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37歳、初恋。 〜あるいは接触した二重螺旋〜  作者: 坂東太郎
『第一章 創作イベント「短編ハッカソン」にて』

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5/31

【4】


「いやあいいですよ坂東さん! 実は恋愛モノ書いたことあるんじゃないですか?」


「ええ? ほんとに思ってます?」


「ほんとですほんとです、僕、編集なのにちょっと涙ぐんじゃいましたもん」


 短編ハッカソン二日目。

 朝イチで原稿をセルフチェックして修正した俺は、コンビを組んだ編集の武原さんに初校を渡した。

 不安を抱えたまま朝食を摂って、帰ってきたらテンションの高い武原さんに迎えられた。

 すぐバックをもらえるのは、目の前に編集さんがいるメリットだ。

 初校渡して「受け取りました」メールもらってから一ヶ月バックないとかザラだからね……。つら……。


「大きな赤字はぜんぜんなくて、言いまわしや単語、統一ぐらいです」


「と言いつつもー? 本当はひっくり返すような赤字がー?」


「ないですから! 自信持ってくださいって!」


 武原さんが赤を入れた原稿を渡してくる。

 パラパラめくってざっと眺める。


「このあたり、あえて平仮名なんでしょうけど時代を考えたらカタカナでいいかなって。あとは——」


 たしかに、重そうな赤はない。

 初めて書いた恋愛モノ短編『しのばずエレジイ』は、なんとかこの三日間で形になりそうな気がしてきた。

 完版まであと26時間ぐらいしかないけど。

 ……ギリギリじゃね? これから初校修正して再校出してバックもらって最後直して、って考えたらけっこうギリギリじゃね?


 二日目のメイン会場を見渡す。

 初校戻しの話をしている俺たちは順調らしく、ほかの著者さんはだいたいカタカタ執筆してる。

 スケジュール遅れがちなのに編集さんが目の前にいるプレッシャーかあ。キツそう。吐きそう。昨日ラストまで書いた俺よくやった。


「だいぶ見えたんで、僕はデザインチームと表紙を詰めてきますね」


「了解です。じゃあ俺は赤字修正して、自分でもまた推敲してみます。タバコ吸ってから」


「オンスケで行けてますからね、ごゆっくりどうぞ」


 武原さんの笑顔に見送られて、俺は席を立った。


 外の喫煙所には誰もいない。

 冷たく乾いた風に煙を乗せる。

 完成の目処が立った解放感でタバコがうまい。アイコスだけど。


「お疲れさまですー」


「あ、お疲れさまです」


 オーバーヒート気味の脳を休めてると、森田さんがやってきた。

 ひょっとしたら、タバコに向かう俺を追いかけてきたのかもしれない。

 喫煙者にありがちな追いタバコ、タバコミュニケーションだ。


「最近はそういうの減ってきたって聞いてたんですけどね」


「え? 坂東さん、思考が飛んでません?」


「あーすみません、脳内会話が漏れてたみたいです」


「のうないかいわ?」


「気にしないでください、あ、森田さん進捗どうですか?」


「話題転換がとうとつー! うーん、なんというか、うーん」


「モヤってる感じですか?」


「ですねえ。とりあえず最初のシーンを編集さんに見せたんですけど」


「けど?」


「何も言われなくって」


「それはほら、プロット通りで齟齬がないからですよ。いいこといいこと」


「でも褒めてもくれないんですよ!? ありえなくないですか!?」


「まあ、著者が不安に思ってたら背中を押してもらいところですけど」


「ですよねえ! 私、褒められると調子に乗ってゴリゴリ書けるタイプなのに!」


「短期決戦ですからね、迷いがあったらしんどいですね」


「うう……」


「がんばりましょう。違った、がんばってください」


「は? まさか坂東さん?」


「初校出し終わって、バックももらいました。あとは修正して、なんなら再校出す前に推敲できますね」


「はあ!? え、だからって『がんばってください』って煽る!?」


「校了までまだ24時間もあります。いける、森田さんならいけますって!」


「ひとごとー! くっそーこれだから専業はー!」


「『文脈に繋がりがない。言いまわし再考』」


「エンピツ出しするなー! うう、もう酒飲んで書く……」


「マジか、すげえ……その、がんばりましょうね」


「遅いぃ……」


 タバコの火をグッと灰皿に押し付けて、森田さんはとぼとぼ戻っていった。

 背中が丸い。初日の、真紅のコートをさっそうとはためかせてた感じがない。


 書き終わったら謝っておいた方がいいかなあ。

 秋風で冷えてきた脳で、そんなことを考えていた。

 寝不足とひさしぶりの過集中で、ちょっとテンションおかしくなってたらしい。

 たぶん参加者全員そうだろうけど。


 アイコスホルダーをカチッとチャージャーに収めて、俺も会場に戻る。

 原稿の目処がついても、イベントはまだ終わらない。

 なにしろあと24時間後には校了して、そのあと電子書籍化の作業して、27時間後ぐらいには販売開始されるから。

 スピード感ヤバイ。さすが短編ハッカソン。


「おかえりなさい坂東さん。『しのばずエレジイ』、表紙のデザイン案あがってますよ!」


「おおー! めっちゃいいじゃないですか!」


「ですよね! 細部の調整はこれからなんですけど、この時点でいいですよね!」


「いいと思います! あ、帯どうします?」


「そこ相談なんですけど……電子書籍ストアって、表紙のサムネイル小さいじゃないですか。書誌情報もだいたい横に出ますし、帯、いらないかなあって」


「なるほどー。うん、いいと思いますよ? 紙で書店に並ぶわけじゃないですし」


「おーよかった! ここまで書影進めちゃってたんで、こだわりあったらどうしようかと思ってました!」


「編集さんとデザイナーさんがいいと思ったらそれで進めちゃってください。俺、センスないんでデザインとかイラストとか、わからないんですよ」


「え? いつもどうしてるんですか?」


「編集さんを信じて任せてます!」


「丸投げですね?」


「そうとも言います!」


 やっぱりまだテンションがおかしい。

 いや、これはオーバーヒートしたんじゃなくて表紙デザインがよかったおかげだ。

 そういえば……。


「初めて、表紙に人物がいない」


「異世界モノだと必須ですけどね、ジャンル違うしいいんじゃないかと」


「なるほどー」


「あと、デザイナーさんはイラストレーターさんじゃありませんから」


「たしかに。あれ、じゃあこの蓮の花は」


「ネットにあったフリー素材なんですって。古いイラストで、版権切れてる素材だって言ってたかなあ」


「なにそれすごい。現代こわい」


 あらためて表紙を見る。

 蓮の花を中央に、古紙ばんだ色合い、タイトルのフォントもあえてノスタルジックに処理されてる。


 『しのばずエレジイ』

 不忍池のほとりを舞台にした、昭和後半から現代にかけての恋物語。


 中身とも合ってるし、サムネイルになっても目を惹くと思う。

 デザインのことはよくわからないけど。


「よし。エネルギーもらいました。原稿がんばります」


「よろしくお願いします。僕は表紙の最終調整を依頼してきますね」


「そちらもよろしくお願いします」


 三日間でゼロから短編を創り上げて、三日目には電子書籍として販売開始するイベント、短編ハッカソン。

 無謀な挑戦に思えるけど、俺と武原さんのコンビは形が見えてきた。

 けど、森田さんをはじめ、まだヤバそうなコンビも多い。


「とりあえず初校戻しの赤を直して……音読チェックは部屋でやった方がよさそうだな」


 後工程を自分に言い聞かせてパソコンを開く。

 俺の独り言を気にする人はいない。

 みんないっぱいいっぱいだし、至るところから独り言が聞こえてきてるんで。なんなら「んあー!」って唸り声が漏れてるんで。創作ぅ!



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