ささやかな幸せでした
新宿歌舞伎町に昔から縄張りを持つ神竜組、武闘派の昔ながらの任侠博徒が男を磨く組である。
武闘派博徒といっても年がら年中好き勝手に他の組にカチコミしているわけではない。
伝統を重んじる神竜組のシノギといえば賭け事に関わることである。
賭事の勝負に負けて逃げる連中から金を取り立てたり、他の組のショバ荒らしを体を張って追い出したり、薬物商売をしている連中を海に沈めたり、堅気に手を出し街の評判を下げる半端者をボコボコにするくらいである。
だがこの世は仁義にもとるヤクザものがはびこったおかげで任侠博徒にも世間様は厳しい目を向ける。
もともとお天道様の下を歩けないと自覚はしている。
それでも堅気とのささやかなふれ合いを求めた極道が始めた男子禁制甘味処「子猫のしっぽ」。
やくざ者がはびこる新宿歌舞伎町でキャバ嬢などの評判から始まり世間一般にも密かに知れ渡るようになっていた。
神竜組の親分が孫に喜んで貰いたい為に始めた店は和洋を問わずオリジナリティーのある甘味で溢れていた。
更に女一人ではラーメン屋に入りにくいだろうからとラーメンもメニューにあった。
ちなみにオリジナル甘味のアイデアは店長である神竜組若衆の一人、本郷が殆ど考え出し、出入りの洋菓子店や和菓子店と共に開発した。
ラーメンに関しては親分の孫のさやかの要望である。
甘いものに一家言持つ本郷としては不本意であるが親分の言葉には逆らえない。
だが、女性が心置きなくラーメンを堪能できる店ということもあり評判は上々なのが悔しい本郷であった。
「苺パフェ食ってる脇でラーメンってねーよなー」
店内は白を基調としてところどころ金メッキ、アクセントに緑と赤を配した。
トータルコーディネートは美大を出たのに何故か組員になった赤城に任せた。
「そろそろクリスマスか、赤城に店のデコレーションを頼んどかねえとな」
そんな店を任された若衆の本郷は組員の奥さん、娘さんを前に大きな声で始業の挨拶を始める。
「おかえりなさいませ、お客様」
「「おかえりなさいませ、お客様」」
「お忘れ物などございませんでしょうか」
「「お忘れ物などございませんでしょうか」」
「行ってらっしゃいませ、お客様」
「「行ってらっしゃいませ、お客様」」
本郷以外は全員女性である。
どすの利いた本郷の後に華やかな女性従業員の声が響き渡る。
女性従業員といっても組上層部の奥さんや娘さんもパートで働いているので本郷は常に礼儀正しい振る舞いを心がけている。
本郷は店長であるが女性従業員のボディーガードでもある。
ここは歌舞伎町、なにがあるかわからない。
店が開店してはや6年、色々あったがみんなが楽しく働ける店になったと自負している。
今では都内数カ所に支店を構えるようになっている。
ヤクザのフロント企業と言われても返す言葉もないが、堅気に一切迷惑をかけない方針が貫かれているだけではなく、問題を抱え悩む女性の駆け込み寺的役割も担うようになってしまっていた。
「レイジ(店長)、ちょっといいかしら」
「あねさん・・・」
若頭の奥さんであり本郷の姉貴分のさくらがお客様を紹介する。
「ストーカー被害にあってるらしいんだけどね」
「とにかく控室に」
本郷はその後ストーカー男と話を着け、念の為にその女性が働くキャバクラをしばらく休んでもらい店で面倒を見ることにした。
そして本郷は死んだ。
店に押しかけてきたストーカーの刃から女性を守るために自らの身を犠牲にして・・・。
「ここは・・・」
目が覚めたとき本郷の目の前に女の部屋らしき光景が広がった。
一度、組員全員で泊まった箱根にある旧伯爵邸を改造した藤山ホテルの一室のようだった。
『あなた、誰』
少女の声が聞こえた。
『あなたっていわれてもっていうか、・・・俺は誰なんだ!』
体にまとう豪華なネグリジェ、自分の手を見れば白魚のような小さな手。
これではヤッパ(短刀)もチャカ(拳銃)も持てやしねえじゃねーかと少しズレた感想が浮かぶ。
「お嬢様、アレイシアお嬢様!お目覚めになったんですね!」
ベッドの脇で座っていたメイドがアレイシアの小さな声で飛び起きた。
「旦那様!奥様!おぼっちゃま!アレイシア様が、お嬢様が気が付かれました!」
メイドの大声で部屋に慌てて駆け込んでくる音が本郷には騒々しすぎた。
アレイシアはバッと飛び起きると部屋を見渡す。
『まいったな、得物になりそうなものが何にもねーぞ』
ドアが勢いよく開けられたと同時に三人の人影が飛び込む。
本郷は混乱していた、記憶が混濁しストーカーと対峙していたときのままだったのだ。
武器になるものが見つからずに仕方なくメイドの座っていた椅子を振り上げる。
「まだやるってんだったら容赦しねー!こちとら腐っても・・・」
『やめて!私の家族なの。お父様にお母様、弟のルーク。お願いですから乱暴な真似はお止めください』
アレイシア本人の声で戦闘態勢を解く本郷。
「アレイシア、目を覚ましたばかりで混乱しているのだな。大丈夫だ、もうお前を襲う魔物は退治した」
「お父様!」
アレイシアがフラつきながら父の元に向かい一歩踏み出そうとするが体が傾き始める。
慌てた父であるアレックスがアレイシアを受け止め抱き上げる。
「アレイシア、もう大丈夫だからな」
金髪碧眼の美男に優しく口づけされるアレイシア。
『・・・(本郷)』
アレイシア本人の嬉し涙と本郷の嫌がる涙が混じり合って美しい目から溢れ出ていった。