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第三章 9節 三巻読了と、エメラルドの指輪

 それから2週間ほどRは、三巻の読書に没頭した。と言っても、授業はしっかりと受けたし、母親に代わっての食事の支度は、ずっと続けていた。ただ、コンビニのアルバイトは、もう2か月ほど、お休みさせてもらったままだ。母親には申し訳ないけど、そこだけは、わがままを言わせてもらっている。


 学校では、休み時間はずっと読書にふけった。昼休みになると、図書室で調べものをするか、教室で読書を続けるかのどちらかだった。図書室の少年は、相変わらずRのことを心配していたが、Rの様子に変化が何もないことを見てとり、少しずつRの、「もう霊の心配はいらない」という言葉を、信じ初めていたようだった。


 教室でRに声をかけてくれたメガネっ子は、ずっとRに話しかけたい素振りを見せていたが、猛烈な勢いでRが読書をしているのを見て、Rの気持ちを察してか、読了を待ってくれている気配だった。Rにはその気遣いが嬉しかった。


 三巻も、二巻同様に、難解な部分がいくつかあり、Rはそういう部分で少し手こずったが、これまでMから色々解説してもらっていた下地もあり、いつまで経っても先に進めなくなるほどのことは、無くなっていた。特に三巻を読み進めるにあたっては、いくつかの注意事項を早めにMから解説してもらっていたのが、大きく功を奏していた。すべては「滅びと再生」、「絶望と希望」の結合、混合であった。。そういった概念を思い浮かべながら読めば、意外なほどあっさり、すべてのシーンに説明がつくのだった。一巻から印象的に使われていた「滝」というキーワード。その意味もだんだん、わかってきた。滝とはほとばしり、落ちてゆく水と、その次の瞬間に新たに流れ来る水との織り成す連続性。連綿とゆったりとしかし激しく続くそれは、空間に形成される大河、ひとつの壮大なドラマであった。


 そんな第三巻におけるの主要人物である、女の子の描写が、特にRの目を引いた。Rが顔を上げ、目をきらきらさせながらMを見た。


 (Mさん、これは萌えだね! ライトノベルだね!)


 (うん……、そういう解釈も出来なくもないな。幼女萌え、という概念を、最初に文学に持ち込んだのは、 俺だったのかもしれないな。いや、半分冗談だけどね)


 (かわいいよこの子。このあとどういう展開になるか、楽しみになってきたよ!)


 Mは何か言いかけたが、再び口をつぐんだ。「滅びと再生」がテーマのこの小説で、わかりやすい幼女萌えなど、書くわけない。つまりこのシーンでの、この少女のきらめく硬い宝石のような魅力が、今後どう変わってしまうのかを、ハラハラしながら見守るのがこの三巻の正しい味わい方なのだが、Rがそれに気づくのは、きっとこの巻の最後の最後でだろう。


 Rは三巻の読書に没入していた。苦労した一巻、二巻とは違って、どんどんページを消化していく。しかしRはその内容に、少しもどかしさを感じていた。まるで森の中を当てもなく小走りで彷徨っているようで、ストーリーがあまり進んでいる気がしない、どころか、そもそもストーリーがあるのかないのかさえ、Rにはわからなくなってきた。獣も何もいないさびしく暗い森を、何者かに連れまわされるような不安。たまらなくなり、RはおそるおそるMに質問してみた。


「Mさん?」


「うん?」


「こんなに分厚い本で、もう終盤まで来たんだけど、話がよく見えなくて……」


 台所のテーブルの、Rの向かいの椅子に座り、いつものようにコーヒーを飲んでいたMは、Rの手にしている本の開き具合を見た。残りわずか数十ページ、か……。それを見てMは理解した。Rは今まで読んだことのないスタイルに、困惑しているのだ。何も起こらず、何も進まず、ただ日常生活だけが、たんたんと営まれていく。本多のジン・ジャンへの思いは語られ、また本多のアクションも起こされるのではあるが、ジン・ジャンのそっけない態度と、またそれでも良しとする本多の寛容さにより、すべては平和に過ぎ去っていく。その空虚さ。それはまさに、断頭台というクライマックスに向けての、退屈な木製の階段であったのだ。「あと少し、最後まで読めばきっとわかる」、と言いたくなるのを堪え、Mはどう答えようかと考えた。一瞬迷った後に、Mは言った。


「大丈夫だ、俺を信じろ!」


「う、うん……、ごめんね」


 Rはにこっと笑って視線を落とし、再び活字を追い始めた。なんの感情の起伏もなく、淡々と読み進めるRは、やがてはっとしたように顔をあげた。


「Mさん! これ……」


 開いた本をこちらに向け、ある行を指さす。見るとそれは、第三巻の「滅び」に向かって怒涛のように押し寄せるいくたのイリュージョンの、最初の一つ、これまで延々とページを割いて述べてきた描写が、ぐにゃりと歪み始める、衝撃的なシーンだった。


「ここでちょっと、雰囲気変わったね。冷たい水を浴びせられた感じ」


「そう、そこが分岐点となる。文体からもそれが感じられるように、数ページ前から、あえて変化させている。ただの生硬せいこうな文体から、研ぎ澄まされ、闇に光る小刀のような文体へ。そしてそこからが、俺の持つテクニックのすべてを注ぎ込んで構築した、妖しくも華麗なイリュージョンが始まるんだ。まるでオーロラのように、輝く文字が華麗に舞い散る様を、味わってみて欲しい」


 Mはニヤリと、不敵に笑った。そんなMの、挑むような笑みを初めてみたRは、息を飲み、大きく目を見開き、ぱちぱちと瞬きした。Rは嬉しかった。これはMによる私への挑戦なのだ。私はその挑戦状を受ける資格を得たのだ。そして幻想の中のステージで行われる、MとRとの魔法合戦、きらめく甘美なディナーパーティーが、今開始されるのだ!


「うん!」Rはゆっくりと、しかし力強く頷き、再び小説に目を落とした。


 Mの言った通りだった。文字が輝き、魔法のように立ち上がり、美しい映像が、Rの脳裏に形作られた。シーンが次々と高速に切り替わることで、緊張感を生み出していた。それは映画で言う所の「モンタージュ」という技法であったがRはその技法の名前も知らないまま、純粋にその効果に驚嘆し震えあがった。これに比べれば一巻、二巻での「美しい」描写など、まるで子供騙しのように思えた。また三巻の一見退屈だったシーンも、すべてがこの数ページのために、用意されていたのではないかと思わせた。すべてが今、意味づけられたのだ。脳裏には、複数のイメージが重なり、感情をぎゅうぎゅうと刺激する。文字の持つパワーとは、ここまで高められるのかと感動を覚えながら、描写される「滅び」を、一気に読み進めていく。それは「滅び」をテーマとし、美しく構築された「詩」。またそれは白亜の建築物、華美壮麗な白銀のアートだった。


 滅びの描写はさらに、これでもかと言わんばかりに続いた。言葉によるすさまじい暴力、破壊というものは、この大火と同じだ。人はその威力の前に、なすすべもない。焼かれて軽く吹き飛ばされる、紙切れだ。そんな無力に、Rは知らず知らずのうちに泣いていた。ぽた、ぽた、と、テーブルに涙が落ちる。いや……、無力感だけではない。さまざまな感情が、今Rの中を、かき乱していた。そうなんだ……、これが文学なんだ……、文学ってすごい……。Mさんは、本当にすごい。


 巻末の解説も含めて、すべて読み終えた……。Rは、ぱた、と本を閉じたあと、テーブルに顔をつっぷして、時折身体を震わせながら、余韻を味わっていた。あまり小説など読んだことなかったRだけれど、これだけはわかった、この本、第三巻が、ニッポンイチの小説だと。


 (あ……、そうだ)


Rは涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげ、小説をもう一度手にとった。


 (お父さんも、三巻は綺麗に読んでいたけど、私が読んだあとも、同じくらいに綺麗だね。なんでだろう、一巻と二巻は、あんなにぼろぼろなのに)


 (たぶんそれは……、色々あるとは思うが、プロットの複雑さが、一巻、二巻ほどではないからだろう。突然挿入される、テキスト中テキストもないし、時間をさかのぼって明らかとなる事実もない。あと、一巻、二巻では、青年の立場での語りだったが、三巻からは大人になったBが主人公だ。円熟した性格の、Bの目を通した描写による、文体の安定感も、あるのかもしれないな)


 (文体の……、安定感?)


 (うん……、文体の安定感とは、それを描写する主体の、心の安定感を、表現するための一つの手法だ。逆のテクニックに、「信頼できない語り手」というのがあるな)


 あらたなMの持つ技法も学び、すっきりした所で、Mが「今回の読了のご褒美」に話題を移した。


 (実はね、今回のご褒美はもう決まってるんだ)


 (え! デートじゃないの? デートがいいのに!)


 (まぁ、デートがいいなら、それも込みでもいいけど、それよりこれだ)



 Mはそう言って、ポケットから小さくて高級そうな箱を取り出した。


 (なにこれ……)


 それは第三巻で重要なアイテムとして登場した、エメラルドの指輪だった。かわいい感じの、軽いエスニックな模様が入っていた。


 (三巻で描写されていた指輪は、もっと骨董的価値も、アクセサリー的価値もあるものだったが、これもかわいいだろ?)


 (うん、ありがとう、すごくうれしいよ!)


 Rは小箱を両手で持ち胸に引き寄せ、顔を伏せた。その顔は幸せそうだ。Mは黙って、そんなRを優しく見つめた。


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