9.不器用な心
倒れていた王女――姫は、目が覚めた後、医師に診て貰う事を頑なに拒否した。寝不足のせいだと彼女は私に説明する。
しかし、ただの寝不足だという話も少し怪しい。この十日、彼女は眠れぬ夜を過ごしていたということか。
何故?
やはり、何か思うところがあるのだろう。一人で置かれるこの状況が、彼女の心に大きな負担をかけているのかもしれない。
彼女はまだ十六。家族を想って涙してもおかしくはない筈だ。
「医師の件は今のところ見送ろう。部屋までは私が連れて行くから、いいね?」
「はい」
素直に返事をしてくれた姫に安堵した。医師は拒否しても、私はまだ嫌われていないような気がしたのだ。
姫を横抱きにして、私は部屋へと急いだ。彼女の侍女マーサもさぞ心配していることだろう。眠れないと言う彼女の為に何か出来ないものか。
彼女を医師の元に連れて行くことはできないが、私が相談しても良い。それとなくマーサに今の彼女の状態を聞けないものだろうか。
「あ、あの!」
腕の中の姫が少しばかり困った顔で見上げてきた。彼女は何かを伝えたがっている。しかし、言葉が続いてはこない。何が言いたいのだろうか。
こんな時、ルイスなら上手くやるのだろうな。
足を止め、暫し彼女の気持ちになる。私は姫ではないし、女でもない。なかなか相手の気持ちというのは分からないものだ。
もしかして、早すぎたのだろうか。先日部屋に送り届けた時もそうだ。私と彼女では歩く速さがまるで違う。いつも通り歩いたせいで、恐い思いをさせてしまったのではないか。
「すまない、配慮が足りなかった」
いつもより遅く歩けば、姫が控えめな笑顔を見せてくれた。そんな笑顔に胸が跳ねる。先日の汚名は返上できただろうか。
しかし、次の問題が訪れた。気の利いた話が思いつかない。こんな時どんな話をすれば良い?
体調に関して聞くのは得策ではない。やはりまだ私には言い出し難いのだろう。もう少し、距離を縮めなければ。
ならば何を話せばいい?
国のことか? 十六の少女が政治の話に等興味はないだろう。やはり、お洒落のことだろうか。しかし、困ったことに、服や宝石のことはよくわからない。
不甲斐ない。
結局何も声を掛けることも出来ず、私は彼女をベッドへと下ろしてしまった。さすがに寝室に居座ることはできない。婚約者とはいえ、女性の部屋だ。結婚前にふしだらなことをしたと噂になれば、彼女の名に傷がつく。
その日、己の至らなさにただ後悔ばかりが募った。晩餐の味はあまり覚えてはいない。
◇◇◇◇
同じ宮殿にいると言うのに、何故こんなにも会うのが難しいのか。倒れた次の日、宰相の元を訪れた。
「宰相、姫……ルーナ王女の見舞いに行こうと思う」
見舞いくらい宰相の許可など得ずとも良いと思ってはみるものの、通さなければ面倒なことになるだろう。
「しかし、王女は体調を崩されておりますゆえ……」
「分かっている。だから、見舞いと言っている。変な噂が立たぬよう、正式な見舞いとしたい」
「しかし……」
しかしばかりで話が進まない。苛立つ気持ちを抑えるのは難しい。
「ならいつなら良い?」
「王女の体調が戻りましたら」
「……分かった」
見舞いが駄目と言うのなら、あとで見舞いの品を贈ろう。彼女の心が晴れやかになる物が良い。
そういえば、あの部屋にはマーサ一人しか居なかった。
「宰相、王女付きの侍女の選定はどうなっている?」
「今、侍女頭に任せておりますが、なかなか適任者がおりませんゆえ、難航しております」
「さすがに遅すぎる。一人づつでも良い。今、帝国から付いてきた侍女が一人で見ている状態だろう? 彼女だって休息が必要だ。仮初めでも構わない」
「かしこまりました。速やかに」
「ああ。……できれば、年の近い者が良い」
「かしこまりました」
友人となれなくとも、年の近い者が側にいれば少しは心が晴れやかになるかもしれない。仕事が少しできなくとも、話し相手になればそれだけで違う筈だ。
宰相の執務室を出て、後は何かできることは無いかと考えあぐねいていると、笑い声に呼び止められた。
「兄上はまだ三回しか会っていないお姫様に夢中なんだな」
「何のことだ?」
今まで仕事もせず、ふらふらとどこにほっつき歩いていたのかと、小言の一つでも言ってやりたい。しかし、要領の良い弟は大抵の場合、今日やらねばならない仕事は終わらせてある。言ったところで返り討ちにあうだけだ。
「ここ最近、お姫様のことばかり。離れ離れにされればされる程、気になって仕方なさそうだからさ」
「彼女は帝国から来た婚約者だ。大切に扱うのは当然だろう?」
「兄上は真面目だからな。もっと気軽に考えても良いんじゃない? 帝国とか婚約者とかそんなもの置いておいて、お姫様とどうなりたいのか考えても良いと思うけど」
「彼女とどうなりたいか……か」
そんなことを突然言われても、非常に困る。私は彼女の婚約者で、彼女とは政略結婚だ。そこには決して恋だの愛だのといった感情はなかった。
帝国は周辺国家の中でも大国。味方につけて損はない。それどころか、帝国の王女が王太子妃、ゆくゆくは王妃となれば、我が国も安泰だろう。その為の婚姻だ。
彼女の心がこちらに向かなくても、彼女は自身の役割を果たすだろう。
何故か、胸がチリチリと痛んだ。
結局、二十日もの間、宰相は頭を横に振り続けた。それが彼女の願いなのか、宰相の判断なのかは分からない。
あの日、気の利いた一言でもあれば、この二十日は無かったのかもしれないと過去の自分を責めるばかりだ。その全ての苛立ちを仕事にぶつけていたせいで、余暇まで生まれてしまった。
暇を持て余すくらいなら、仕事でもしていた方がマシだ。
しかし、そんな折、彼女の侍女に命ぜられたと名乗る者から一通の手紙が手渡された。
『ユリウス様がお忙しいのは重々承知の上、お願いがあり手紙を認めました。どうか、ほんの少しでも構いません。ゆっくりとお話しできる機会をいただけないでしょうか?』
たった数行の手紙。それだけだと言うのに、私の心は少年のように踊った。