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第二章 7節 2度目のデート

 Rは第二巻を読み終えた。ふう、とため息をついて、天井を見つめるR。MはRの感想を聞きたくて仕方がなかったが、やはり作者から聞き出そうとするのは無粋だと考え、黙っていた。だが沈黙の時間が余りに長かったため、たまらずMは「コーヒーでも入れようか?」と、Rに問いかけた。「うん……」、と短く答えるR。


 お湯を沸かしながら、Mは考える。Rの反応には、一巻を読み終えた時ほどには手ごたえを感じられない。多くの人が感じているように、やはり二巻には、読者をひきつけるだけの魅力が不足しているのかと、Mはそういぶかった。結局の所Mは、「Rの忌憚なき意見が聞きたい」とは思いながらも、きつい批評だけは聞きたくはなかった。「そうだ、死して超人的パワーを得たとは言え、しょせん俺は臆病なひとつの魂でしかないのだ」と、Mは自嘲した。「いや、Rの経験では、俺の文章を理解しきれなかったのだろう」と一瞬思ったが、Mはかぶりをふり、自分のそんな思い上がりを否定した。


 (そうだ……。たとえ多くの読者の一人であったとしても、Rもまた俺の作品の、貴重な一読者なのだ)


 Mは音がしないようにそっと、マグカップをRの開いた本のそばに置いた。その手が若干、震えていた。そう、Mには自信がなかったのだ。Rに自分の作品を否定されるのが怖かったのだ。それは当然のことだ。小説の作者にとって、読者というのはそのすべてが、最愛の恋人のようなものなのだから。


「Mさん?」


「う、うん?」


「正直ね、一巻のすごさと比べて、二巻はよくわからないシーンが多すぎると思う」


「うん……」


「でもね、人生って、全部が全部の時間、意味あるわけじゃないものね。無駄な時間だって、本人が気づかないだけで、いっぱいあると思う。そういう意味で、この主人公の感じた時間は、すごいリアルだったよ。でも、ちょっと退屈だったかな……」


 Rはペラペラと、ページをめくり、考えながら喋っている。MはそんなRの動きを見ているだけで、うれしかった。


「でもね……。何なのこの小説っていう、驚きはすごく感じたよ。何が起こるのかと、はらはらして読んでたんだけど、最後の最後まで、ほとんど何も起こらなくて、えーー? って思ってたら、その後ものすごい急展開。この切り替わりの早さが、能でいうと……、なんだっけ?」


序破急じょはきゅう?」


「うん、じょはきゅうなんだなって思って、最後の数ページで、涙が出そうになったよ。二巻も、哀しい物語だったね」


「うん……、ありがとう。ついでに質問だけど、一巻と二巻の、雰囲気の違いとかは、何か感じ取れたかな?」


「うん。一巻はきらきらしてて、綺麗で美しくて、悲しくて切なくて、はかなくて、折れそうで、そんなハラハラさせる感じだったけど、二巻は全然違ったね。純粋で男らしくて、たくましくて、でも潔くて健康的で。ちょっと惚れそうになる感じだったよ」


Mの心に、そんなRの言葉と、気持ちが染み入る。「我が意を得たり」と、Mは感動に震えた。


「そうだ、俺はそれを書こうとしていた。俺の小説を読んだ者の多くが指摘しているが、一巻で書こうとしたのは、『たおやめぶり(手弱女振り)』。なよやかな、女性的な文体だ。対する二巻の文体は、『ますらおぶり(益荒男振り)』。有無を言わせぬ、男らしく戦闘的な文体。その違いがわってもらえたとしたら、すごくうれしいな」


 もちろん、Mが二巻で描きたかったのは、それだけではない。他にも多くの創作意図があり、多くのテーマ、そしてサブテーマが埋め込まれている。だがその中に一つでも、何かを感じ取ってもらえれば、それでいいのだ。それだけで、作者冥利に尽きる。


「ちょっとお話は悲しかったけど、これで2巻読了だね! Mさん、また一緒にアイス食べにいってくれる?」


「あ、ああ……」


 時間は正午12時少し前。Mは考えをめぐらせる。アイスを食べると言っても、それはRのお小遣いでだ。お金を使わないでできる、Rにも楽しめる、気晴らしになる遊び。しかも夏休みの思い出にもなる遊び。できれば女の子一人でも、危険じゃない遊び、何かないか……。いや……、今東京で、お金を使わない遊びなんて無理か……。


「Mさん?」


「うん?」


「あんまり遠慮しないでいいよ? 色々小説について、教えてもらってるお礼に、たまにはMさんのいきたい場所にも……」


「いや……、それは……」


 俺の行きたい場所? そんなの、決まってるじゃないか、そうMは思った。だが、Rにそんなこと言えるわけはない。


「そう、だな……、じゃあ映画でも見にいこうか」


「映画!!」


Rの眼が、きらっと輝いた。そのRの眼に、Mはたじろいだ。


「ん? もしかして、見たい映画があるのか?」


「うん、あるよ! 『▲の名は』が見たい!!」


「アニメ……、か……」


 ▲の名は、というのは、結構話題となっているアニメ映画で、スタジオ●×▲を超えたとさえ言われているものだ。Mはスタジオ●×▲の作品の知識も、もちろん持っている。日本の映画が今ひとつふるわず、アニメに話題をさらわれているのを、Mはにがにがしく感じてはいたが、しかしそもそも、日本画というものは、アニメの原点である。特に浮世絵というものが、アニメに与えた功績は大きく、アニメが日本文化を引き継ぐものであるという考えも、出来なくもない。


Rの心を、軽くスキャンしてみると、Rが幼い頃に見た、スタジオ●×▲のアニメが微笑ましく、思い返されている。Mはそれらのアニメを高速にスキャンしながら、「これもまた日本文化の一形態……」、などと、堅苦しく考えていた。


(Mさん、いいかな? 「▲の名は」で)


(うん……。平成のアニメというものに、興味もある。Rさえよければ、俺は構わないよ)


(やったーー(^o^)!!)


 ウキウキと準備を始めるR。今回も、水色のワークキャップは欠かせない。鏡の前でポーズをとるR。


(Mさん、私かわいい?)


(ああ。シックな色合いのシャツは、いい感じだ。帽子がよく映えている。だけど太腿があらわなその短めのハーフパンツは、どうかな?)


(えへへ(^^))


 まあ、ちょっとくらい露出気味だとしても、俺が一緒だから何とかなる。そう考えたMは、いや、ちょっと心配しすぎだろう、俺はRの父親でもなんでもないのだ、と少し自重した。例えば映画館にいく途中で、Rがもしチャライ茶髪の男にナンパでもされたら、俺はどう反応するだろうか? 平安時代には鬼と恐れられた俺の『秘奥義』を、この平成の、軟弱な男どもにお見舞いするのも気がひける。まあ、何か事件があったら、その時だな、とMは思う。


 白い靴下に、ちょっと古びたトレッキングシューズをはいて、Rは元気よく外に出た。玄関は北に向いているが、環境光が軽く目を刺激する。まだ、いい感じの夏だ。遠くに小さく入道雲が見える。


(Mさん、ありがとう。「▲の名は」、見てみたかったんだ)


 映画館は、ショッピングモールの一角にある。一巻を読み終えた時と同じように、Rはアイスクリームを買い、3階から広いフロアを見おろしそれを食べたあと、映画館へ向かった。


(ラブラブな人達ばっかりだね)


(まあね。そういう映画だからかな)


(Mさん、手を握ってもらっていい?)


あと少しで上映開始という所で、Rは気弱に、Mにそう言った。


(ああ……。少し左手を借りるよ)


(うん……)


MはRの左手の神経を奪い、そっとRの右手の上にのせた。


(ありがとう、あったかいよ、Mさんの手)


 Rは右手で、左手をぎゅっと握った。Mは少し躊躇しながら、その右手を握り返した。映画が始まった。オープニングの抜けるような青い空が、RとMの目にしみた。

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