7.四歳年下の婚約者
帝国の王女ルーナが、我が妃となることが決まったのは、突然のことだった。
我が国ウェルダールは、帝国の北に位置する。周辺国家は我が国より力の強い国ばかり。今の所友好国ではあるものの、手のひらを返されれば痛手どころの話では済まされない。
その上、貴族達の声も大きくなってきているのが現状だ。有力貴族達が妃に娘を。と、持ってきた話は一つや二つではない。娘が王太子妃となり、子を産めば箔が付く。上手くやれば今の宰相にとって代わることも可能だろう。
父はそれをこの上なく危惧している。国王である父の血を引く子は、私を含め三人。一人くらい女が居れば、他国と同盟の為の婚姻が一つくらい結べたものの、残念ながら全員男。役には立たなかった。
そんな折、最強と謳われた帝国からの縁談。我が国としては願ってもいない話であった。私も王太子として生まれた身。政略結婚程度、甘んじて受けよう。
周辺国家や我が国の内情のことを考えても、婚姻が今すぐだとしても、問題はない。寧ろ、すぐにでも婚姻を結び、周辺国家や国内の貴族達に周知することが望まれた。しかし、帝国側が提示して来た相手は、まだ十六歳の少女。成人すらしていなかった。さすがに未成年を妃に迎えることは難しく、彼女が成人を迎える十七の時に迎え入れると私の絵姿と共に返事を送った。
しかし、帝国は手紙のことになど触れず、十六の王女を我が国へと送る。こちらは半年後に迎え入れる予定だった。勿論、彼女を迎え入れる準備などできているわけがない。
しかし、相手は帝国。お帰り頂く訳にもいかないのが現状だ。そんなことをすれば、戦争にすら成りかねないだろう。戦争になれば、強大な帝国を前に我が国など一たまりも無いだろう。父の判断で、半年だけの婚約者という立場でこの国に留まって貰うよう願った。
遠目から見る彼女は、十六歳とあってまだあどけなさが残る。しかし、まだ成人こそしていないが、堂々とした立ち振る舞い。さすがは帝国の王女だと感心した。
半年後には夫婦となる以上、この半年でお互いのことを知る必要がある。帝国と違って我が国は一夫一妻制。婚姻を結べば、彼女が私の唯一だ。例えそこに愛が芽生えなかったとしても、お互いに尊べるような関係なりたい。
早速、話をする場を設けようと、宰相に相談をした。しかし、王女は長旅のせいか体調を崩しているという。帝国の城から我が国の宮殿までは結構な長旅だ。本当は挨拶も辛かったのではないかと思うと、心が痛む。あのあどけなさの中に気丈さを感じ、私の中で彼女がただの政略結婚の相手という認識を改めようと心した。
王女の生活に関することは、宰相の申し出により、宰相と侍女頭に一任されている。数日置きに彼らに王女との面談を求めたが、「まだ体調が優れず、起き上がれる状態ではない」の一点張りであった。
長引く体調不良に心配になり宮廷医師に見て貰うことも考えていた。しかし、王女がそれを望んでいないと宰相や侍女頭が頭を縦に振らない。
面談の許可が下りたのは、彼女が我が国にやってきて、二十日目の朝だった。彼女の体調を考えて、室内でお茶を飲みながら話をする程度に留めた。本来なら、宮殿を隈なく案内したい気持ちではあったが、彼女はまだ病み上がりだ。少しずつお互いを知れば良いと、今回は我慢することにした。
ようやく間近で見ることの出来た彼女は、愛らしい顔立ちの少女だ。しかし、男ばかりの三人兄弟。女の子とどう接すれば良いのか分からない。
王太子という立場上、多くの人間と接してきてはいた。しかし、父の危惧を知っていた私は、年の近い未婚の女性は避けてきた。
こういう時、弟のルイスなら上手くやるのだろう。ルイスは十七。成人したばかりではあるが、多くの女性と仲良くしている。三歳下ではあるが、しっかりとした自慢の弟だ。王女と年頃も近いし、話は合いそうだな。
「旅の疲れは取れたか?」
医師に診て貰う必要はないものかと、それとなく聞いて見た。
「はい、ゆっくり休ませて貰いましたので」
彼女は少し困ったように笑う。もっと上手く聞けたのではないのかと、己を叱咤したものだ。
二十日も体調を崩していたのだから、辛くなかった訳がない。それでも、彼女は気丈にも私の前です笑って見せるのか。
つい、私は酷いことを聞いてしまった。単純に興味があったからだ。
「知り合いもいない全く知らない土地に来て、辛く無いか?」
今思えば、まだ十六。辛くないわけがない。国の事情だとしても、彼女が王女だとしても、生まれ育った土地を離れ、誰も知らない土地に来たのだから。
こんな時、どんな風にして良いのか分からなくて、私はただ頭を撫でた。
◇◇◇◇
「なー、兄上」
「どうした、ルイス」
「いや、さ。さっきお姫様と歩いてただろ?」
王女を部屋まで送った後、私は真っ直ぐ王族の居住区へと戻った。部屋に籠る気にもなれず、居間の椅子にゆったりと腰掛けたところで、弟のルイスが現れる。
「見ていたのか」
「まーね、チラッと見えただけだけど」
「声を掛けてくれれば紹介したものを」
「えっ? あんな雰囲気で声かけれないよ」
あんな雰囲気?
私は首を傾げた。
「ただ部屋に送っただけだが」
「どうせ、お姫様になんか言われたんだろ?酷いこと。だから兄上が怒った。そんなとこだろ?」
怒った?
私はもう一度首を傾げた。王女を部屋まで送りはしたが、言い合った覚えはない。それどころか、何と話をすれば良いか悩み続け、結局双方無言のままだった。
「怒ったつもりはないが」
「いやいや、だって、お姫様置いてあんなスタスタ歩いてただろ?」
「そうだったか……?」
「お姫様がどうにか付いて行くために小走りになってたから、会って早々に喧嘩したのかと思った」
「いや、彼女は帝国のことを鼻にかけることもしなかった。宰相が危惧するような悪い子ではなさそうだ」
宰相が言うには、王女はどうやら小国である我が国を馬鹿にしているのだと言う。彼女が宮殿に着いた際、宮殿の小ささを嘲笑ったという報告がなされたと聞いた。しかし、今日のお茶会を振り返ってみても、宰相が危惧するような性格の悪さは感じられない。まだ猫をかぶっている可能性も否めないが。
「なら、さ。なんで兄上、お姫様に冷たい態度取ってたわけ?」
「冷たい態度?」
首を傾げるのが三度目にもなると、ルイスのため息に遠慮が無くなる。年長者を敬えといつも言っているのだが、どうもこいつは遠慮がない。そして、私も兄弟には甘いのか、ついつい許してしまいがちだ。
「いや、そうか。兄上って女っ気がないからあれには意図なんてなかったのか」
「どう言う意味だ?分かるように頼む」
「えーと……なんで言ったらいいかな。兄上は普通に歩いてお姫様を部屋まで送ったわけだろ?」
「ああ。そうだ。宮殿内とは言え、さすがに送らないのは失礼だろう?」
「そこは合格なんだよ。でもさ、重要なのはそこじゃない」
「ならば何が重要なんだ?」
「お姫様はさ、兄上よりも小柄で歩きにくいドレスを着ているだろ?」
「ああ、そうだな」
「なら、兄上と同じ歩幅で歩けない。お姫様に合わせて歩いてゆっくり歩いてあげないと、お姫様が置いていかれちゃうだろ?」
「……そうだな」
ルイスの言い分は的を得ている。それに、女性の扱いに慣れた男の言うことだ。間違いはないのだろう。
私はどうやら、王女に悪いことをしてしまったようだ。すぐさま弁明に向かいたい気持ちを抑えるのはとても難しかった。晩餐の間も終始彼女のことを考えてしまう。気を悪くしていなければ良いが。
これは大きな失態だ。成人し、王太子として皆の前に立ってきて三年。こんな失敗を犯したのは初めてだった。
明日、早速謝罪に向かおう。