を輝かせて藍色の宝石を見つめていたイナサは、けれど首を傾げます。
「みゅ。はんぶんないの。もしかして、おっことしてしまったのね? もうはんぶんをさがさないといけないの!」
「あらあら。そうあわてないの。これはもとからはんぶんなのよ」
「みゅ? じゃあ、もうはんぶんはどこにあるの?」
「あそこよ」
チグサは湖を指しました。
「あの湖の底にあるのよ。セイジさんが忘れちゃったのよ。だから、探さなくて大丈夫よ。ありがとうね」
「そうなのね……」
どこか諦めたような透明な微笑みにイナサは一瞬だけ目を伏せたあと。
「じゃあ、あちしがいまからひろってくるの!!」
そう強く宣言しました。
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