4 アサシンの力、解放
「この子が孫娘の、サリエラじゃ」
楽しそうに皇帝が言った。
なるほど、ずいぶんと勝気な表情だし、きっと甘やかされて育ったというのがわかる。いろんなものに対して強い自信がないとこんな表情にはならないからな。
「テオドールさん、あなた、わたくしが甘やかされて育った、苦労知らずなじゃじゃ馬だなとでも思ったでしょう?」
審問するような目でサリエラに言われた。
「そこまでは思ってませんよ!」
甘やかされてるだろうなぐらいは考えもしたけど。
「ちなみに、わたくしは甘やかされて育ってきたわ! もう、砂糖で換算すると、これ以上はお湯にも溶けないというほどに甘やかされてきたわ! 人生を舐めているわ!」
なんだ、この子、自分から宣言してきた!
護衛二人も困った顔をしているから、この孫娘はこういうキャラなのだろう。
「だから、結婚相手だって容貌で選ぶ権利があるの。なにせ皇帝の直系親族なんだから。別にわたくしが皇帝になっても問題はないのよ。女帝という例が皆無でもないし」
「ああ、それは存じ上げてます」
帝国の歴史上、四人の女帝がいた。
「そこで宮廷の男たちの顔を一人ひとり見てきたわ。結論から言うと全滅。とても嫁ぐ気にはなれなかった」
「あの、お言葉ですが、宮廷全部見てくれば、いい男の一人や二人は絶対にいると思いますが……」
俺だって何百人何千人の中でも一番顔がいいだなんて思い上がりはない。そこまで異常に光り輝く容貌だと、それはそれで暗殺に向いてないことになるし。暗殺者に向いているのはあくまでも、そこそこ整っている顔だ。
「いないわよ。なにせ、自分で確かめてきたんだから。相手の目を見てやれば、すぐにわかるわ」
なんだ、瞳で心に曇りがないかでもチェックしたということか?
それならそれで筋は通っている。自分の権力に固執しそうな奴を皇帝にするべきじゃないだろうし。
「みんな、明らかに弱いの。武人の目をしていなかった」
「はっ!?」
「武人の目をしていなかったのよ」
「あっ、俺の『はっ!?』は聞き取れなかったって意味じゃなくて、『何いってるんだ、こいつ』って意味です」
ちょっと失礼だっただろうか。でも、変な発言には違いないから大丈夫だろう。
そこで皇帝が注釈を入れてくれた。
「サリエラはわがままじゃが、そのわがままには実は血統以外の根拠があるんじゃ。つまり、ものすごく強いのじゃ」
さっと、サリエラが格闘技の構えを取った。
ほんのわずかに前傾姿勢になり、手はすぐに動かせるように前に出す。
「素手での戦いでなら、宮廷でわたくしに勝てる男はまだ見たことがないわ。幼い頃からひたすら鍛えてきたから」
「どうして甘やかされて育って、そうなるんですか!?」
「幼い頃、親にパンチしたら、親が『すごく重いパンチですねー、サリエラはきっと格闘技のセンスがあるでちゅよー』とか言ったそうなの。わたくしはその言葉を聞いて、誰よりも強くなろうと決めたのよ」
「そんなバカな!」
「けど、最初から無敵の人間はいない。わたくしは特訓中に何度もみじめな思いをしたわ。だから、ひたすら体を鍛えて、十二歳の時についには師範すらも倒したのよ。それ以降、わたくしは無敗なの!」
俺が皇帝に選ばれた真の意味がわかった気がする。
「皇帝陛下、つまり彼女に勝てる可能性がある人間をお探しだったんじゃないですか……?」
「そうじゃ。肉体的強さも重要な素養じゃからのう」
謎が一気に解けた。
「あなた、とんでもないアサシンだったそうね。わたくしと戦ってみなさい。それで勝てたら、あなたの妻になってあげるわ!」
好戦的な視線でサリエラは笑った。
なんというか、純粋に戦いを楽しんでいる目で、俺はうらやましくなった。
俺にとっての人殺しもそのための練習も苦痛でしかなかったからな。
「わかりました」
俺も席から立ち上がる。
「ちなみに場所を移しますか? ここでかまいませんか?」
「ここでいいわよ。強い武人は場所なんて選ばないものだから」
なるほど。それは真理だ。
さて、どうしたものかな。このサリエラという子も、瞳を見て強さがわかると言っていたぐらいだから、かなりの手練れだろう。相手の強さを正確に測るには相手よりもかなり強くなければ不可能だ。
「あなたは宮廷の男とは違う危険な部分がある。目でわかるわ。濁ってはいないけど、かといってわかりやすい信念に燃えるような瞳とも違う。未知の部分があるからこそ面白いの!」
「そりゃ、アサシンと何人も出会う機会はないでしょうからね」
「それじゃ、こっちから行くわよ!」
気合いのようなものが体に向かってくるのがわかった。
まともに受けたりはしない。
俺は飛びのいて、壁に向かってジャンプする。
その壁に足をひっかけるように、天井の角に移動する。
「まるで蜘蛛みたいね!」
「そうですね、これは蜘蛛の動きと言われてます」
久しぶりだから体が少し鈍ってるな。こうやって天井から相手を襲撃する時に使う技なのだけど、森での生活には一切必要ないからな。
「けど、上に登った以上は降りてくるしかないわ。そこを狙い打ってあげる!」
たしかに俺は翼が生えてるわけでもなんでもないから、落下するしかない。
けど、それに逆らうことぐらいはできる。
俺は天井に靴をつけると、そのまま天井を歩いた。
「えっ!? どういうこと!? そんなことできるわけが……」
かなり驚かれてるらしいな。びっくりして天井を移動している俺を見つめているのがわかる。
たいした仕掛けじゃない。靴に刃物を入れていて、足に力を入れると、それが押し出されるようになっている。つまり、靴を針代わりにして刺しているわけだ。
ただ、やがてサリエラの表情がゆるんだ。
「トリッキーなことばかりやってくれるじゃない。イグーア出身のアサシン――通称忍びの者の動きは健在ってわけね」
これ、心から楽しんでるな。
「こんな不思議な対戦相手と戦ったことはないわ。その点は本当に褒めてあげる! あなたは最高だわ!」
そう言いながら、もうサリエラは殴りやすい高さにあった俺の頭を殴りに来た!
俺はそれをかわしながら、地上に体を戻す。テーブルに着地した。
「逃がさないわよ! さあ、わたくしと拳をかわしなさい!」
すぐにサリエラもテーブルに乗ってくる。とんでもない皇帝の孫娘だ。平和な今の帝国にはまったく似合わない!
サリエラのパンチの威力は明らかに強い。何発か回避したからわかるけど、一発でも直撃したら普通の人間は大ケガだろう。細い木ぐらいなら叩き折れる。
ただのケンカ殺法じゃない。全体重を拳に一気に集めて、放っている。たしか、通称「鎧砕き」とか言った気がする。
「逃げてないで、わたくしと拳で語り合いなさいよ!」
「俺の戦い方はそういうのじゃないんですよ!」
でも、攻略法を思いつきはした。
多少、ずるい気はするけど、まあ、いいか。
俺はサリエラの拳をわざと喰らう。
もちろん、徹底的に腕でガードをしてだ。でないと、そこの骨が壊れる。
「それぐらいで防ぎきれると思ってるの!?」
たしかにおっしゃるとおり、俺の体はガラス窓のほうに飛んでいく。
当然、ガラス窓は粉々に割れる。
いくら皇帝の一族とはいえ、乱暴狼藉のかぎりを尽くしてるな。もっとも、そこに飛ぶように動いたのは俺だけど。
「お祖父様、この勝負、わたくしの勝ちのようね」
出たな、最高の隙。
それは油断だ。油断した敵を殺すのはアサシンにとったら朝飯前だ。
俺は割れた鋭利な窓ガラスを両手に持って、再びサリエラのほうに跳躍。
「なっ! そのまま外にまで飛び出たはずっ!」
「甘かったですね! 今のはわざとですよ!」
そして、サリエラの首元に背後から二つのガラスの刃を突きつける。
「次の瞬間には俺があなたの首を取れます。これで俺の勝ちということでよろしいでしょうか?」
さすがにサリエラも動けない。
護衛たちが「貴様、無礼だぞ!」と、こっちに向かってきたから、にらみつけてやった。
それだけで護衛の足は止まる。
殺気をぶつけてやったからな。
「悪いけど、俺は正真正銘、アサシンだった男だ。無礼もクソもない。俺が殺すのは常に俺より目上の人間だったし、俺より存在価値が低い奴なんてまずこの国にいないんでな」
一方で、皇帝は俺が逆襲に出た時は驚いていたけど、今では平然と笑っている。この人も、大物だな。普通は取り乱すだろうに。
「サリエラ、決着がついたようじゃが、どうじゃ?」
「ふふふ、はははははっ!」
サリエラは元気に笑っていた。
「わたくしの負けよ。テオドールだっけ、武器を捨てて」
これで騙し討ちだったら、ただの反則だぞと思って、本当にガラスの刃を床に捨てた。
すぐにサリエラが振り向く。いきなり殴ってくるんじゃないだろうな!?
でも、違った。
頬にキスをされるだけですんだ。
えっ、キスされた……?
ファーストキスって、こんなにいきなり来るものなのか……。
「テオドール、あなたの妻になるわ。約束は守らないとね」
「そんなこと、あっさり決めていいんですか……?」
キスだけでパニックになるほど初心じゃないけど、予想外ではあった。
「ええ、だって、わたくし、あなたに惚れてしまったもの。あなたはわたくしにないものを持ってる。わたくしはあんな戦闘技術を持ってないわ」
自分にないものを持ってるって、もっとロマンティックな意味だと思ったけど、全然違った。
妻も決まったことだし、よしとしようか。
次回は夕方か夜に更新します!