第8話 エルドワの歴史と新しい選択
翌朝。いつものように、朝日が昇る前に目を覚ましました。
洗面所で顔を洗い、髪とひげを整えてオシャレに結わい、耳を覆う黒魔鉄を布で磨き上げます。
シャツとズボン、ローブで身を包みます。
「さて、セイランを起こしますか……って、いないのでした」
セイランはお姉さんの家に泊まっているのです。
「……散歩でもしますか」
どうにか溜息を飲みこんで、街を散策しようかと思い立って家を出ました。気晴らしになれば、と思いました。
煉瓦や金属、液体を凝固させた灰色の土で建てられた家々が均一に区画されて並ぶ住宅街を抜けて、中央の広場に出ます。
「相変らずエルフの家は区画整備もロクにされていませんね」
エルフの居住区には幹の太い樹が自然的に、つまり無造作に並んでいました。幹には窓がついていたり、上にこじんまりとした木製の家が建てられています。
全てエルフの家です。彼らは幹の太い樹の洞や、樹木の上に建てた家で暮らしています。
そのため、家の場所や形は樹の生長具合に左右され、建築の美学の欠片すらない家が乱雑に並ぶのです。
彼らに言わせれば、樹が自然的に生える場所に従って家を建てているのだからドワーフの建築より自然的で美しいとのことですが、極められた合理的な建築技術をロクにもたない野蛮人の戯言など聞く必要はありません。
「今、物凄く侮辱された気がするが」
「そうでしょうか?」
後ろを振り返ります。セイランがいました。どうやら考えていたことは同じだったようです。
「こんな朝早くによく一人で起きれましたね。偉いです」
「……姉さんに叩き起こされたのだ」
「そうですか。〝土は我が想いに応えその意思を示す――土操〟。はい、座ってください」
「……ん」
土で作った椅子にセイランを座らせました。
「〝我が月と花をその水面に映し給え――水鏡〟」
魔術の水の鏡がセイランの姿を映します。
寝ぐせをはね散らかした髪に、眠たそうな酷い顔、寝間着ではないもののセンスの欠片もない適当な服。
本当にひどい格好でした。
「私がいないと朝の支度もできないのですか」
「……うるさい」
小さく唇を尖らせるセイランにバレないよう頬を緩ませながら、私は水魔術で水の球体を作り出しセイランの顔を洗います。彼女から渡された櫛でその美しい短い金髪を整えて寝ぐせをなくします。
「イヤリングは?」
「もってきている」
ノイバラモチーフのイヤリングを、セイランのその長い耳につけてやります。水の鏡を見ながら、彼女は嬉しそうに口許を誇ろばせました。
いつもの、十年以上続いてきた朝でした。少し前に飲みこんだ溜息は消えていました。
「じゃあ、朝の訓練でもするか」
「そうですね」
セイランは腕輪に〝変化〟させていた大剣と巨斧を元に戻します。私も同様に指輪から大杖へと戻して構えます。
防音の結界などを張って、私たちは朝の訓練を始めました。
Φ
訓練を終えて家に戻り、既に用意されていた朝食の席に着きました。
「じっちゃん! すごい顔! 真っ赤っか!」
父の頬が赤く腫れていました。隣に座っていたハクボ姉さんが耳打ちをしてきます。
「ハガネ父さんが国境警備の人に口利きをして、アンタの手紙を差し押さえてたのよ」
「手紙って、私が毎年送っていた?」
「ええ、それよ。前々からハガネ父さんがアンタの捜索を急に打ち切ったことでおかしいなって思ってたの。そして昨日のアンタの言葉。カエデ母さんと一緒に問い詰めたら白状したわ。で、カエデ母さんが打ったわけ」
母さんの方を見やれば、昨日と同じように柔和な微笑みを浮かべていました。が、よく見ればそのおっとりした目の奥は笑っていませんでした。
一度だけその目を見たことがあります。確か子供の頃、私が同年代のドワーフに酷くからかわれた時です。
「……馳走だった」
「ハガネさん~。食器はキチンと片付けてよね~。それと、今夜のお話を忘れないでよ~。絶対に、お酒も飲まずに帰ってらっしゃい~」
「……」
父は無言で食器を片付け、逃げるように家を出ていきました。昨日言っていた祭りについて詳しく聞いていないのに。
「それについては私が案内するわ」
「ハクメイは?」
「カエデ母さんとあとから祭りにいくわ」
ハクボ姉さんは母さんと一緒に洗濯物を干していたハクメイに視線を合わせます。
「ハクメイ。ママは仕事に行ってくるから、またあとでね」
「ん! 母さん頑張って!」
「ええ。カエデ母さん。ハクメイをよろしく」
「任せて~」
私たちは家を出ました。
「そうだ。その祭りとやらに向かう前にセイランと合流してもいいですか? 実は広場で待ち合わせしてまして」
「彼女もいっしょに来てもらう予定だったから、都合がいいわね」
広場の木陰でセイランは本を読んでいました。こちらに気が付き、本を懐にしまいます。
「お待たせしました」
「いや、そんなに待っていない。早かったな」
「ハクボ姉さんが仕事があるようで」
「そうか」
セイランがハクボ姉さんに手を差し出します。
「改め自己紹介を。アタシはセイランだ。グフウの仲間で共に旅をしている。よろしくたのむ」
「……え、ええ。そこの愚弟の姉のハクボよ。よろしく」
ハクボ姉さんは一瞬躊躇いながら、セイランの手を握りました。
「っ」
嫌悪感で顔をしかめて、すぐにセイランから手を離しました。
「ああ、すまない。ずっと外にいたせいで忘れていた。配慮が足りなかったな」
「……いえ、大丈夫よ。むしろ、アナタこそ大丈夫なの?」
「確かに嫌悪感はあるが、アタシの場合は廻命竜の呪いがあるからな。多少は弱まっている。それにコイツで慣れている」
「あ、ちょっと、やめてください。せっかく整えた髪がっ」
髪を撫でてくるセイランの手を払いのけます。
「……アンタも触れても平気なのね」
「え、ああ。まぁ、十一年も一緒なら慣れますよ。それに精神防御の魔術で、エルフへの嫌悪感を僅かですが軽減できますしね」
鍛冶と技巧の神から授かったエルフを嫌う祝福は、魂の因子に刻まれた神の魔力に起因するものです。
つまり広義的には魔法に分類されるので、魔術で多少は防げるのです。まぁ、多少なのでそこまでの変化はないのですが。大大大大っ嫌いが大大大嫌いに変わる程度です。
セイランも似たようなものでしょう。
「じゃあ祭りの会場に行くわよ」
「祭り? そういえば昨夜、姉さんがアタシに祭りに出ろとか言っていたな」
「セイランもですか? 私もです。一緒ですね」
私たちはハクボ姉さんの後ろをついていきます。調停館の敷地を出て、街を歩きます。北へと進みます。
「昨日以上に屋台が多いですね」
「それに外からの人もたくさんいるな」
「一年に、いや南側諸国の人たちにとっては二年に一度ね。私たちとエルフの伝統行事が見れるって、他国からかなり人たちが集まるのよ。隣国の王族もいるわ」
「そんなたいそうな祭りなんてありましたっけ?」
ドワーフとエルフが合同で行う祭りなんて記憶にありません。というか、喧嘩ばかりの私たちが一緒に祭りをやること自体あり得ない事ですし。
「エルドワ合戦よ」
「え、アレですかっ!? 年一で行われてた大抗争ですかっ!?」
「あれ、祭りじゃないだろ! 殺しはなかったが、それ以外は何でもありの無法だっただろうっ!? 見せもんにしていいのかっ!?」
ドワーフとエルフはしょっちゅう喧嘩や抗争をしていました。とはいえ、あまりにそれらが頻発しすぎてお互い疲れ気味でした。
なので、数百年前にそういった抗争や喧嘩をまとめて行うために始まったのがエルドワ合戦です。
殺しは無し。勝ち負けに恨みはなし。卑劣な真似はなし。
しかし、それ以外であればどんな魔法だろうが魔法具だろうが使って良しの一年に一度の大合戦です。普通に血なまぐさいです。腕とか吹き飛びます。
「ここ三十年近くで色々と変わったのよ」
「十年ちょっと前は大して変わってなかったが」
「変わってたわよ。貴方が気が付かなかっただけで」
ハクボ姉さんが『あっち向いてほい』で激しく競い合っているドワーフとエルフの子供たちを見やります。
「私たちはずっと子供たちにお互いを適度に嫌うように教育してきたわ」
「そうですね。幼い子供に相手を悪者にする夜話を聞かせたり、お互いの国に一日だけ泊めさせて精神的苦痛、つまり軽く嫌がらせしたり。色々ありました」
指を折って数えます。沢山あります。ムカつきます。
「旅して、憎悪をあおる文化だと分かったが。人族や獣人たちの国がしていたら、酷く殺し合っていただろうな」
「それでも理由があってやってきたわ。いえ、理由が欲しかったからしていた」
「そうですね。大人たちも、その大人たちも……ご先祖は間違ってはいないと思います」
その理由がないのにも関わらず、お互いに近づけば嫌悪感が、触れれば強い憎しみが湧いてしまう。神さまの祝福よるそれを決してなくすことはできない。
それはとても辛く苦しいことです。
そして人は感情を完璧に制御できるわけではありません。先ほどもハクボ姉さんは強い憎しみを感じて思わずセイランから手を離してしまいました。
もちろん、一切を断交するという手段もありました。けれど、ドワーフの御霊である神炉とエルフの御霊である神樹が隣り合って存在する以上、関わらずにはいられないのです。
だから、慣れさせるのです。
嫌う理由を小さい頃からお互いに与え、その理由によって感情の強さをコントロールするのです。その感情の発露たる争いを制御するのです。
飯が不味い。家の様式がおかしい。祈りが変だ。服も変だ。力が弱い。脳筋だ。とろい。貧弱だ。葉っぱだ。岩っころだ。
互いをそしり殴り合う程度の下らない理由です。
そうすることで、私たちドワーフとエルフは争いはしても、殺し合いだけはしないようにしてきました。してしまったら、後にはひけなくなるからです。
「変わったきっかけは廻命竜よ」
「そういえば、この近辺を荒らしまわっていたと聞いたような」
「アンタが家出した数年後くらいにドワーフやエルフの国、北側諸国で暴れるようになったの。十年ほど前になるとその暴れ具合も苛烈になってかなりの被害が出たわ」
「本当ですかっ!?」
「ええ。私たちに人死はなかったけど、ヒューマンたちはかなり亡くなったと聞いたわ」
知らなかった事実に驚き、瞑目しました。
「当然私たちはそんな理不尽で死にたくはなかったし、エルフたちも仲間や子を守る戦いは自然の摂理と言った。だから、頑張って協力した。互いの知恵と技術、戦力を結集して古竜と戦おうとした」
そしてハクボ姉さんはセイランにジト目を向けました。
「いざ戦おうと思った矢先、そこの狂犬葉っぱが古竜の首を一人で取ったわけだけれど。全てをかっさらわれて、もう寝耳に水よ。私たちの協力はなんだったのよ、って」
「そんなのは知らん。アタシはアタシの戦いの決着をつけたまでだ」
セイランは鼻を鳴らしました。ハクボ姉さんは「まぁいいわ」と肩をすくめました。
「結果はともかく私たちは協力した。これまでにないほど強く固く意志を共にした。そして思ったの。私たちは嫌う理由を間違えたのではないか、と」
ハクボ姉さんはこの街の防壁を指さします。ドワーフの魔法具技術とエルフの魔法技術の粋を集めた奇跡みたいに強固な防壁です。
「あれは廻命竜から子供たちを守るために作ったものなのだけれども、その時でも私たちは争った……いえ競い合ったのよ。よりよい技術でより強固な防壁を。お互いに負けてられるかって。そしてその結果、ドワーフだけでは作れなかった、想像すらできなかった凄いものがいつの間にかできたいたわ」
ハクボ姉さんは息を大きく吸って、吐きました。
「エルフの魔法技術の凄さを、その誇りを心の底から思い知ったのよ。敵わないなって。凄く悔しくて妬ましかった」
たぶん、ハクボ姉さんも防壁作りに関わっていたのでしょう。その言葉には強い実感を感じました。
「けど、妙に晴れ晴れしかったのよ。凄く嫌いだけど今まで以上に深く尊敬できた。その時のエルフたちとは……一人を除いて今でもいい関係を築けているわ。顔を合わせても口喧嘩をするくらいで済んでいる。まぁ、アンタたちみたいに触れあったりはできないけれど」
ハクボ姉さんが言いたいことを理解しました。
「つまり、嫌悪感や憎しみの理由を嫉妬や競争心に変えたわけですね」
「そうよ。互いの技術や文化で競いあわせて協力させる。凄く妬ましくて悔しくなるけど、尊敬もできる。尊敬できれば、嫌いな相手に嫌なことをされても口喧嘩するくらいで許せるようになる。今まで以上に歩み寄れる」
「……素晴らしい話だな。数十年前のアタシたちでは考えられない」
一人のエルフの子供が巨大な岩を魔法で浮かせます。それに対抗するように一人のドワーフの子が闘法で身体強化し巨大な岩を持ち上げました。
近くにいた他のエルフやドワーフも自分が一番重くて大きい岩を持ち上げられるのだと、それぞれ得意な方法で競い合っていました。
それを柔らかい眼差しで見つめたセイランはハクボ姉さんの言葉を絶賛し、「けれど」と問いかけます。
「もちろん全員ではないだろう?」
「ええ、みんながみんな変われるわけがない。いえ、変わらなくてもいいのよ。変わらないのも一つの選択だから。ただ、変わりたい人や子どもたちのために新しい関係を築ける場所を用意したかった」
「それがこの街というわけですか」
「そう。国境線上にあるエルドワ都市。南側諸国側と北側諸国側にそれぞれ一つずつ作ったのよ」
街の北側へ行くと、ドーム型の大きな建物が見えてきました。端から端まで数百メートルほどのその長円の建物は、例にもれずドワーフとエルフの建築様式が融合した姿をしていました。
入り口付近には多くの屋台が並び、ドワーフやエルフはもちろん、ヒューマンや獣人たちによってかなりにぎわっています。
人の流れからして、その建物が祭りの会場のようです。
「新・エルドワ合戦はその新しい関係を象徴するエルドワ都市の重要な行事なの。だから、アンタたちにその主役の総大将をしてもらうわ」
「「えっ?」」
そしてハクボ姉さんが唐突に可笑しなことを言いだしました。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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