第二章 4節 リライト
※ここから突然、一人称から三人称神視点へ。全体での視点の統一も考えたのですけど、書き直しによるデメリットよりも、このままのメリットの方が多いと判断し、このままでーす。
「何これ、難しい。ぐぬぬう……」
Rがうなっている。MはそんなRを、腕組みをして見つめていたが、やがて助け舟を出した。
「そこはね……。実は俺の最大の弱点が出ている、もっとも読みづらい部分なんだ」
「え? 弱点? 天才のMさんの?」
Rの眼が、きらっと光った。興味津々、といった表情である。Mは頭をかきながら言う。
「俺は天才なんかじゃないよ。そう勘違いしていた瞬間もあったけどね。自決をして死んでみて……。『阿頼耶識』という巨大な記憶に触れて俺は知った。俺の持つテクニックなんて、大したことなかったとね。その中でも、もっとも勘違いしていたのが、『構造美』についてだ」
Rは、Mが少し遠い目をしたような気がした。Mが言葉を続けた。
「多くの者が、俺の文章は、構造美にあふれていると言った。俺もそう思っていた。だがそれは同時に、俺の最大の弱点だったのだ。簡単に言おうか。俺はその、テキスト中テキストで策に溺れたのだ」
テキスト中テキスト、というのは、ある小説中に、別の文書が挿入されるような構造のことである。Rが「これ?」と、開かれたページを指差した。
「そう、それだ。俺はそれを、わざと拙い文章で書いた。なぜそんなことをしたのかというと、その時代に文章を書く人物に、美しい文章を操る者がいるとは思えなかったから、学のない振りをして書いた。語彙や表現のレベルを落としてね……。それはリアルさを増すためのテクニックのつもりだったんだけど、俺の作品を読んだ人は、そうは理解してくれなかった」
「読者から見たら、ただのわかりづらい文章だよね?」
「うん……。もう一つ言うと、俺は難しい文章ほど、純文学にはふさわしいと勘違いしていた。本当は、全くの逆。真の天才ならば、誰にでもわかりやすく書けるはずだったんだ」
MはPCを引き寄せ、カチャカチャとキーボードを叩き、検索結果をRに見せた。表示されていたのは、天才物理学者、アルバート・アインシュタインの文章だった。
「アインシュタイン! すごい人だね。でもこの文章……、すごく読みやすい」
「うん……。天才性と芸術性は、必ずしも関係するものではないが、今の俺ならわかる。難しい文章というのは、どこか失敗してるんだ。さっきのテキスト中テキストについて言うとね、こういうのが正解なんだ」
カチャカチャ、とMがPCに入力し、Rに見せた。Rが驚きの声を上げた。
「え! そういうことだったの?」
「そうだ。俺が伝えたかったのは、こういうことなんだ。俺はリアルさにこだわりすぎたために、読者の読みやすさを考慮するのを忘れてしまっていた。しかもだ! 誰がその文章を書いたか、だとしたらどう記述されるべきかさえも、考慮していない。読みづらいのも、当然だな。読みづらい文章が、こんな長い間、残っているはずがない。だからR、お前の苦悩は正しい」
「うーーん、正しいって言われても、結局理解できなかったのは事実だし、全然うれしくないよ」
「そうだよな。じゃあ、特別に……。俺がこのテキスト中デキストを、リライトしよう。今風にね」
「おぉ……」
Mは右手で「集中」のポーズを作り、めらめらと燃える赤い日を、その右手にまとわりつかせた。PCの画面に、ものすごいスピードで文字が表示されて行った。Rは立ち上がって、Mの背後に回り、PCの文字を読み始めた。Mの眼も、Rの眼も、ともにきらきらと輝いていた。ディスプレイに次々と打ち出される文字は、原文とは似て非なるものだ。同じ単語の順序を少し変えたり、語句を少し代えてみたりしただけで、文章というのは、こんなに読みやすくなるのかとRは驚嘆した。機関銃のような打鍵音がぴた、と止まった。Mによるリライトが終わったのだ。
「ふう」、息をつくM。
「すごくすっきりしたね」
「すっきりどころか、これだと省略しすぎて、ダイジェストでしかないんだけどね。少し理解できたら、もう一度原文にチャレンジしてくれるかな?」
「うん、わかったよ」
Rは椅子に座り、文庫本を引き寄せ、読み始めた。これで少しは、読むスピードも速くなるだろうと、Mが思ったとき、Rが顔を上げていった。
「Mさん、さっきアインシュタインの話をしたよね?」
「ああ……」
「アインシュタインの記憶も、今のMさんにはあるの?」
「それは……、例外の一つだな。ほとんどの人間の記憶は、その人間が死んだら、俺の中に吸収される。だが、例外がある。日本人以外の民族、そして日本人の中のごく一部の者。前者はわかりやすいが、後者は俺にもその仕組みがわからない」
「ふうん、じゃあMさん、英語ぺらぺらというわけじゃないんだね」
「いや、英語ならぺらぺらだ。俺は単身、ニューヨークに旅したこともあるぞ」
「そうなの!」
「ああ、だが断る!」
「え?」
英語の宿題の答えを教えて、というRの心を先読みして、Mは断った。悔しがるRを横目で見ながら、Mは思っていた。
(そうだ……。忘れていた。俺が転生した目的は、小説ではなかった。それがもう少しで、出てきそうだ……。アインシュタイン、がその鍵なのか……? 相対性理論、原爆……。だめだ……、思い出せそうで、思い出せない)
神によって消し去られた「復讐」というキーワードを、Mは必死に思いだそうとした。だが少ししてMはあきらめた。そんな物騒なキーワードを思い出せるほど、今のMは、わりと不幸ではなかったのだった。




