お嬢様、格闘技はお好きでしょうか
アレイシアの美しさは王都でも評判である。
わずかにピンクが混じった金色の髪、透き通るような白い肌、ほんのちょっと垂れ下がった大きな目にエメラルドの瞳、手足は長くほっそりとした体つき。
有り体に言えば超絶美少女である。
問題は体が少々弱いことだと本郷は感じていた。
本郷のおおよその計測であるが100メートルを走り切るのに18秒、握力は15キロ、背筋力に至っては絶望的であった。
風邪を引けば1週間は寝込むということは免疫力も低いのであろうと推測された。
更に問題として視力が悪かった。多分0.8くらいだと感じる本郷。
本を読むことが好きで引きこもりができる状況、しかも照明器具はランプの明かりぐらいなものである。
視力が落ちないほうがおかしい。
これでは魔物とやらだけでなく暴漢や街のチンピラに襲われたらひとたまりもない。
庭をメイドと散歩しながらアレイシアの体を確認していく本郷。
本郷からするとだだっ広い伯爵邸の庭の隅で弟のルークが護衛の騎士相手に剣の練習をしている姿が見えた。
ルークはまだ8歳ではあるが運動能力はとびきり高く感じる。
『お嬢もあれくらい出来ると思うんだがな』
『本郷さん、私はこれでも女の子で御座います。殿方とは力も役割も違います』
『うーん、お嬢はそう言うが俺はそうは思わねえぜ。男と同じくらいの力が必要とまでは言わねえがもちっと体力はあったほうが良いと思う』
『わたくしは・・・』
『いいかいお嬢、お菓子作りにも体力が基本だ。このまえの生クリーム作りでもリンゼイさんに頼らなきゃ出来なかったのは覚えているな』
『はい』
『それに使った泡立て器を作るのに護衛を何人も連れて道具屋に行ったり、何度も鍛冶屋に行ったのもあるよな』
『本当にあれは大変でした』
『そう大変だった。でもな体力があれば、力があれば自分で何でも出来ちまうのさ。お嬢は自由に街を歩いてみたいとは思わないか』
確かにそうだと思うと感じるアレイシア。馬車に乗って街を移動するたびに露店から漂ってくる美味しそうな匂い。色とりどりに咲く花に溢れる花屋にも気軽に行きたいし、人で溢れるレストランにも足を運んでみたいと思っている。
『それになお嬢、俺はこれでも武闘派ヤクザだったんだぜ。街の喧嘩だけじゃなくて剣道、柔道、合気道、空手、ボクシング、レスリングは組でさんざん叩き込まれた。なんつっても親分が格闘技マニアだったもんでな、ありゃあ苦しかった・・・』
本郷は神竜組の厳しかった鍛錬の日々を思い出す。
組に入って間もない頃、いくら武闘派と言っても限度があるんじゃねえのかと兄貴分に聞いたことがあった。
兄貴は黙って週間プロレスを読んでいるだけだった。
本郷は他の兄貴分にも聞いてみたが、みんな黙って格闘技関係の雑誌や新聞を読みふけって答えてくれなかった。
テレビに録画ビデオが流れプロレス統一王者決定戦が映し出されていた。
とうとう本郷は気づいてしまった。
この組は格闘技が趣味のヤクザものしか居ないことに。
更に気がついたことがあった。
組員の携帯着信音がことごとくプロレスラーの入場曲、すなわちヘビーメタルなのだ。
本郷は組員になるまでは普通の大学生だった。
株、為替取引をしている以外はアニメを見たり友達とアイドルのコンサートに行ったり、妹の少女漫画を読んだり、秋葉原で自作パソコンの部品を漁ったりメイド喫茶に行っている少しガタイの良い強面の普通の大学生だったのだ。
だがここはアウトローの世界。筋を通すにも背景となる力がモノを言うヤクザ社会である。
数多くの仕事をこなして行くうちに本郷も兄貴分と同じ様に次第次第にかなり強面のヤクザに成っていった。
今でも頭に鳴り響くプロレスラー《ジョー川口》の入場曲。
激しくかき鳴らされるエレキギターサウンド、鼓動が高鳴るドラム、響く低音のベース、少しかすれたボーカルがアイアンメイドの曲を奏でる。
そういえば最後にアイアンメイドを聞きに行ったのはいつだっただろうかと本郷は記憶をたどる。
確かとても暑い日だった。
屋外のライブ会場でぎっちぎっちパンパンのオーディエンスの中で俺はヘドバンをし、クラウドサーフしたと薄ぼんやりと思い出す。
あのとき爺さんしかまわりに居なかったが、みんな熱い男ばっかりだった。
『組長がモッシュで倒れたらみんなで手を差し出して立ち上がらせてくれたり、糞重いオジキをニコニコしながら担ぎ上げたりしてたなー』
本郷の中で最後に聞いた曲が聞こえてくる。
《行くぜ!行くぜ!地獄に行くぜ!
糞ったれな鎖を食いちぎってハイウェイをぶっとばせ!
腹はくくったかテメエラ!
ここは地獄のハイウェイ、バニシング・ポイントに向かって駆け抜ける!
俺と一緒に地獄にゴー・アヘッド!hell year!! 》
気がつけばアレイシアは喉も枯れよアイアンメイドのhell yearを歌いヘドバンをしていた。
弟のルークと護衛騎士がぽかんとしながら腰を抜かしたメイドと『地獄!地獄』と叫ぶアレイシアを見ていた。
ハッと気づいて振り上げた拳をゆっくりと下ろしていくアレイシア。
気まずい空気に耐えかねて真っ赤な顔でうつむく超絶美少女。
武闘派お菓子極道が心のなかで必死に土下座していた。