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第二章 1節 小説の基準

 Mさんと出会ってから数週間、夏休みが始まった。私はしばらくは、コンビニのバイトはお休みして、Mさんと一緒に、小説に集中することにした。母もバイトを休むことに、賛成してくれた。


「はああ……」窓の外の、黒く曇り出した空を眺めながら、私はためいきをついた。テーブルの上には、「■■の●・第一巻・〇の□」が置かれていて、読みかけのページが開かれている。


 (どうした?)


 (うん、小説の書き方は、なんとなくわかったんだけどね。でも、どういう小説が、いい小説なのか、わからないの。Mさんの小説のプロットを、参考にしようと思ったけど、聞いてるだけで、眠くて眠くて……)


 (うん、まあ、いい小説なんて、簡単に定義できるもんじゃないな。自分の書きたいものを書いて、それを読みたいと思ってくれる人がいて。そういう、この世に生まれてきたことが幸せな小説、というものは、あるのかもしれない)


 (でも、天才Mさんの小説は、みんながいい小説だって、ほめてくれたんでしょう?)


 (そうでもないさ。俺は運がよくて、話題になっただけだ。俺の小説を手放しで絶賛する者もいたが、逆にどんな作品を書いても、必ず批判する者もいた。それぞれの頭の中に、「これが理想の小説」という、定義があって、それと近ければ褒められる、かけ離れていればけなされる。それだけのことなんだよ)


 (ふうん……。じゃあMさんは、小説を書く時に、どんな基準を持ってるの?)


 (基準?)


 (うん……。たとえば、書きたいシーンが2つあって、そのどちらかを書くと、もう一つが書けなくなる、みたいなときに、どういう判断で、どっちを採用するのかなって)


 (なるほど……、それは……)


 Mさんは話をしてくれた。Mさんの「小説観」を。小説というのは、空から落ちた一滴の雨が、山の木々の葉を濡らし、地面に落ちて、地下にしみこみ、土の中をゆっくりと移動して、湧水になって、渓流に流れ込み、他の水と集まって川になって、最後に、海にたどり着くようなもの。そんな水滴の旅を描くとき、水滴がどこに降って、どういう景色で、とかはあんまり重要じゃなくて、そういう水滴の旅全体を俯瞰して、うまく文章で構築することが、Mさんの「書きたい小説」、だそうだ。


 (その時、俺は神になってその水滴の旅を眺める。そうしてこそ、うまく「構築」できるからね。美しい日本語を使い、美しい小説を、「構築」する。そんな構造美が俺にとっては、最低限クリアすべき条件、かな)


 (ふうん……)


 (それにストーリー性が加わると、より破壊力を持った小説になる。例えば山を疾走するイノシシ。その毛に水滴が付着し、いろいろあって川に吸収され、水滴は水中での生物の弱肉強食の様を眺め、驚嘆しつつ、時には滝の一条となって、岩に叩きつけられたり、時には少女によって手桶にくみとられ、花瓶の花と語らったり。「構造美」を骨とすれば、ストーリーは肉だ)


 (ふんふん……、わかりやすいね)


 (さらに、1冊の本。その1ページに記述できる文字数は、限られているね。そして読者が小説を読むのに使える時間も、無限じゃない。限られた字数、限られた時間で、どれだけ多くの読者に、満足してもらえるか。それが重要なんだ。俺が書きたいのは「構造美」と「ストーリー」。でも、書いて終わりじゃない。そこに俺が込めたメッセージが、読者に届かなければ、その小説は、無意味、無価値なんだ。そのための最大限の配慮、それが「慈愛」。「構造美」と「ストーリー」と「慈愛」、この3つをバランスよくちりばめられれば、それが「いい小説」と言えるんじゃないかな? 俺はそう思う)


 (なんとなくわかったよ、ありがとうMさん)


 テーブルに置いた小説に、視線を戻す。そうだ、この作品の主人公も、きっと一滴の水なんだ。そんな一滴の水が歩んだ道が、ストーリーが、この小説には描かれている。水は、この一巻の最後には、海に着くけれど、第二巻ではまた雨になって、大地に降り注いで、二度目の物語が始まるんだ。


 (そうだ。俺が描きたかったのはそれだ。清らかな水が、清らかなままに旅をつづけ、海に至る。その水が、再び清らかなまま、何度も旅をする。そのひたむきさ。けなげさ。それを理解して読むと、読みやすいかもしれないね)


 私は右手で例のサインを作って、意識を集中させた。ゆら……、と指と、その向こうの景色が歪み始める。読みかけのページをみると、ベージュ色の紙に印刷された黒い文字に、銀色の縁取りがされて、きらきら輝き始めた。


 (わかる、わかるよMさん。これが小説を読む楽しみ、小説を書く楽しみ、なんだね)


きらきら輝く風景の中で、私は、もくもくとその小説を読み進めた。第一巻読了まで、あと少しだ。

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