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37歳、初恋。 〜あるいは接触した二重螺旋〜  作者: 坂東太郎
『第四章 執筆部屋を背にリビングにて』

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【7】


 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 ニートの頃は時間が遅々として進まなかったのに。


「遠いのに送ってもらっちゃってすみません」


「そこは『ありがとう』で。恋人を送り迎えできるのはうれしいことですよ?」


「くぅー、言うなあばんどうぅー!」


 1月3日。

 箱根駅伝の復路も終わった。

 迎えに行った時と違って、助手席には恋人が座っている。


「うう……帰りたくない……明日仕事行かなきゃダメぇ?」


「ダメなんじゃないですかねえ。それとも、このままどこか行っちゃう?」


「悪魔の誘惑きた! 大丈夫です、コピーの仕事好きなんで。ちゃんと行きます」


「まかり間違って俺の小説が大ヒットして稼がなくてよくなっても?」


「いきますぅ。おしごとだいすきですぅ」


「すごい! 玲花えらい!」


 何気ない会話が楽しい。

 お仕事は行かなくちゃいけないし、いまのところ俺の小説が大ヒットする兆しはない。

 現実逃避の妄想会話が楽しい。


「けど、本音は帰したくない」


「えー? 『名残惜しいぐらいがちょうどいい』んじゃないんですか?」


「くっ、過去の俺の発言! 名残惜しさと離れる寂しさと。世の恋人たちはこれが日常か、すごいなあ」


「ふふ、好きってどういう気持ちかわかりましたか?」


「わかった気がするけど、これを言葉にするのは難しいね」


「がんばって! がんばって職業作家!」


「語彙で勝負するタイプじゃないから! 読みやすさとテンポで勝負するタイプの職業作家だから!」


「逃げたー!」


「あれですよね、むしろ好きって感情が強いと語彙が死ぬ」


「たしかにー! 言葉で表現するって難しいです。だから面白いんですけど」


「がんばって詩人さん! 歌人さん!」


「なんかバカにされてる気がする」


「してませんよ。ほんとに、玲花の表現が好きなんで」


「それはそれで恥ずかしい!」


 玲花を助手席に乗せて車を走らせる。

 まだ夕方なのに、外はすっかり暗くなっていた。

 三ヶ日の最終日、高速道路の上り、首都高川口線は空いている。


「うん、Uターンラッシュはたいしたことなさそうですね。中央道に入るところが渋滞してるぐらいかな」


「じゃあ早めのお別れかあ」


「今度玲花の部屋にお邪魔させてくださいね? 今日は準備してないんでアレですけど」


「マジか、片付けなきゃ!」


「平気平気。実家にいた当時は妹の部屋はすごかったですしね。なんなら玲花が仕事行ってる間に片付けようか?」


「主夫ぅー!」


「料理はできないけども。洗濯と掃除はなんとか」


「理想なんだよなあ。たろーさん好き」


「俺も玲花好きです。なんだこの会話バカップルか」


「いま気づきました!? ねえいま!?」


 もう少し走れば江北ジャンクションだ。

 分岐を進みやすいように、首都高川口線の右車線を走る。


「あーそうだ。この時間ならこのあと……」


「何かあるの?」


「前方から右側、見ててください」


 ゆるやかな上りに、スピードが落ちないようアクセルを踏む。

 カーブを越えて、視界が広がった。


「うわ……夜景キレイですね」


「手前が荒川で、景色が抜けてるんです。だからけっこう先まで見えて。正面、スカイツリーですよ」


「ほんとだ! なんか新鮮です!」


「車でも電車でも、路線的には近いんだけどね。実は上まで登ったことない」


「えー? じゃあ、今度一緒に行きましょ? レストランも、プラネタリウムもいいですよ!」


「ぜひぜひー。はあ。一緒に行きたいところが増えてくなあ」


「楽しみですねえ」


 車間距離とスピードを気にしながらゆるやかな坂を下る。

 ちょっと走って江北ジャンクションを右に行く。


 と、また視界がひらけた。

 こっちから行くと、扇大橋は上の車道を通ることになる。


「うわあ、なにこれエモい」


「東京に来た!って感じするよね」


「語彙! 二人して語彙が死んでる!」


「短文で表現するタイプじゃないんで! 詩人さん?」


「瞬発力で勝負するタイプじゃないんで! はあ……」


 バカなことを言ってきゃっきゃしてると、玲花が静かになった。

 左車線に入る際、左を確認するタイミングで助手席をチラ見する。


「えっ!? 玲花泣いてる? 俺なんか変なこと言った!?」


「ううん、これは違うんです」


 気になってもよそ見はできない。

 玲花の声に集中する。


「なんでしょうね、別れの時間が近づいた寂しさと、幸せだなあって気持ちと、夜景見たらぶわーっと埋め尽くされちゃって」


「ああ、うん、なんとなくわかる。俺は運転してるから頭の片隅だけど」


「それで涙でてきちゃって。だからたろーさんのせいじゃないんです」


「うう……今度泣く時は、俺が運転してない時にしてくださいね」


「なんでですか?」


「だって運転してたら玲花の涙を舐めとれないじゃないですか」


「えっなにそれキモい」


「ええっ!? 玲花は俺の涙を舐めとるのに!?」


「それはそう」


「逆は!? 俺が玲花の涙を舐めとるのは!?」


「キモいです」


「理不尽! 恋人が理不尽!」


「もう笑かさないで!」


「いやだってねえ!?」


 玲花が笑いながら目尻を拭う。


 別れの寂しさはバカみたいな会話で上書きされた。


 きっと、玲花の家が近づくとまたおたがい寂しくなるんだろうけど。



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