第一章 6節 接触
(Mさん? Mさん? 聞こえる?)
少女が俺を呼んでいる。だが俺はその声を無視した。当然だ、少女が俺を目視できたように、この電車の中に、俺を目視できる、いわゆる霊能力者とか、超能力者とか呼ばれる者達が、いないとも限らない。いや、ほとんどの場合は、そういう者達はイカサマ、インチキであるということを俺は知っている。しかしごくまれに、「意識」の存在に気づく者がいる。海外でいうとシャーマン、日本では巫女とか預言者などと呼ばれる者達だ。そのような者達が、俺のような「あの世の知識を持つ意識」に触れることは、確率的にはほとんどないはずなのに、偶然とは思えないほどの確率で起こるのだ。だがこの少女との出会いの場合はそれとは違う気がする。何かしらの、運命的な現象が俺達を引き合わせた。この少女があの瞬間、たまたま発した波動が俺の興味を引き、俺はこの少女の身体に入り込んでしまった。
そうなのだ、俺はこの少女の体内にいる。内面から、この少女Rを眺めている。真っ暗な空間から、二つの穴を通し光がさしこむ。その光景の中に、Rの小さな手の平があった。両の手をぎゅっと握り、Rは祈っていた。痛いほどに。
少女の身体が重力の変化によって揺れた。駅に近づき立ちあがったのだろう。まるでカメラの映像のように、俺は少女の眼を通して列車の中を見ている。平日だが人は多い。俺の生きていた時代にはありえないほどに。だがそのような混雑を、俺は初めて見たわけではない。この時代を生き、死んだ者の記憶を通して、俺はその記憶を持っていた。毎日、何百何千という人間が生まれては死に、生まれては死にしている。その人間達の記憶は、あの世ですべて共有されていた。今回俺は、そのような記憶を持ったまま転生してきた。だから大抵のことには、動じないのだ。
少女と母親は、ホームに降り、エスカレーターへと向かった。母親が少女に話しかけた。水中に響く音のように、俺には少しこもって聴こえるが、なんとか聞き取ることが可能だ。母親はこう言っている。
「そうそう、コンビニのバイト、2、3日お休みをもらうって電話しておいたから。倒れたことは言ってないから、必要だったら店長さんに伝えてね」
「うん」少女が返事をした。母親の言葉が、波紋のように少女の意識をゆらす。まるで水に浮いた油が七色に光るように。少女の女の思考は、割れたガラスのように痛々しい。この少女のこれまでの人生は、ひどく痛々しかったようだ。俺は少女に刻まれた記憶読み取り少し後悔した。
二人は、古びたマンションについた。こぎれいで手入れはよく、いい具合の古めかしさ懐かしさだ。
「ただいまぁ」
母が言った。娘がくすくすと笑った。二人しかいないマンションに。返事をする者がいない。でもそれでもただいまを言ってしまうこの母親の心理を、娘は理解できているだろうか。少し興味を持ち、俺は少女の意識にそっと触れてみた。やっぱりだ、この娘は母の気持ちを理解出来てない。感じ取れたのは、まだまだ子供の思考だ。
テーブルの上に、かつて俺が書いた小説が置かれていた。懐かしさに俺は手を伸ばしそうになった。
「あ!」
少女が驚いて声をあげ、両手を胸の前で組み合わせた。しまった。思っていた以上に俺は、この少女の身体と同化してしまっていたようだ。せっかくここまで、知らんぷりを通してきたのに、今のでたぶん、少女にバレれしまっただろう。
(Mさん?)
やっぱりだ……。俺は観念した。
(ああ……、Mだ。お前が呼んでいるのに応えなくてすまなかった。)
俺は、少女が悲鳴をあげ、また気を失うかと思ったが、そうはならなかった。少女の気持ちが発するものは、恐怖よりも喜びだった。その感情の放つ白い光が、俺の視界に広がった。
(これは……)
それは少女の、父親への愛情なのか。物ごころつく前に亡くなった父への、少女は空想上の愛なのか。いや、少し違う。なんなのだこの感情は……。少女の心が、まぶしくキラキラと輝いた。