hello.goodbye summer⑨
目が覚めた私が最初に見たのは、見慣れない天井だった。暫く、何が起きたのか思い出せなかったが、徐々に戻ってくる記憶にはっとして跳ね起きた。
「ここ、どこ?」
辺りを見回して、思わず不安げな声を出してしまった。それはそうだ。周りは見た事も無い絢爛豪華な調度品に、大理石の壁。まさに、金持ちの部屋という感じだったのだから。
「千倉……ひゅーくん?」
恐る恐る呼ぶと、重厚な扉が開いて、メイドらしき人が入ってきた。本物なんて、初めて見た。
「お目覚めですか。向日葵様」
「ここは?」
「千倉家本家であり、今日から貴方の家になる場所です」
「ち……陽向は、陽向はどこ?」
「陽向様なら懲罰室に」
「懲罰室?」
「大事なレッスンとコンサートに参加しなかった為の罰を受けております」
「っ!? それなら、私にも責任がある! だから、陽向に会わせて!」
「それは出来ません。貴方はこれから、旦那様と会うのですから」
「そんなの知らない! 私は行くから!!!!」
「向日葵様!」
メイドを振り切り、私は走った。正直、千倉がどこにいるかなんて分からない。けど、走らずにはいられない。だって、これ以上、あいつが傷付く所なんて見たくないから。
「ぐっ……あ!」
「え?」
奥の部屋。そこからくぐもった声が聞こえた。微かな声だったけど、すぐに分かった。千倉の声だって。
「千倉……! ひっ!」
「おやおや向日葵様、ここは立ち入り禁止の筈ですが」
「あんた……千倉になんて事を」
「レッスンだけではなく、コンサートもすっぽかしたのですから、当然です」
何が当然だ。こんな、背中が血だらけになるまで鞭で叩いておいて何が……!
私は千倉に駆け寄ると、彼の手首を戒めている鎖を外そうとする。が、鍵が必要なのか、外れない。
「あんた鍵持ってんでしょ。貸して!」
「残念ですが、それは出来ません。まだ罰の途中ですので」
「何が罰の途中よ! 充分じゃない」
「それは旦那様が決めることです」
「知るか!!!! とにかく鍵を渡してよ!」
「出来ません」
「分からずや!」
「私は、旦那様の命令に従っているだけ」
「何が旦那様よ!」
しょうがない。本当は使いたくないけど。
「よしと……開いた!」
「なっ!」
「軽いピッキングなら、出来るのよ」
昔、手先を器用にしたくてふざけ半分でやっていたら、身についてしまった人には言えない特技だったりする。まさか、こんな所で約に立つとは……。
私は、意識朦朧としている、千倉を降ろして、傷を見た。思わず顔を顰める。これは、あまりにも酷過ぎる。
「薬はどこ?」
「教えられません 」
「教えなさいよ!」
「教えられません」
その一点張りの彼は、そのまま部屋を出て行こうとする。
「どこいくのよ」
「旦那様にご報告を。向日葵様の処罰も決めてもらわないといけませんし」
「……」
「では、後程」
ドアが締まり、がちゃんと鍵がかかる音が聞こえた。しまった。閉じこめられた。
「今は出来る限り、千倉の傷の手当しないと」
ハンカチで血をぬぐい、弦とかで切る可能性もあるので、いつも持ってる傷薬を背中に塗ってやる。その上からワイシャツを裂いて作ったお手製包帯でぐるぐる巻きにした。簡単だけど、やらないよりはましくらいにはなっただろう。
「ぅ……」
「千倉!」
「ひま、わり?」
「千倉……良かった」
「ここは」
「懲罰室だって」
「なんでお前がここに……」
「ひゅーくんの話だと、私とあんたは従兄弟らしいよ」
「は?」
「それを仙堂先輩に聞かれて、何故か拉致られた」
「なにやってんだよ。お前」
「ここに来ようとは思ったけど、流石に拉致られるまでは思ってもみなかった」
「……大爺様は、俺以上の器を欲していたからな。大爺様の子供は俺の父と弟がいるって聞いたことがある。その人は、稀にない音楽才能を持ってるって」
「そういえば、仙堂先輩もお父さんの事、音に愛された男って言ってた」
「言葉通りの意味だろうな。それをお前が受け継いでる可能性を踏んで探してたに違いない。お前のあるかもしれねぇ能力を利用するために」
それじゃまるで、ゲームでいうレアキャラと一緒じゃないか。誰かの権力とか、地位とか、そんなののために、利用されるなんてまっぴらゴメンだ。
「千倉逃げよう」
「お前はまだしも、俺は無理だ」
「なんで……!」
「それは、儂に全ての人生を捧げると契約してるからじゃ」
「え?」
入口から聞こえてきた声に、ばっと振り返る。そこにいたのは、先程の使用人と、仙堂先輩、そして、威圧的な老人だった。すぐにわかった。この人が千倉の頭領であり、大爺様とだと。
「契約って、どういうこと?」
「俺、数年前までこの屋敷に監禁状態だったんだ。けど、どうしても外の世界が見たくて、少しの自由を貰う代わりに、大爺様と契約したんだ」
「っ!?」
「儂は反対しようと思ったんじゃが、こやつを逃げられなくするいい口実だと気付いてな?死ぬ程厳しいのレッスンを受ける代わりに、学校にいかしてやってた訳じゃ。まぁ、それも今日で終わりだがな」
「あんた、それでも千倉のおじいちゃんなの!」
「儂は、あの方を満足させる音を奏でられる者を作るためなら、その過程で屍が出来ようと構わない」
「あの方?」
「我が一族の神じゃ」
何のためらいもなく言い放った言葉に、私は思わず切れそうになってしまった。
神? なに絵空事言ってるんだと。
「そんなのいるわけないじゃない」
「神はいる」
「千倉まで」
「俺は……そいつに気に入られているから、壊される程のレッスンを受けずに済んでるんだよ」
そういう、千倉の目はウソをついていなくて。もう、何がなんだかわからなくなってきた。
正直彼がいるから、幽霊とかそういうのは実際いると思う。けど、神様なんて信じられない。しかも、そんなものの為に千倉が犠牲になってるなんて。いや、私が知らないだけで、本当はもっとの人が意味のわからない神様のせいで、人生を滅茶苦茶にされているのかもしれない。神様がいなければ、きっと、千倉の両親も死ななくて良かったはずだ。
「神様なんて……」
そんな、不幸な事しか運んでこない神様なんて!
「消えていなくなっちゃえばいいんだ!!」
「っ! 馬鹿!!」
「え?」
何が起きたのか分からなかった。次の瞬間、口から零れ落ちた紅と体を貫いた激痛で、自分の体を何かが貫いたんだと気付いた。ゆっくりと視線を下げると、見えたのは無骨な刃物の持ち手。それが、ぶっすりと根元まで自分の腹にめり込んでいた。
あ、これは死ぬかも。そう思った時には、冷たいコンクリートの床に体を預けていた。
「向日葵!!!!!!!」
「神を侮辱するとは、さすが愚息子の子供じゃ。親も親だが子も子だったな。期待はずれにも程がある……。仙堂、こいつを捨てておけ。その後、お前にも処罰を下す。陽向は壊れかけじゃが、変わりが現れるまでは動いてもらわなくてな。連れてこい」
「陽向様行きますよ」
「嫌だ! 向日葵! 向日葵!!!!」
「あんまり暴れると、あやつをここで壊さないといけなくなるが?」
「っ!!」
「あれを破棄されなくなれば、分かるな」
「〜っ! わかり、ました」
ぼやける視界の中で、千倉が強く手を握りすぎて、拳の間から血が滴り落ちているのが見える。あんなに綺麗な手なのに、自分で傷付けるなんて、なんて馬鹿なんだろう。やめなよ、千倉。ピアノだけじゃなくて、バイオリンも弾けなくなっちゃうよ。そう言いたいのに、声帯に詰め物がはまってしまったかのように声が出ない。
「なんで、俺は……」
「ぁ……」
氷が厚くなる音が聞こえる。泣かないで。そんな、絶望したような瞳で。お願い、千倉。私は……。
「(あなたの笑顔が、好きなのに)」
私が不用意にあんな事を言ってしまったために、崖っぷちの千倉を叩き落としてしまった。
「……ぁ」
無理矢理力を入れて、手を伸ばす。お腹は熱いし、痛い。視界はもう不明瞭で、判断もつかない。声は相変わらず出てくれないし最悪だ。
だけど、ここで出さなければ、2度と私の知ってる千倉には会えなくなってしまう。
「……く、ぁ」
出ろ出ろ出ろ。
「ち…ぁ…ぁ」
扉がしまってしまう。はやく、はやく……!!
「ちく……っ!」
出ろーーー!!!!!!!
「ち……陽向!!!!!!!」
「っひま、わ」
「私、しな、ない」
「っ!」
「ひなた、おいて、いかない……から!!」
「向日葵!」
「まってて、むかえ……いくから」
言い終わった瞬間、無情にも扉はしまった。
「馬鹿じゃないの、君」
「せ……」
「声出さない方がいいよ。本当に死ぬよ」
そう言われると、黙ってることしか出来ない。仙堂先輩には、二、三だけではなく、十言くらいいいたのだが。
「お小言はまた後で。それよりも治療が先だ」
「……」
「陽向助けに行くんだろ? お前がここまでするのは予想外だったな。お陰で、最悪の展開だし、俺もそうそう陽向に近付けなくなる可能性が出てきた。……こうなったらしょうがない。最終手段に出る」
「え……」
「陽向をこの千倉から連れ出す。その為にならなんだって利用する。君もまだ利用価値があるから死んでもらっては困るよ」
「な……」
「なんで、ここまでするかって? それは俺にとって陽向が全てだからだよ」
真剣な仙堂先輩の瞳を見て思った。この人、本当に千倉が大切なんだって。どんなに、汚い手を使っても、それで世間から後ろ指を刺される事になっても、あいつが幸せになるなら、簡単に手を下すって。
なんで、仙堂先輩がそこまで陽向の為にするのかは、わからない。けど、私だって同じ気持ちだ。千倉をこんな茨の牢獄から解き放ってやりたい。あいつは、自由な空の方が似合っている。
「協力……します。私1人じゃ……もう、どうに……できない、ら」
「向日葵ちゃんなら、そう言ってくれると思った。大丈夫、傷が治り次第、こき使ってあげる」
ニッコリと口だけ笑う仙堂先輩に、私は思わず引き攣った笑みを浮かべてしてまった。
頼る人、間違えたかも……。