第29話 いってきます
ナギが私たちの弟子になってから、九年以上もの月日が流れました。
夏も半ば。私たちは国境を越え、オストヴィンド王国の北へと歩いています。
辺りに広がるはヒダマリ花の絨毯。高く流れる白い雲と青い空の下で、可愛らしい黄色の花がザァーーと夏の熱気の孕んだ風に揺れます。
「素晴らしい景色ですね」
「そうだな」
「……そうですわね」
セイランが同意し、ナギは遠い昔を思い出すように頷きました。
その表情には、緊張がありました。恐怖も浮かんでいました。怒りも怨みも、悲しみも、そして自信も。
あと一日歩いた先が目的地なのです。この九年もの旅の最終地点になるかもしれないのです。
「セイラン様。本当にいるのですのわよね?」
「さぁな。クジラや他の情報屋、冒険者たちに聞いた限りでは、この先のヒダマリ花が群生する平原奥地にいたのは間違いないだろう。ただ、今もいるかどうか。どうもヒダマリ花の群生地を飛び回っているようだしな」
「それはどうしてですの? 竜はそう滅多に生息地を移すことはないのですわよね?」
「そうだな。アタシの廻命竜の呪いを畏れて移動しているのかとも思ったが、どうにもそうではないらしい。いくらか推察はできるが、まぁ実際に確認しないとな」
「そうですの……」
だが、とセイランは続けます。
「少なくとも、ここにいるのであれば明後日までは移動しないだろう」
「どうしてそう言い切れるですの?」
「ちょっとした嵐だ」
「……嵐。いつからですの?」
「明日の昼頃からだな。火竜属の生態は知っているだろう?」
「はい。他の竜に比べて排熱能力が高い。だから、そう長く飛ばないし、雨の場合はジッと動かず体温を保とうとする。主な理由はこれですわよね」
「ああ」
セイランは竜の専門家です。古竜を打ち倒すために、三十年も竜の生態や構造、能力などをあらゆる面で研究しつくしてきました。
そしてその知識の全てをナギへは吸収しています。
「まぁ、大丈夫だ。アタシの勘がいると言っている」
「……なら問題ありませんね。セイラン様の勘が外れたことは一度もないですし」
ナギは緊張を押し殺すように微笑んだのでした。
Φ
翌朝。朝食を済ませて野営の跡を消し、私たちは歩き出しました。
しばらくして、私の魔力探知に大きな魔力の反応がありました。
「……グフウ様」
「ええ。いますよ」
「っ」
ナギは小さく息を飲みます。
「けど、ちょっと様子が……大きく暴れているようです」
「暴れているだと?」
「はい。ちょっと待ってくださいね」
十キロメートル先なのと、焔禍竜の魔力が強大過ぎて他の魔力の情報が塗りつぶされているのです。
集中して、小さな魔力の反応も精査します。
「百、いや、万? ともかく、かなりの数のナニカが焔禍竜と戦っているようです」
「っ! グフウ様、セイラン様。急ぐですわ! ショウリョウ、お願いですわ!」
「きゅりきゅり!」
焦ったようにナギはショウリョウの背中に飛び乗り、走り出します。私たちは慌てて追いかけました。
三十分もして、それが見えました。
「ガアアアアアアアアアア!!!」
五十メートルを超える体長を持ち、火山の炎よりも燃え盛る焔を纏う巨大な竜。焔の禍いたる竜、焔禍竜がいました。
すぐ近くには魔法で即席で建てられたと思しき要塞があり、多くの兵士たちがバリスタや魔法で焔禍竜に攻撃していました。
前線に立つのは冒険者や騎士など。
果敢に焔禍竜へと立ち向かいますが、その一切合切が煌々と輝く炎によって炭すら残らず燃やし尽くされます。無情でした。
私の魔力探知は少し遠くにある街の様子を捉えていました。焔禍竜の魔力の痕跡がその街には残っていました。
襲われたのです。
目の前の兵士や騎士、冒険者たちは街を守るために、災禍の化身と戦っているのでした。
そしてナギは。
「……あぁ。どう……してっ……あしが……」
動けないでいました。走り出そうにも、まるで時が止まったかのように足が動かなかったのです。
セイランは、既に走り出していました。
「あと三十分だ。雨雲がくるっ! グフウは誰も死なせるな!」
「分かりました! 援護は任せてください!」
セイランは大剣と巨斧を抜き去り、地面に叩きつけました。つんざくような轟音と土埃がまい、クレータが生まれます。
兵士や騎士、冒険者たちはもちろん、焔禍竜もセイランに注目しました。その黄金の左眼がセイランを睨みました。右眼は閉じられていました。
「焔禍竜! このアタシが相手だ!!」
「グルアアアアア!!」
「っ。セイラン様っ! そいつはわたしが――」
セイランと焔禍竜による濃密な殺気と暴力のぶつかり合いで、ナギはようやく動けるようになりました。
そしてまるで灯へ誘われる蛾のようにその戦いへと飛び込もうとするナギに鋭く言います。
「ナギ! 貴方が今すべきことはなんですかっ?」
「っ」
「今は前線の人たちの回収と治療、撤退が優先です。魔術師として、戦士として今するべきことを冷静に判断しなさい」
「……はいですわ」
ハッと我に返ったナギは青ざめた顔で、それでも光のある目で頷き、ショウリョウと共に走り出します。
「〝響け。拡がれ。風よ。我が意志を伝え給え――拡声〟」
私は二つの魔術陣を浮かべて魔術を行使し。
『私たちは冒険者エルドワ旅団です! 焔禍竜の討伐は私たちが約束します! ですから、この場は撤退を! 嵐が来ます!』
そう言いながら、〝魔弾〟でセイランの援護を行います。また、ナギは負傷した人に治療をして魔術で要塞の後方へと飛ばし、前線を後退させていきます。
その間に私は兵士たちを率いていた領主に話をつけました。
そして嵐が訪れるのと同時に、ここにいる人たち全員に飛翔と浮遊の魔術をかけ、街の方へと撤退させました。
強く降り注ぐ雨を嫌った焔禍竜はセイランとの戦いの最中、逃走を始めました。セイランも深追いをせず、私たちに合流しました。
そして街に着き、私たちは最優先で領主の屋敷へと案内されました。兵士や冒険者たちなどについては、領主の息子さんが対応するそうです。
そして領主の屋敷に案内されて開口一番に。
「単刀直入に問う。本当にあの焔禍竜を倒せるのか」
領主、ボウカ・チュゥスが険しい表情で尋ねました。
ナギが頷きました。
「部屋を貸そう」
そう言ってボウカは立ち上がり部屋へ案内するために、扉に手をかけて開きました。
「あ」
「ショウカ! 客人との会話を盗み聞くとは! 待ちなさい!」
「とうさま! まてといわれてまつアホはいないのよ!」
ボウカの娘でしょう。七歳かそこらのドレスを着た女の子がバッと逃げました。
ボウカは慌てて追いかけようとしますが、私たちに気が付き頭を下げます。
「娘がすまない」
「いえ。大丈夫ですよ」
「……部屋へ案内しよう」
私たちはそれぞれの部屋に案内されました。少し休んだあと、ボウカのお願いもあって、領地の要人たちと夕食を一緒にしました。
皆、焔禍竜への恐怖と不安を感じていました。街の人の気持ちも代弁してくれました。
街の外には魔物もおり、雨の中逃げることはできません。
そもそも竜はとても執念深いのです。まして、禍いを冠する竜ならばなおさら。一度狙った獲物は決して逃がしはしません。
だから、彼らには戦うしか選択肢がなかったのです。
彼らは私たちが希望だと言いました。
夕食を終え、私たちは部屋へと戻りました。ナギがポツリと口を開きました。
「……グフウ様。セイラン様。手を出さないで欲しいですわ」
「はい」
「ああ」
私たちは即答します。
それが望んでいた答えで、けれどそうではなかったからでしょう。ナギは顔を歪めました。
「どうしてですのっ?」
鍛錬を重ね、極彩百魔のダンジョンのボスを一人で倒し、七歳の頃の自分から大きく成長したという自負がナギにあったのです。
けれど、それは先の再会で打ち砕かれました。
「動けなかったわたしをどうして、どうしてグフウ様たちは信じられるんですの……?」
自分への失望が、恐怖がナギの口から零れました。
「……あの」
「っ」
扉から、女の子が顔を覗かせました。ショウカです。不安そうな目で、こちらを見ていました。
ナギはハッと顔をあげて慌てて微笑みます。
「ショウカちゃん。どうしたですの?」
「お礼がいいたくて……」
「お礼?」
ショウカは私たちの前で頭を下げました。
「とうさまとか、キョカおにいさまとか、ハナビちゃんのおとうさんとか、まちのみんな……助けてくれてありがとうございます!」
「っ」
「かあさま、うそついたけどみんなかえってこないとしってた。けれど、かえってきたの。おねえさんたちのおかげなのをしっているの。だからね……ありがとう、ございます」
そしてショウカは流れる涙をこらえて、言いました。
「だからね……だいじょうぶよ。わたしたちがわるいのよ。りゅうにちかづいちゃだめっていわれてたのに、ちかづいたからこうなったのよ。おねえさんたちはわるくないのよ」
彼女はナギの手に触れました。
「おねえさんは、にげて」
「っ」
ナギはショウカをぎゅっと抱きしめました。
「おねえさん?」
「わたしはお姉さんではないですわ。勇者ですわ!」
ナギは勝気な笑みを浮かべました。手を震わせながら、けれど自信満々に笑って見せました。
だから私たちはあなたを信じているのです。
「あんな竜、この勇者のわたしがコテンパにやっつけるですわ! だから、大丈夫。明日も、明後日も。貴方の好きな人はいなくならないですわ。約束ですわ」
「やくそく……やくそく!!」
ナギはショウカと指切りげんまんをしました。すぐにメイドがショウカを連れ戻しに部屋にやってきました。
そしてショウカがいなくなり、私たちはナギに向かい合いました。少しだけ静寂が漂いました。口を開くタイミングが少しわからなかったのです。
けど、言うべきことは決まっていました。
「ナギ。ダメだったら逃げなさい」
「……グフウ様」
「冗談ではありませんよ。私たちの今までの旅を思い出してください。色々と逃げてきたでしょう」
「アタシたちより弱い魔物からだって逃げた。面倒だったり、嫌だったり、負けそうになったら逃げていいのだ。生きるのを諦めてはいけないのだ」
ナギを弟子にしてから、ずっと考えました。
正直な話をすれば、ナギが焔禍竜に勝てる見込みはほとんどありません。今でも、そしてこれからもナギは焔禍竜よりも圧倒的に弱い存在なのです。
ナギは私たちにとって、本当に我が子のように大切な弟子なのです。
彼女に死んでほしくないと思うのは当然で、何度も彼女の望みを無視して私たちがその手で焔禍竜を倒すことについて話し合ったこともありました。こっそり助ける方法なんかも検討しました。
そんな弟子のナギを尊重しないわたしたちは、師匠として失格なのでしょう。
だけど、だからこそ。
「ナギ、私たちは師匠として知識も技術も全て叩き込みました。そしてあなたは九年間で全て身に着けた」
「つまりだ。あとはお前次第ということだ」
私たちは強い信頼と誇りを声にのせました。ナギを見つめました。
「大丈夫です。鍛錬は、己と向き合って必死に積み上げたものは決して裏切りません」
「だから、あとは必要なのは勇気だけだ。そしてそれもお前に渡した。灯火は心の裡にある」
私たちはナギの背中に手をまわして、優しく抱きしめました。
「グフウ様、セイラン様……」
震えていたナギも私たちの背中に手をまわして、力を込めました。
大丈夫。貴方は私たちの自慢の弟子です。だからこそ、焔禍竜に負けることはありません。
口には出しませんが、そう優しく微笑みました。
と、セイランが咳払いします。
「まぁ、あれだ。いざとなれば筋肉がどうにかしてくれる。アタシもそれで古竜に勝ったようなものだしな」
「……ったく、貴方は。何故、こういう場面で余計なことまで言うのですか」
「や、それはだな……」
「あと、そんなに筋肉筋肉言っているのにどうして筋肉の硬さは毎度否定するのですか? それは貴方の鍛錬の成果でしょうに」
「それはそうだが、アタシの筋肉は硬くないのだ! だよな、ナギ!」
「え、あ、まぁ、はい……?」
「どうして疑問形なのだ! しっかり頷いてくれ!」
「いや、だって……」
「おい!」
つめよるセイランにナギは眉を八の字にして、けれどすぐに破顔しました。大きく笑い、先ほどまでの緊張と恐怖と自分への失望の表情はありませんでした。
しばらくして、ナギは立ち上がりました。
「今日は早めに寝るですわ」
「それがいいです」
「じゃあ、アタシも早く寝るか。おやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみですわ」
ナギとセイランはそれぞれ自室へと戻りました。
そして翌日。まだ太陽も昇らぬ時間。
「じゃあ、行ってくるですわ」
「はい。いってらっしゃい」
「いってこい」
「きゅり」
ただいまの言葉を信じて、私たちはナギを送り出しました。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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