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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

偽聖女

作者: 弘鈴 蒼

「そう…」


記憶の中のあの方は小さく呟いた。


あの日、塔の最上階に赴き、格子越しに彼女以外の一族全てが毒杯を賜ったこと。そして彼女自身の毒杯を賜る日が三日後に決まったと告げた時、彼女は取り乱すことなくテーブル上のカップに添えられていた指も微動だしなかった。本当に小さく呟いただけだった。

伏せられた瞳は隠されて感情は読みとれなかったが、嘆きと共に流されるかと思っていた涙は終ぞ滲むことすらなかった。

それを僅かに残念だと思ってしまった自分に驚愕し己の矮小さに羞恥と怖気がこみ上げ、濃く長い睫毛が影を落とす目元から視線を外した。


「.......アルヴァン」


沈黙に耐えられなくなり踵を返そうとした時、小さく、しかし状況にそぐわぬ穏やさで名を呼ばれ肩が僅かにビクリと跳ねた。


「王族の皆様、貴族の皆様、民.......わたくしの一族が逝ったことで、皆、さぞかし喜ばしい笑顔で喝采をあげたのでしょうね?」


穏やかな響きに彼女に視線を戻して、あの頃と変わらぬ穏やかな微笑みで、しかし、瞳に温かみはなく、揺るぎなく私をひたと見据えていた。


「威風堂々たる王太子殿下と真なる聖女である未来の王太子妃の次代の輝かしい治世。王族の皆様、貴族の皆様、民.......皆が望んでいることなのでしょうね?アルヴァン、貴方も」


「そ、それは.......」


穏やかな声音にじわりと滲む冷ややかな刃に私は言葉に詰まった。悪し様に裏切り者と糾弾されるよりか余程に堪えるものだった。

彼女はこてりと首をかしげて、微かにふふと笑った。


「アルヴァン、本当のことを言われて動揺するなんて貴方らしくないわ。輝かしい治世の輝かしい騎士を望んだのだもの。忠節な騎士の顔で主を裏切り、私達一族の血を絶やした誉れに輝かしい騎士は何を得るのかしら?」


羞恥と怒り、罪悪感に唇は言葉を紡ごうとするも浅い呼吸が繰り返されるばかりだった。

言葉を返せない私に、彼女は呆れたような溜め息をついた。


「わたくしが逝った後の話ですから答えなくてもよろしいわ。それよりも、当日はこの部屋で毒杯を賜るのかしら?別の場所ならば、わたくしはどの様に運ばれますの?」


「どの様に?そもそも運ばれるなどと仰らずとも.......」


運ばれるなどと自身を荷のような物言いに、それほど卑下せずともと発した言葉は途中で遮られた。


「わたくしの両脚は腱を切られておりますから、歩けませんでしょう?運ばれないのであれば、這って行けということかしら。最期まで辱めようとは、わかっておりましたが随分と彼女には嫌われておりますわね」


「両脚の腱を!?」


「あら…アルヴァンは知らされていなかったのね。この塔に囚われた翌日、逃亡阻止策として両脚の腱を切断されたの。真なる聖女たる輝かしい未来の王太子妃のご希望で。ああ、もちろん彼女自身や取り巻きの何某かが切ったのではないわ。話を聞きつけた城常駐の聖殿医様が駆けつけてくださって、腱の切断から処置までしてくださったわ。痛みもなく丁寧に処置してくださったのは彼の矜恃と慈悲でしょう。この女の痛みに泣き叫ぶ無様な姿がが見たかったのにって彼女に叱責されていたから」


「う、嘘だっ!聖女様がそんな非道なことを仰る筈はない!」


偽聖女のこの方に虐げられ、聖女の座になくとも健気に我が王国の守護竜様に祈りを捧げ続け、陽に煌めく朝靄のごとき虹のような(あや)にけぶる真摯な姿が汚された気がした。

憤る私を諌めるでもなく、路傍の石を眺めるごとき彼女の瞳は逸らされることはなかった。


「彼女はわたくしと一族全員を襤褸を着せて罪人の牢に放り込み、あらゆる拷問の末に民衆の前で斬首刑。頭は朽ちるまで晒し、身体は獣の餌にするのが偽聖女とその一族に相応しい最期だ。陛下方にそう強請ったそうだけれど、それを阻んでくださったのは神竜聖殿の皆様。王家が偽聖女と断じたとはいえ、長きに渡るわたくしの祈りは確かに守護竜様に届いていた。守護竜様の額の宝玉がわたくしの祈りの(あや)に満ち、その間の王国の安寧が証と。偽聖女ではなく元聖女様である。罪人の如き扱いは認められぬと神竜聖殿の聖殿長様が、そう仰ってくださったの」


ひたりと私を静かに見据える眼差しに嘘は見受けられなかった。本当だとして、なぜ私の耳に入らなかった?彼女が語った事柄は知らぬことばかり。私の知らぬところで何が起きていたのだ。

事が起こっていたであろう時期、私は聖女様の騎士としてお側にいた。聖女様は何時もと変わらず王太子殿下方と過ごされていて.......いや.......違う。

聖女様はあれほど熱心にされていた守護竜様への祈りを真の聖女様となられた以降、なされてはいない.......私の心を惹きつけ騎士の剣を捧げるべきはこの御方だと感じた祈りの姿を全く見ていない事に、今更に気づいた。

いや、おそらくお部屋でお一人の時に祈りを捧げられているのだろう。 侍女であった頃は誰でも祈りを捧げられる城内の小聖殿で熱心に祈られていたのだから。

初めて彼女の祈りの彩を見た時が脳裏に蘇る。

そもそも祈りの彩は個人により量が多い少ないの差はあるが、誰でも祈りを捧げることは出来る。

ただ、聖女様の祈りはその彩が格段に色鮮やかで目に見える彩の量も豊かなのに対して、他の者の祈りは白っぽく量も疎らに煌めく程度だ。

それが聖女でもなく、ただの侍女であった彼女の彩は様々な色が虹のように煌めき、見たことの無い美しさに驚いたことをその時の感動とともに思い出す。

やはりあの御方こそ真の聖女と確信を新たにする私に、冷ややかな視線が注がれていることには全く気づいていなかった。


「なぜ貴方には知らされなかったのでしょうね?」


「貴女の言ったことは偽りだから、私の耳に届きようもない!」


平坦な問いかけに幸福感に満たされていた私は現実に引き戻され、その苛立ちを感じたまま反射的に言葉を放っていた。

彼女は一瞬驚きを眼に表したが、すぐに可笑しそうに目を細めた。


「まあまあ、アルヴァンったら!暫く会わない間に随分と目端の利かないお馬鹿さんになりましたのね!」


「なっ!?私を馬鹿と嘲るとは!」


憤る私に怯むでもなく、尚更笑みを深める彼女を睨みつけた。


「アルヴァンが偽りと思いたいのは、わたくしには正直どうでもよろしいのです。まあ黙って暫くお聞きなさい。わたくしと言葉を交わす機会はもうないのですから」


憂いもなく、楽しそうにふふと微笑む彼女に、私は苦く口を噤んだ。






お読み下さりありがとうございます。

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