第一章 7節 抱擁
ここから少し、官能の要素が入ります。とはいっても、軽い接触程度。
人は悲しみを知ることで、優しくなれるというけど、きっとそれだけじゃない。Mさんと言葉を交わすことの安心感が私を、優しくさせる気がした。
心いっぱいに温かさを感じながら、私は椅子に座り、テーブルの上の本に手を置き、眼を閉じた。つるっとした紙のカバーのひんやりした感触がきもちいい。私の心の中で、私に触れるMさんが喜んでいるのがわかった。本を手に取り、適当なページをめくり、目を開けて眺めてみる。書かれているのは執拗に、緻密に書きこまれる感じの文体。
小さい頃から、本なんてほとんど読んだことのない私なのに、この小説のすごさだけはわかる。それは私の才能なのだろうか、それともMさんのすごさなのだろうか?
心と心のふれあい、その体験は心地よかった。温かさが私の心に、流れ込んでくる。強い快感、強い官能、それらを包み込むやわからなフレグランス。私は思わず心の指をしならせ、そっとMさんの心をなでた。Mさんの心が強く反応した。Mさんは動揺しているようだ。私は震えるMさんの心がかわいくて、抱きしめようとした、その時……。
「大丈夫? もしかして気分悪い?」
はっとなって、私は目を開いた。母が私の額に手をあて覗きこんだ。私の顔はほてっていた。恥ずかしくなって顔をふせた。唇が熱く感じて左手をそっと口にやった。右手は膝の上におかれ、文庫本を持っていた。
「ううん、大丈夫」
心臓が激しく打ち息苦しかった。でも気持ちよかった。意識を何かに集中しないと、目の焦点が合わなくなりそう。何かにつかまりたくて、本をテーブルにおいて、その手でテーブルの表面を、しっかりと押さえた。
治療の副作用なのだろうか。いや違う気がする。原因はたぶんMさんとの接触だろう。人と人が心で直接触れ合うと、こんなにも気持ちいいものなのか。快感がまた噴出してきて、意識が飛びそうになる。だめだ……、これはだめだ……。これはいけないものだ。
「も、もしかして、風邪ひいちゃったのかも……。熱、測ってみようかな」
「そうね。体温計を……」
体温を測るとちょっと高めだった。
「今日はお風呂はやめておいた方がいいわね。ご飯食べたら寝た方がいいね」
「うん」
テーブルに置いた腕で、身体をささえながらよろよろと立ちあがって、窓を開けた。ひんやりとした風が、気持ちよかった。