2 皇帝になるしかないようです
俺は言葉の意味がわからず、あきれて、口を開けた。
厳密には言葉の意味はわかるが、なんでそんなふざけたことを言うのかがわからない。
もしや、高齢で耄碌しているんだろうか。たまに自分が皇帝だと思いこんでいる老人とかがいるとは聞くし。
「皇帝にすると言われても、あなたが言っただけでは無理ですよ。皇帝本人がそう指名するならともかく」
「だから、わしは皇帝じゃ。皇帝ザール二世じゃ」
いやいや、まさか、皇帝がこんな森の中に来るわけが――
護衛二人が、帝国の証明書みたいなものや、帝国の紋章入りのグッズをもろもろ出してきた。
「マ、マジなんですか……?」
「マジじゃ」
少なくとも、大量の偽物を用意して俺を騙す理由がどこにもない。
とはいえ、それで納得がいったかといえば、話は違う。
「俺に皇帝にする意味ってどこにあるんでしょうか? 俺はしがない森の引きこもりですよ」
「人の噂によると、立派な青年隠遁者が森に住んでいるという話じゃった。そして、噂にたがわぬ賢人ぶりであったことが証明された。そなたの知識は高名な神官も舌を巻くぞ。皇帝は太陽神アムルテラス様第一の下僕とも言われておるからの。アムルテラス教には明るいもののほうがよい」
言いたいことはわかる。少なくとも皇帝の理念としては、アムルテラス教に詳しいほうがいい。アムルテラス教の行事の多くにも皇帝は出席するし。
「だからといって、俺には何の後ろ盾もありませんし、いくら国が平和な時期とはいえ……」
「聞いてはくれぬか。元アサシン殿」
その言葉を聞いて、ぞくりとした。
「知っていらっしゃるんですか……?」
「これでも皇帝であるのでな。あらゆる情報が集積されてくる。そなたが『八角形派』を滅ぼしたこともな」
とても一般人が知りえる情報ではない。やはり、皇帝であることは疑いえない。
「それじゃ、なおさら俺はダメでしょう。元アサシンの皇帝など前代未聞です。血に飢えて、市民を虐殺するような命令を出すかもしれない」
「そりゃ、そなたが今も人殺しを続けておるならそうも思うが、森の中で静かに隠者をやっておるではないか。つまり、人殺しが空しいことをおぬしは悟っておるのじゃ」
そう言われれば、肯定するしかなかった。悟るというほどおおげさなものじゃないが、この先に答えはないなとはっきり感じた。
「人を殺す重みをそもそも知らぬ者よりは、それを経験して無意味さを感じた者のほうが、よほど信頼できる。だいたいアサシンが受けたはずの、一種の洗脳教育をおぬしは乗り越えておる。その時点で異常に意志が強い。おぬしに託したい。わしは年老いすぎた」
護衛二人が俺にたいして頭を下げた。夢でも見ているような感じだ。
「託すって、俺みたいな人間にしかできないことがあるんですか?」
たとえば二十年、三十年を要するような計画なら若い皇帝を欲する理由もあるかもしれない。
「うむ……」
ゆっくりと皇帝はうなずいた。いったい、何だ?
「おぬしには、ミーウェ帝国内部をめぐり歩いてもらいたい」
「はっ!?」
「めぐり歩いてもらいたい」
「いや、聞き取れなかったわけじゃなくて、意味がわからなかっただけです!」
「わしは、さっきこの国を漫遊しておると言うたじゃろう。しかし、老齢になって楽しむのも限界になってきた。たしかにかつてと比べれば、帝国の領土はかなり狭くなっておるが、ここには海も山もある。これをしっかり見て観光資源になりそうなものを洗い出してほしい」
それだけ聞くと、けっこうまともにも聞こえるな。
「ミーウェ帝国は観光立国を目指すべき時に来ておる。そのためには、国に何があるのか知らないと話にならん。そこで、おぬしは帝国全土に行って、観光で使えそうな場所をピックアップしてほしい」
「たしかにそういうことは必要かもしれないですね」
「そして、将来的にはこの帝国に各国の諸侯を集めて政治会議、サミットとでも言うべきものを開いてもらえれば、ミーウェ帝国は指導者としての地位を確保できるじゃろう」
なるほど。そんな構想を皇帝は持っていたのか。
「それと、おぬしはかなりのイケメンじゃしな」
「はぁっ!?」
また聞き返してしまった。
「かなりのイケメンじゃぞ。二度も言わせるな」
「だから、聞こえなかったんじゃないですって! その要素、どう政治とつながってくるんですか!?」
「わしは長く生きた。そのせいで息子も先に他界してしまい、十六になる孫娘が一人残っておるだけじゃ」
皇帝の顔が寂しそうなものになる。あっ、余計なことを聞いてしまっただろうか。
「で、孫娘はイケメンとしか結婚しないと断言しておって、これまでの候補はすべて蹴られてしまった。お前さんならいける。きっと、合格じゃと言うじゃろう」
たしかに顔は悪くはないと思う。これも実のところ、暗殺者にとって大事な点なのだ。
容貌があまりに醜悪だと、集団に紛れ込んだ時も浮き上がって目立ってしまう。これでは暗殺を行うことに支障が出る。
その点、顔が整っていれば、女装も似合うので、潜入などもしやすい。俺も女に変装して暗殺を行ったことは割とある。巨大なトロールにしか見えないような姿では、群衆の中にいても、神殿の中にいても、周囲が気になってしまい、行動には移れない。
いやいや、大事なのはそんなことじゃない。
「それって、俺に孫娘と結婚しろということですよね?」
結婚なんてまったく考えてこなかったぞ。
「そりゃ、孫娘にいい相手を見つけたいと願うのは自然なことじゃろう。皇帝の孫娘の夫なら、次の王朝を開くにしても風当たりも小さくなるし」
「意味はわかりますけど……いきなりすぎますよ……。隠者の生活が全部ひっくり返る感じすらします。それと、孫娘が俺のことを見て、チェンジと言うおそれだってありますよね?」
顔が悪くないとは思ってるけど、すごいイケメンとも思ってない。
そもそも、その人間にとってどれが好みの顔はわからない。精悍な武人みたいなのが好みな女子もいれば、知がほとばしるような切れ長な目の学生のほうがいいという女子もいるだろう。
中には、切れ長な目の学生が、精悍な武人を攻めるのがいいという女子もいるかもしれない。あっ、最後のは関係性に女子が介在しないや。
「あー、そうじゃな……。そういう時はアサシンだったということがわかったとかいって、処刑するか……」
「ちょっと、ちょっと! 落差が激しすぎる!」
そんな命懸けのお見合い、嫌すぎるだろ!
「冗談じゃ、冗談。おぬしを皇帝にすることに異論はない。ただ――」
皇帝がまた好々爺のように笑った。
「おぬしが皇帝を辞退するというなら、その時はアサシンとしてしょっ引くことはできるがの」
ああ、選択肢はないんだ……。身バレしてるんだもんな……。
すぐに殺されなかったとしても、俺以外の人間が皇帝になったら、また俺を殺そうとするかもしれない。なにせ、帝国内部では知られてるわけだし。
異端派の内部抗争でばかり使われていてよかった。アムルテラス教の重役の一人でも殺していれば、絶対に生かしてもらえていなかっただろう。
「わかりました……。皇帝の職、謹んで拝命いたします……」
次話は深夜ぐらいに更新します!