第一章 11節 予鈴
自分用にも1部印刷して、私はその小説、「リバティー・リーブス」を眺めた。Mさんは、これを簡単に書けるなんて言ったけど、そんなこと言えるのは、天才と言われたMさんだからではないのかと、私は思った。でも反面、これだけ短い小説なら書けるかも、とか、現実じゃない世界のお話なら簡単そう、とか、そういう気持ちも膨らんできたのも確かだ。
そのとき、お昼休み終了5分前の、予鈴が鳴った。
私はPCの周りを片付けて、電源を切り、借用終了の手続きを済ませて、教室に歩き始めた。そこでMさんが言った。
(色々思う所はあると思うが、結論はこうだ。「やってみなければ、わからない」)
(うん……)
(でも一つだけ言えることがある。それはお前が今日初めて、小説というものを完成させたということだ。俺が手伝ったかどうかとか、そもそも、俺という存在が現実かどうかとか、細かい事は置いておけば、それが事実だ)
(あ、そうだね、私が急に、小説を書けるようになったっていうことで、Mさんの存在を証明できる、かも?)
(それ単体での証明は無理だが、状況証拠のひとつにはなると思う。ただまあ、そういう証明が必要になる場面がくるかどうかだが)
(うん。でもその時のために、これは大切に置いとかなきゃ)
私は印刷した紙を、胸にぎゅっと押し当てた。教室が近づいてくる。考えてみたら、自席以外の場所で、昼休み終了5分前の予鈴を聞いたのって、いつ以来だろう。もしかしたら、入学してこれまで、一度もなかったかもしれない。私はいまさらながら、私自身が送ってきた退屈な学校生活を思い返してぞっとした。Mさんと出会わなければ、卒業するまで、いや、もしかしたら一生、そういう生活のままだったかもしれない。人生ってちょっとしたきっかけで、変わるものなのかもしれない。
(そう、あたかも役目を終えた枯葉が、自由を求めて風に運ばれるように)
(うん……。あ、そういえばMさん、私に質問をしながら、もう枯葉の小説を書き始めてたんだよね? なぜ主人公を枯葉にしたの?)
(ああ、枯葉は最初にお前の記憶に触れたときに、感じたイメージだ。子供らしくない、乾いた秋のイメージ。そこにどうにかして、光を当てたいと思っていた。それがもしかしたら、俺の生まれ変わった理由かもしれない、とね。あとはまあ、俺の質問に対するお前の答えは、予想はできていたから、どういう答えであっても対応できるような設定を用意してから、書き始めた。あとは……、現実のお前のストーリーを暗示させた小説だと、感じさせない程度にぼかす必要があった。何に例えればうまくぼかせるかと少し考えて、枯葉なら問題ないだろうと思った。そこまで考えてから、書き始めたんだ)
Mさんの説明を聞きながら、教室に戻り自席に座った。小説を、ぼろぼろのカバンに大切にしまった。
(ふうん……、いろいろ考えてたんだ。あんな短い時間に。やっぱり私には、難しいかもだよ)
(まあ、さっきはたまたまうまくいったが、書いてる途中、辻褄が合わなくなることも、たぶんあるだろう。 でもそれが原因で死んでしまうこともない。怖がる必要はないよ。むしろ怖いのは、退屈による死だ。それが最大の恐怖だ。俺にとっては。R、それだけは覚えていて欲しい。いいね?)
(うん……)
初めてMさんが、私の名前を呼んでくれた。うれしかった。Mさん、午後の授業もがんばるよ、退屈で眠くなるかもだけどね。私は机の上に教科書をおき、両手を当てて、目を閉じた。授業開始の合図が鳴った。