第12話 夜明け前の魔機車
魔法具の街灯が夜空の下の乗り場を淡く照らしていました。
欠けた月はとっくのとうに地平線の彼方に沈み、儚く輝く星々だけが夜空を彩ります。
「珈琲だ」
「ありがとうございます」
毛布をかぶって眠るイナサと一緒にベンチで待っていると、セイランとオロシが珈琲を手に戻ってきました。
珈琲を受け取り、私は隣に座ったセイランに尋ねます。
「もうすぐですか?」
「三時半出発だったから、ええっと」
セイランが星の位置で時間を算出する前に、オロシが懐から懐中時計を取り出します。白の法衣の上から羽織った黒のコートが袖がぱさりと揺れます。
「あと三十分ほどじゃ」
「……そうだな」
セイランは行く場が失った口の動きを紛らわせるかのように、珈琲が入ったカップに口をつけます。
「いい加減、新しい時計を買いましょうよ。貴方の大好きな魔法具ですよ?」
「アタシは時間ではなく、風に生きたいのだ。匂いや音に忠実でありたいのだ」
「なんとも優雅で含蓄に富んだ言葉じゃ。儂もそう言えるようになりたいの」
「見習わなくていいですよ。拗ねて意地になった子どもの言葉です」
「違うぞ」
「違いませんよ」
数年前、ある市場で一目ぼれして値切りに値切って買った懐中時計を、翌朝寝ぼけて握りつぶしてしまい、「時計なんてエルフの使うものではないのだ!」とずっと拗ねているのです。
恥ずかしそうにそっぽを向く彼女は、本当に子どもっぽくて可愛らしい人です。
私はただ肩を竦めて珈琲に口を着けました。
「……蒸留酒の珈琲カクテルですか。甘い樹液も混じっていますね」
「ん? ああ、カエデの蜜だ。ドワーフが店主をしててな。ブランデーも売っていたから、お前のとオロシのはそっちにしたのだ」
「ありがとうございます。それにしてもドワーフがこれを。どおりで腹の底から温かくなる味です」
「うむ。素晴らしい酒じゃ。旨い」
夏の真っ只中ではありますが、夜中は少し肌寒いです。
湯気を立てる珈琲をズズッと飲んで温まっていると、夜の静けさとゆったりとした空気に満ちた乗り場がにわかに賑やかになります。人が増えてきたのです。
そして遠くからブォォォォーと夜の静寂を切り裂く低い笛の音が響きました。警笛です。
乗り場にいた人が線路から離れ、闇夜に溶け込むほど黒々としたトロッコが飛び込んできます。
「……まきちゃさん」
気持ちよさそうに寝ていたイナサが目を覚ましました。
魔法機関車――魔機車の名を呼び目をこすります。私たちに顔を向け、直ぐに視線を外して夜空を見上げます。
「……まだまだおねむするじかんなのね。あちしはいいこなの。おやちゅみなちゃいなの」
「はい、おやすみなさい」
魔術でイナサの周りに騒音を軽減する結界を張りました。
「ファールカルテ行き! 北エルドワ第三宿場街発、ファールカルテ行きー! これよりご乗車頂けますー! 既に切符をお持ちの方はご乗車の際に提示をお願いします!」
駅員の声が朗々と響きます。停車した魔機車に続々と人が並びます。
「乗りますか?」
「切符は指定席だ。空いてからでいいだろう」
「急がば回れじゃな」
「ちょっと意味違いませんか?」
私たちはゆっくりと珈琲を飲み干しました。
「そこのひと。切符はお持ちですか?」
特徴的なコートの制服と帽子を被った駅員が声をかけてきます。
「そろそろ乗りますか」
「そうだな。大人三人と子ども一人だ」
「老人は割引にならんかの?」
「なりませんよ。……確認しました。確かに大人三人と子ども一人で」
駅員は二股に分かれた手のひらサイズのハンコで切符を挟み押印します。その可動の仕方からしてハンコの根本にはバネが入っていて、挟みこむようになっているでしょう。
「ああ、これはチケッターっていう道具ですよ」
「そうなのですか。教えていただきありがとうございます」
興味深く見ていたら、駅員が親切に教えてくださいました。
駅員に礼を言い、私たちはベンチから立って魔機車に乗り込みます。
「イ、ロ、ハ、ニ……ここだな」
「ホとヘの壱と弐ですね」
天井に吊るされた魔法具のランプが淡く照らす車内で、向かい合った横座席の上部の端についた数字の意匠の細工を確認します。
黒のコートを脱いだオロシがイナサを座席に座らせている間、私は自分とオロシたちのトランクを座席の上の棚に置こうとします。
「……アタシがやるぞ?」
「大丈夫です!」
棚は多少高いですが、グッと爪先立ちすればどうにか届きます。トランクを置きました。
ローブを脱いで窓側の座席に座ります。セイランが隣に座り、向かい側にイナサとオロシが座ります。
「ファールカルテ行き、ファールカルテ行き。まもなく出発します」
どこからともなくそんな声が聞こえると、シューヴォッボォーと音が響き魔機車が振動し始めます。
キーッと金属をこすり合わせる音と共にガタンッと魔機車が動きだしました。
最初は頼りなくどこか不気味な音を発していた魔機車は勢いに乗り始めると軽快にガタンゴトンと揺れます。
窓の外を見やります。
「真っ暗ですね。何も見えないどころか、自分の顔が見えます」
「そうだな。まだ夜の三時半だ」
セイランがそういうのと同時に、グーと音が鳴ります。オロシでした。その厳つい顔には似合わない、お茶目な笑みを浮かべます。
「どうやら儂の腹は少々早起きのようじゃな」
「私も同じですよ。ペコペコです」
「夕飯も寝るのも早かったからな。早いが朝食にしよう。車内に売っているらしい」
「では、儂が席守をしよう」
せきもり……。言葉の響きからして、墓守をもじったものでしょう。つまり、眠っているイナサとトランクを見ていると言っているのです。
「欲しいものはありますか?」
「グフウ殿とセイラン殿のセンスにお任せするのじゃ」
「一番難しい注文をするな」
私たちは苦笑しながら席を立ち、揺れる車内を移動して最後尾の車両に行きます。
そこはちょっとした食堂になっていました。いい匂いがただよい、チラホラと人が食事をしていました。
「グフウは何にする?」
「そうですね……」
カウンターの上に貼られたメニュー表を眺めます。
「ヒモト酒があるじゃないですか!」
十年以上前にハーフエルフが営むおでん屋で一度だけ飲んだ酒。確か、極東の島国、ヒモトのお酒だったはず。
あれはとても美味しいお酒でした。
「朝食だっていうのに最初に目につくのが酒か。ドワーフめ」
「そういうセイランは何にするのですか?」
「そうだな……! 歩きキノコのソテーがあるじゃないか! それに幼樹魔と山葵の和え物も!」
「うえぇ。木の枝を食べるのですか?」
「そんな顔をするな! とても美味いのだぞ!」
興奮するセイランに呆れます。
「じゃあそれと絶叫人参のサンドウィッチと、熊肉と琥珀の煮物でいいですか?」
「前者はともかく後者はイナサとオロシが食べられないだろう。お腹が痛くなるぞ」
「私が食べるだけですし、いいじゃないですか」
「それもそうだな。あとまだまだ足りないから、穴堀蜂とレンコンの串揚げに爆発トマトの味噌汁も追加するか。それと子どもが好きそうなのは……」
「イナサはまだ寝ているので、後でいいのでは? 冷めてしまいますし」
「そうだな。じゃあ、飲み物は若葉と今日の気分の一つまみ茶でいいだろう」
「私はヒモト酒を頼みますよ」
「何度も言わんでいい」
店員に朝食を注文し、お盆に載せてオロシたちのところに戻ります。
「いっぱい買ってきましたよ」
「おぉ。豪勢な朝餉じゃのぅ。旨そうな匂いが鼻の奥でバンバン暴れるのじゃ」
お盆は浮遊の魔法が込められた魔法具でして、壁際に垂れさがった紐に括りつけて固定し、空中に浮かします。
「いただきます」
「森羅の恵みに感謝を。我らは自然の一部となりて命を享受する」
「神々よ。願わくば我らを祝し、また御恵みによりて食す賜物に慈悲と祝福をお与えください」
食事の挨拶をし、食べ始めました。全部美味しいです。
「……枝を食べるのに抵抗はありましたが、これは柔らかくて美味しいですね」
「だろうっ? 幼樹魔の枝はとても美味しいんだ」
「ええ。それに山葵の辛さがほどよく利いて……ああ。香り高いヒモト酒に合いますね」
ヒモトのコップのお猪口をあおりました。グビグビ飲めます。
「グフウ殿。儂にも一口、くれんかのぅ?」
「ん? ああ、いいですよ」
徳利と呼ばれる、首が細く下部が膨らんだヒモト国独自の容器からお猪口にヒモト酒を注ぎ、オロシに渡します。
オロシは穴掘蜂とレンコンの串揚げを食べたあとに、お猪口をあおります。
「カーッ! 旨いのぅ! これは最高じゃ」
一口と言っていたのに、全部飲み干しましたよ、この人。しかし、まぁ、美味しそうに酒を飲むので許しましょう。
私はオロシとヒモト酒の良さを語り合い、飲みあいました。
窓の外を眺めます。
「何か見えるか? 水の音が聞こえるが」
「どうでしょう。相変らず真っ暗ですが……あ、橋の上を走っているようですね」
「じゃあ、河を越えているのか」
「そのようです」
私は窓の外から視線を外し、車内を見渡しました。目の前に朝食にも視線を落とします。
「それにしても、私たちの国に近いとはいえ、こんな豪華な食事が手軽に食べられたり、鉄道が北側諸国の国々に繋がっていたりするのを考えると、凄い発展をしていますね。南側諸国とはえらい違いですね」
「そうだな。十数年前までは絶え間ない戦火と廻命竜、六匹の大悪魔の暗躍で多くの国々がボロボロだったのに、少し見ない間によくここまで……」
セイランは少し遠い目をします。酒も飯も旨いと上機嫌だったオロシが厳かな表情で口を開きます。法衣を纏っていることもあり、威厳に満ちています。
「……こう発展できたのはセイラン殿が六凶星の大悪魔を討ってくれたのはもちろん、廻命竜を討伐したエルフとドワーフが北側諸国の復興に尽力してくれたからじゃ。鉄道もその時敷かれた」
それに、とオロシは付け加えます。
「賢者ヨシノの遺産もあった。神敵となって討たれてしまった彼女であるが、その功績が、ありとあらゆる遺産が決して無になったわけではない。魔法に哲学、食文化など。数えきれないほどの彼女の功績の上に儂らは立っている」
「……そうだな。アタシも彼女が築いた魔法学や生物学から多くの事を学んだな」
「師匠が……」
南側諸国では師匠の痕跡はそう多くありませんでした。けれど、北側諸国ならばその痕跡が深く残っているのでしょう。
シオリに会い、師匠の故郷の山の花を見つけたあとは、北側諸国で師匠の痕跡を探すのも悪くはありませんね。
「ところで、オロシさん。廻命竜はドワーフとエルフが討ったのですか?」
「む? そうであるが……」
私はセイランに視線を向けます。彼女はオロシをチラリと見やったあと「まぁいいか」と呟きました。
「確かにお前の知っての通り、廻命竜の首を討ったのはアタシだ。呪われたし、正式な後継者でもある。ただ、神代から生き悪神さえも食い殺した古竜をたった一人で討ったとなれば、面倒ごとになるのは分かりきっているだろう?」
「だから、エルフとドワーフの国が討ったということにしたと?」
「そうだな。まぁ、実際のところはヒューマンたちが勝手に勘違いしていたから、アタシがそれに乗っかっただけなのだが」
面倒ごとは嫌だからな、とセイランはうそぶきました。
オロシは大きく目を見開き、口をパクパクとしていました。唖然という言葉がとても似合っていて、しばらくは再起しそうにありません。
「むみゅ……いいにおいがするの」
イナサが目を覚まします。目をこすりながら、目の前に浮く私の朝食が載ったお盆を見やります。
「っ! おいしそうなのをたべてるの! あちしだけなかまはずれなのね! ずるい! あちしもたべるの!」
「あ、ちょっ! それは――」
子どもは時に機敏な動きをします。
止める暇もなく頬を膨らませたイナサはスプーンをかっさらい、あろうことか熊肉と琥珀の煮物を口に運んでしましました。
「エルフの血が半分入っているとはいえ、琥珀は毒だぞっ!」
「い、イナサ! ぺっしなさい! ぺ、ですっ!」
「いや、たべるの!!」
「ああっ!!」
イナサは熊肉と琥珀の煮物を飲みこんでしまいました。
結果、イナサはお腹を壊してしまい、「いたいいたいさん、つらいの!」と泣いてしまいました。
頼まなければよかった。
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