第10話 朝と櫛
無口な旦那さんが操る荷馬車がガタンと揺れました。
「それにしても珍妙な一行だねぇ」
おっとりとした奥さんが私たちを見て言いました。
ドワーフとエルフとヒューマンの子どもの三人組です。しかも、ドワーフは魔術師の格好を、エルフは戦士の格好を、ヒューマンの子どもはメイド服を着ています。
珍妙なのは確かでしょう。
村の特産品を卸しに街に行く夫婦は、しかしそれ以上は追求しません。
「それにしても、黒髪だなんて珍しいねぇ。綺麗だねぇ」
「あ、ありがとうですわ」
おっとりとした奥さんが自分の膝の上に座らせたナギの頭を撫でます。
「けど、ちょっとカサカサだねぇ。この油あげるよぉ。石鹸作ってねぇ」
「え、それって商品なのではないですのっ?」
「綺麗な髪を艶めかせてこそぉ、油の意味があるよぉ。護衛のお礼とでも思って欲しいねぇ」
ナギが荷馬車の護衛をしている私たちに視線を送りました。
自分は何もしていないのに貰ってもいいのか? そういった視線でした。もちろん、頷きます。断る理由もありませんので。
ナギはちょっと申し訳なさそうな笑みを浮かべ、油を受け取りました。
「ありがとうですわ」
「どういたしましてぇ」
ナギとおっとりとした奥さんは少しだけ話し込む様になり、無口な旦那さんは静かにその様子に目細めながらゆっくりと荷馬車を進めます。
しばらくしてナギとおっとりとした奥さんのお話も落ち着き、悠々と歩む馬の爪音や荷馬車の車輪が回る音、風の囁く音だけが響きます。
無口な旦那さんとおっとりとした奥さんはそれに合わせて、息ぴったりに優しい鼻歌を歌い始め、ナギがウトウトし始めました。
荷馬車の護衛をしている私たちはそれに頬を緩ませ、周囲を警戒しました。
夏の昼下がりでした。
Φ
「護衛ありがとうねぇ」
「こちらこそ、ナギを乗せてくださりありがとうございます」
「ありがとうですわ!」
「いい商売ができるといいな。元気でな」
「んだぁ。そちらも元気でぇ」
夕暮れ。
私たちは街にたどり着き、夫婦と別れました。教会で神々や精霊に感謝し、孤児院に寄付をしました。
「さて、宿を取りますか」
街に入る際に衛兵に教えていただいた宿へと向かいます。
「三部屋空いてますか?」
「はい」
部屋を取りました。
その日は早めの夕食にして、各々自室で眠りました。
翌朝。いつも通り日の出前に起きた私は顔を洗い、ひげと髪を梳かし、耳を覆う黒魔鉄を磨きあげ、着替えて部屋を出ました。
セイランの部屋の扉の前に立ち、ノックをしようとして。
「グフウ様。何をしているのですの?」
「っ……ナギですか」
突然後ろからメイド服を着たナギに話しかけられ、少し驚きます。やはり注意していても気配を感じ取れませんね。
「いえ、セイランを叩き起こそうかと思いまして」
「……いつもグフウ様が起こしているのですの?」
そういえば、この街に来るまでずっと野営でしたから、ナギはセイランが朝に弱いことを知りませんでしたか。
「そうですよ。セイランは鎧を着ないで寝ると起きられないのです。着てれば規則正しい睡眠をします」
「へ?」
「まぁ、見れば分かります」
魔術で鍵を開け、部屋に入りました。
「くぉ~くぉ~」
「……凄い寝相ですわ」
薄着のセイランはベッドから上半身を投げだしうつ伏せになって寝ています。ナギが少し愕然としていました。
「セイラン! 起きてください! 朝ですよ!」
「きのこのこのこ~。やまきのこ~」
「やっぱり駄目ですね」
肩を叩いても起きません。きのこきのこと寝言を呟くだけ。というか、本当にキノコ大好きですね。いつかキノコ怪人になるとか言いださないでしょうか。
ともあれ起きないので、いつも通り杖を構えて。
「〝魔の光よ。――」
「えっ!?」
「シッ!!」
殺気を込めながら〝魔弾〟を放つ動作をすれば、セイランは飛び起きて殴りかかってきます。
それを手のひらで受け止めて、サラリとベッドに座らせました。
「おはようございます、セイラン」
「……おはよう」
以前はすぐに覚醒していたのですが、この起こし方にも慣れてしまったのでしょう。セイランは顔をしょぼしょぼさせて舟をこいでいます。
とはいえ、受け答えはできるようですので、昨晩に自分で用意したであろう服を彼女の膝の上にのせます。
「着替えてくださいね」
「……ん。ありがと、ぐふう」
私はナギを連れて部屋を出ました。
「どうしました?」
ナギが固まっていました。
「あ、その、グフウ様はいつもあんな風に起こしているのですの?」
「はい。殺気を込めながら〝魔弾〟を放とうとしないと、起きないのですよ」
「……そう、ですの」
ナギは何とも言えない目を私に向けてきました。驚いているような、呆れているような、勘ぐっているような、そんな複雑な目です。
扉が開き、酷い寝ぐせをさせたセイランが顔を出します。気迫のない眠そうな顔です。
「……ぐふう。きがえた。いつものたのむ」
「はいはい」
再び部屋に入り、水魔術で鏡と水の球体を作ってセイランの顔を洗い、髪を櫛で梳かしていきます。
その頃にはセイランの意識はハッキリと覚醒し、水の鏡越しにナギを見て言います。
「そういえばナギ。アタシが渡した服はどうした? グフウに清浄の魔術をかけてもらったとはいえメイド服は随分と汚れているだろう?」
「それがサイズが合わず」
「それもそうか。寝巻としては使えたか?」
「はい」
「ならよかった」
私はセイランが事前に用意した木箱からイヤリングを取り出します。
「グフウ。スミレのにしてくれ」
「分かりました」
セイランの耳にイヤリングをつけていますと、またもやナギが何とも言えない目をこちらに向けてきました。
セイランが首を傾げます。
「どうした、ナギ」
「いえ、その、セイラン様はいつもグフウ様にそうしてもらっているのですの?」
「ああ、なるほど。羨ましいのだな。じゃあ、ナギの髪はアタシが整えよう。櫛は持っているか?」
「持ってないですわ。というかそうではなく、ちょっと変というか、不思議だなと思っただけですわ」
「そうか? 大切な人にこうされるのは嬉しいものだろう?」
「……そうですの」
何かを思い出すように曖昧な相槌をしたナギに、セイランは冗談を言うように肩をすくめました。
「まぁ、グフウはあんまり髪と髭を触らせてくれないが」
「どっちも魔術師として、ドワーフとして大切なものですから。自分で整えたいのですよ。それに貴方の髪を整えたりするのが楽しいので、十分です」
「そうか。それはよかった」
「はい。よかったですね。……と、終わりましたよ」
「ありがとう」
長い耳に下がったイヤリングを水鏡で確認したセイランはナギにニッと笑いかけました。
「よし。じゃあ、ナギ。朝の訓練に行くか」
「朝の訓練ですの?」
「そうだ。アタシたちの日課だ。まずはこれを飲んでもらうぞ」
そうしてナギを交えた初めての朝の訓練を済ませ、宿の飯屋で朝食を取りました。
Φ
私たちは街に繰り出していました。ナギの生活用品や旅の装備などを買うためです。
予告もなく突然ナギを攫い旅立ってしまったので、彼女が身に着けていたもの以外何も持ってきていないのです。
こっそり取りに戻ることもできたのですが、大切な物はずっと身に着けているので戻る必要はないですわ、とナギが言ったため、私たちはそのまま進んだのです。
「まずは服屋だな。ナギ、どんな服が欲しい?」
「……これだけで十分。他のものもいらないですわ。お金も持ってないですし」
遠慮がちに目を伏せるナギの頭にセイランが手を起きます。
「ナギ。アタシたちはお前の保護者なのだ。変な遠慮は許さないぞ。もっと甘えろ。金は気にするな」
「ですが……」
「それにナギ。貴方の生活用品や旅装備がないと私たちも困るのですよ」
もじゃもじゃひげの下の口元を柔らかく緩めれば、ナギは視線を少し彷徨わせて頷きました。
「それなら、メイド服が欲しいですわ」
「他の服はいらないのか?」
「……あまり、着たくないですわ」
「ふむ……」
彼女なりの信条なのでしょう。
私も特段理由がない限りは、魔術師の誇りとしてローブをずっと身に着けていますし。
セイランが屈んでナギと視線を合わせます。
「ナギの気持ちはよくわかった。だが、メイド服は少し我慢してくれないか? 普段使いということは、戦闘服としても使うということだ。メイド服はちょっと特殊だし、信頼できる鍛冶師に防具と一緒に仕立ててもらうのがいいとアタシは考える。……それにだ」
「きゃっ」
セイランは立ち上がり、両脇に手を入れてナギを持ち上げました。
「お前は子どもだ。成長する。服もすぐにきつくなるだろう。着替えはあった方がいいと思う。どうだ?」
「……わたしも、そう思うですわ」
ナギは納得いったように頷きました。セイランはニコリと微笑みました。
「じゃあ、一緒に選ぼう。グフウに見せびらかそうな」
ということで、服屋で見せびらかされました。可愛いと褒めまくりました。服や下着を買え揃えたら、次は雑貨屋などで生活用品や旅装備を揃えます。
コップやお皿、水筒はもちろん、靴や寝袋、ブランケットなどを買いました。
「他に欲しい物はありますか? 娯楽物とか」
「グフウ様の魔法書を読むので大丈夫ですわ」
「そうですか」
私はチラリとセイランを見やりました。セイランは頷き、ちょっと用事があるからとその場を離れました。
私たちは冒険者ギルド直営のお店に行って鉱石や魔物の素材などを買い、宿に戻りました。
ナギの部屋に沢山買った荷物を置きます。
「……グフウ様。この素材は何に使うのですの?」
「ああ、それは魔術具に使うのです」
「魔術具?」
宿屋の主人に言って裏庭を借り、そこで鍛冶魔法を使いながら鎚を振るって買ってきた鉱石や魔物の素材を叩きました。
そこに術式を刻み込めば物がたくさん入る魔術具の完成です。
「もしかして、“宝物鞄”ですの?」
「そうともいいますね」
白を基調としたバックパックです。今のナギの身長だとちょっと大きいですが、すぐに成長して小さくなるでしょう。
「グフウ様。ありがとうですわ。大切にするですわ」
小さく頬を緩めて“宝物鞄”のバックパックを背負ったナギに、私は目を細めました。
それからナギの部屋に戻り、今日買った物をバックパックにしまっていきます。
「お、やっているな」
「おかえりなさい」
「お帰りなさいですわ」
その頃には用事で席を外していたセイランが戻ってきていました。
「ああ、そうだ。ナギ。これを」
「瓶?」
「髪油を貰っただろう。昨夜石鹸を作ったのだ。さっき確かめたら鹸化が終わってたからな。あとで一緒に使おう」
「はいですわ!」
そしてその日はセイランが探してきた飯屋で夕食を食べ、風呂に入り、ナギに魔術の授業をし、寝ました。
翌朝。いつも通り日の出前に起きて日課を済ませます。
部屋を出れば。
「グフウ様、おはようですわ」
「おはようございます。貴方も早起きですね」
ナギが立っていました。昨日買ったばかりの動きやすいシャツとズボンを着ています。ただ、先ほど起きて急いで着替えたのか、髪は少しボサボサでした。
私はナギと一緒にセイランの部屋に入り、酷い寝相の彼女を叩き起こしました。
そしていつも通りセイランの髪を整えようとして、彼女はナギに言いました。
「ナギ、こっちに来なさい」
「え……」
「来なさい」
セイランは有無を言わせずナギを膝の上に座らせました。懐から櫛を取り出しました。
「これはお前のだ。持っていなかっただろう?」
「え、いつの間に」
「お前たちが魔術具の素材を買いにいったときだ」
セイランは櫛をナギの黒髪に通します。
「女の子なのだ。髪油ももらったし、髪の手入れはしっかりとしないとな」
「私に出会うまで適当だった人が何を偉そうに言っているのですか」
「うるさい。お前は黙っていろ」
唇を尖がらせながら、されどセイランは母のような慈愛に満ちた目でナギを見下ろし、ボサボサした黒髪を梳きました。
少し戸惑っていたナギでしたが、次第に目を細め、安心したようにセイランに背中を預けて為すがままになりました。
そして私がセイランの髪を整えてイヤリングを着け終えたのと同時に、セイランもまたナギの黒髪を整え蝶のバレッタをつけ終えました。
「可愛いぞ、ナギ」
「……ありがとうですわ」
ナギは照れたように、はにかみました。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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