第一章 14節 エネルギー注入
私は仰向けになって目を閉じているMさんに近寄って、恐る恐る、その身体に触れてみた。流れ込んでくるような快感は、もうなかった。
(Mさん、Mさん!)
私はMさんを揺さぶった。もしMさんが幽霊だとしたら、どうやって起こせばいいんだろう。もしこのまま意識を戻さなかったら、お母さんになんて言えばいいんだろう。お母さんには、Mさんが見えるんだろうか? わからないことだらけで、私は混乱していた。でもその混乱に耐えて、私はMさんを、揺さぶり続けた。Mさんは、目を開かなかった。
ふっと思いついて、顔を上げる。そうだ、Mさんのあの小説を使えないかな。もともと、Mさんが私に興味を引かれて、私の身体に入り込むきっかけになったのは、あの小説だし、それからもずっとMさんは、小説に異常な思い入れを持っている。私は立ち上がって、Mさんの小説を探した。それは私の寝室の、枕元に置かれていた。発見したそれを持って、台所のMさんのそばに膝をつくと、私は心の中で何かを祈りながらページを開き、その文章を読んだ。Mさん、Mさん、しっかりして。心の中では、そう強く念じていた。ちらっとMさんを見ると、その手がぴくっと動いた。
(Mさん!!)
私はMさんの手を握った。もしかして、効果あったの? Mさん、もう少しやってみるよ? 私は小説に視線を戻し、再び読み進め始めた。Mさんの手がふるふるっと震えたあと、私の指をしっかりとつかんだ。Mさんは目を開けていた。まぶしそうに天井を見上げたあと、私を見て言った。
(やめてくれないかな、俺の若い頃の小説を声に出して読むのは。闇の中で声が聞こえた。恥ずかしくて、あわてて飛んできたよ)
Mさんが、口をゆがめて笑った。私はMさんにそっと抱きついた。よかった。
(悪いがR、少しだけ気のエネルギーをもらうよ。お前の責めで、今の俺は完全に電池切れだ)
(あ、そうだね、ごめん。ごほうびとか、いわなきゃよかったね。エネルギー? Mさんが必要だったら、いくらでも)
Mさんは私の腰、背中と手を廻して、私の頭に手をそえて、引き寄せた。私は、されるがままに、Mさんの顔に引き寄せられた。Mさんは、私のおでこにMさんのおでこをくっつけて、目を閉じた。さっきまでのような快感はもうなかったけれど、触れ合ったおでこから、Mさんの温かさが流れこんでくる。
(そうか、これが人と人との触れ合いなんだ。なんて優しい、気持ちいい感触)
Mさんが私の身体を押して、私は現実に引き戻された。
(Mさん……)
(ありがとう、充分だ)
Mさんは充分、と言ったけど、たぶんそれは嘘だったようだ。うめきながら、Mさんはゆっくりと起き上がった。まるで素早く起き上がると、身体がばらばらになってしまうと思っているかのように。
(もうひとつ。ついでにRの記憶を読ませてもらったよ。女神がこの世界に現れるなんて、あまりないことだ。何かが起こっているのか……、それともペットであるお前がよほど大事なのか……。しかし女神のペットとは、どういうことだ。)
(うん、私にもわからないよ。Mさんにもわからないことって、あるんだね)
(まあね。俺が全部知っていると言っても、それは俺の目が届く範囲でのことだ。以前言った通り、この世もあの世もシンプル。あの世のことわりを知ったからと言って、万能になれるわけでもない。それよりR、そろそろ母親が帰ってくる頃だ。部屋の汚れと、その服を綺麗にして、風呂にでも入っておくとどうかな)
(そうだね……、うん、そうする。覗かないでね?)
(ああ。じゃあ俺は身を隠して、小説のプロットでも考えてみるよ)
Mさんの手のひらに爪を這わせながら、つないだ手を離して、私は立ち上がった。Mさんはゆっくりと透明になって、私の身体の中に入ってきた。するっと服を着るような感覚。これが身を隠すということなんだね。でもこれだと、Mさんに内側から覗かれない?
(うん、覗ける。でも覗いても仕方ない。男女問わず、すべての人間の記憶を持つ俺は、お前の身体に興味はないんだよ。全く興味ない、とは言わないけどね)
(ふうん、ちょっとは興味あるんだ、うれしいよ)
私は時計を見上げた。そろそろ急がないといけない時間。私はお風呂に行き、湯をはるために蛇口をひねった。Mさんの気持ちの緊張が高まって、何かを懸命に考えている様子が、私の心に伝わった。きっと「幻の第五巻」のプロットだね。かわいいよ、かわいいよMさん、私のMさん。