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第二章 9節 告白

「お母さん、2巻読み終えたよ!」

残業を終えて帰宅した母親に、Rがうれしそうに報告した。


「そうなの? すごいね! 2巻で挫折する人も、多いって聞いてたけど!」


 母は奥の部屋に向かい、Rの父の遺品入れを探った。最近は母親は、夜の食事の支度をすることはなかった。Rが料理をしてくれるようになったからだ。残業で疲れた身体に、そのRの心遣いほど、うれしいものはなかった。


「あった!」母は2冊の本を手にして、キッチンに戻った。


「3巻と4巻?」

「そう、Rちゃんなら最後まで読めそうだから、全部渡しておくね」

「うん、ありがとう」


2冊の文庫本を受け取ったRは、その2冊の、痛みが少ないことに気が付いた。1巻と2巻は、何回も読み返されたように、ぼろぼろになっていたのだ。


「なんか、3巻と4巻は、まだまだ綺麗だね」


Rは文庫本をテーブルの隅に置き、席についてお箸を取り、いただきますと言った。母親もそれにならう。


「2巻は、どうだった? お母さんはまだ読んでないけど」


「うん……、ちょっと悲しいお話だったよ。1巻が、美しい女性の文体だとしたら、2巻の文体は、荒々しい男性の文体」


「文体……、か。へーー、それって作者が、書き分けたのかな?」


「うん、そう言ってた。あ!」Rは慌てて口を押えた。


「言ってた? 誰が?」


「あ、うん、友達がね、そう言ってた」


視線を母親からそらし、テーブルに向ける、R。


「ふーーん……」


 (またお母さんに、嘘ついちゃった……)


Rは少し、後悔する。


 (R、前から思ってるんだけど、母親には俺のことを、伝えておいた方がいいかもしれない。俺はこの世界で、神とのゲームを闘っている。いつ神のきまぐれで、Rや母親に、迷惑がかからないとも限らないからな)


 (そう、なの?)


Rは箸を止めて、母親を見た。


「ねえ、お母さん……」


「ん?」母親も箸を止めた。それを茶碗の上に置き、Rの顔を見つめた。


「あのね、さっき私、お母さんに嘘をついちゃった」

「うん、知ってた」母がにこりと笑う。


「それでね……、本当のことが言いたいの」

「どっちでもいいよ。私に打ち明けて、負担が減るなら言えばいいし、今言えなさそうなら、もう少し時間が経ってからでも」


 (どうしよう、Mさん)


 (俺も母親同様、お前の気持ちに任せたいが、乗りかかった船だ。せっかくだから打ち明けた方がいいかもな)


 (うん……、そうだね、そうするよ)


 Rは、Mとの出会いから、今日までのことを、できるだけ簡潔に語った。途中、母親は目を丸くしたり、ひゅう、と息を吸い込んだり、眉間にしわを寄せて考え込んだりしていたが、最後まで、何も言わず聞いてくれた。


「以上です、だからさっきの文体の話は、友達じゃなくて、Mさん本人が言ったの。ごめんなさい」


 Rは頭を小さく下げた。ちら、と母親の顔を見ると、母親は困ったような顔をして、Rと天井を、交互に見ている。


「うーーん……。なんだかすごい話ね。あのMの幽霊が、この平成の日本に……。鳥肌たっちゃいそう」


「そんなに、すごいことなの?」


「うん、もちろん。遠い昔になくなった人が、今現れて、しかもそれが、あの超有名な、大作家のMで、あの世の記憶も持っていて、あなたとちゃんと、コミュニケーションが取れてるって……」


母は両手で肩を抱いて、ぶるっと震えた。


「あんまりすごすぎて、武者震いがしてきたわ。それで、そのMは今、この部屋にいるの?」


「うん……。私の身体の中にいる……」


「そう……、ちょっと出てきてって、言ってもらえる?」


「わかった」


 (Mさん?)


 (うん……、こうなるのはわかってた。今出るよ)



ずず、とMの左手が、Rの身体から抜け出す。それを見た母親の眼が、ぱちぱちとすごい瞬きをした。


 (どうやら、見えてるようだな)


 (そうみたいね)


 Mが全身を現すと、母は椅子からフラフラと立ち上がり、恐る恐る、Mに近づき、その身体に触れた。


「はじめまして、Mです。娘さんに色々お世話になったり、迷惑かけたりして……。なんと言ったらいいか……」


「いえ……、こちらこそ、娘がお世話になって……。すごい……。ちゃんとこうやって、触れるなんて……」


 母親はMの両手を取って、揉みしだいた。Mは困ったような顔で、ちらちらとRを見ている。RはそんなMを横目でみながら、麦茶に口をつけた。


ぐび、というすごい音がした。


そのうち、母は、ハンドタオルで顔を押さえ、泣き始めた。


 (Mさん、お母さんどうしたんだろう。なんで泣いてるの?)


Rの目からも涙がこぼれ、白いご飯の上に、ぽろっと落ちた。


 (心配いらない……。以前亡くなった、ある人のことを思い出してるんだ。悲しいんじゃない。うれし涙だ。亡くなっても人の魂は生き続ける、というのを知ってね……。あとで俺は、母親に、ある人の言葉を伝えたいと思う)


 (ある人?もしかして私のお父さん?)


 (そうだ……。R、お前もいっしょに聞くか?)


 (うん……)


「お母さん、さっきのRの話には、出てこなかったけど、あの世の魂は、すべての記憶を共有しているんだ。つまり、あなたの旦那さん、Rの父親の記憶も、俺は持っている。彼の最後の思いを、俺なりの言葉であなたに伝えたいんだが、いいだろうか?」


顔いっぱいにハンドタオルを押し当てたまま、こくこく、と母親は無言で頷いた。


 Mはゆっくりと、言葉を選びながら、Rの父の最後の思いを語った。後悔はしている、でもそれ以上に僕は、最愛の妻と娘を守るために死んでいけたことを、誇りに思っている。これからも二人で、強く生きて欲しい。


 母親は、再びこくこく、と頷いた。Rの眼から、またぽろっと一筋、涙がこぼれた。Rは椅子から立ち上がり、母親に近づいてその肩を抱いた。予想外に小さい、母親の肩にRは驚いた。母の背中に顔をつけて、Rは思った。


 (お母さんごめんね。大変だったんだね。ずっと私を守ってくれてありがとう。これからは一緒に生きていこうね。私もいるし、Mさんも一緒だよ。私がお母さんを守るからね)

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