hello.goodbye summer⑤
あの音色の原因を暴いてやる。そう決意してからの私の行動は早かった。
色々な人にそれとなく聞いて、千倉が載ってる雑誌を片っ端から立ち読みした。その間、色々とあったけど、まぁ、そこは割愛と言うことで。
そんなこんなしている間に、季節は初夏から夏真っ盛りになっていた。あれから、千倉とは月1であの場所で会ってるし、たまに廊下ですれ違うけど、なんとなく壁があるのを感じていた。
それはそうだ。入ってくんなって所に、無理矢理入ろうとしてるんだから。私だって、きっと拒絶反応を起こす。
「それでも、知りたい」
例え、完全にあいつとの関係にヒビが入ったとしても。
「頑張るねー向日葵ちゃん」
「仙堂先輩」
廊下で声をかけてきたのは、一つ上であり、千倉と幼馴染兼お世話役にあたる仙堂月夜先輩。専攻はピアノだ。
千倉のお世話役だし、専攻しているのだから、そこそこピアノは上手いのだろうと思うだろう。しかし、技術は壊滅的。前に1度聞いたことがあるけど、正直、錆びたロボットが無理矢理動いているような、耳障りな音だった。今でも、思い出すと頭が痛くなる。
ピアノの調律は完璧。試しに私がそのピアノを弾いてみるけど、変な音は出ない。なのに、なぜ仙堂先輩の手にかかるとこうも不可解な音が出るのか……。理由は今も不明のままで、先生も匙を投げたらしい。それなのに、ピアノ専攻コースから頑なに抜けない、ちょっと変わった先輩だったりする。
「陽向の情報集まったの?」
「粗方は。けど、肝心な原因までは掴めなくて」
「ふーん」
「先輩にも色々話聞いたのに……。なんでだろ」
「それは、あいつが絶対、他人に言わないからだよ」
「え?」
もしかして。
「仙堂先輩は、千倉のあの音色の原因、知ってるんですか?」
「なんとなくね。けど、俺は踏み込めない」
「なんで」
「だって、あいつにとって、それは当たり前だから」
「当たり前……」
「そう。傍から見たら異常だけどね」
「……」
当たり前。それは、酷く無機質で残酷だ。その言葉を使うと、何もかもが普通になってしまうのだから。ただ、感覚が異常に耐え切れず、麻痺し、自分を守るためにとった逃避行為だとしても。
「あ、噂をすると」
仙堂先輩の視線を追うと、黄色い歓声が上がった。すぐにわかった。千倉だ。相変わらず作り物みたいな笑みを浮かべ……。
「あれ?」
「どうしたの?」
「あいつ、体調悪いみたいです」
「え?」
「だって、声に若干の疲れと熱っぽさが……。まさか、熱あるんじゃ」
私の言葉を聞いた瞬間、笑みを消し、真顔になった仙堂先輩が飛び出した。そして、あっという間に、千倉を女子の輪からかっさらってこっちに向かってくるもんだから、思わずぽかんとしてしまった。
「確かにこいつ熱あるよ。保健室連れてく」
「月夜……大丈夫だから」
「大丈夫な筈あるか」
「だって、この後、抜けられないレッスンと、コンサートが」
「なら、それまで休め」
「……分かった」
保健室に行けると分かった途端、ぐったりと仙堂先輩に体を預ける千倉。顔が赤い所を見ると、相当無理をしていたんだろう。それを声音以外に出さないとは、流石プロと同じステージに立っているだけあるな。
「向日葵ちゃんも一緒に来て」
「え?」
「俺、この後、特別授業あるし、向日葵ちゃんがいた方が、陽向安心できるだろうし」
「それってどういう……」
「まぁ、取り敢えず行こっか」
そんな感じで、あれよあれよと保健室に行き、私は看病役として残る事になった。保健室の先生は出張でいないし、ここぞとばかりに、千倉を剥こうとする肉食系女子から、守ってねとウインク付きで言われれば、この場に残るしかない。
「と言っても、私に出来ることは、汗拭くことぐらいなんだけど」
荒い息を吐いている千倉の額に浮かぶ汗を拭う。千倉が苦しいということは、きっと彼も苦しいと思ってる筈だ。そう思うと何も出来ないのは、酷くもどかしい。
「私に出来ること……」
ふと視線を下ろすと、机の上にバイオリンケースが置いてあるのを見つけた。開くと学校用の印字がされていたから、誰か忘れていったんだろう。
「そうだ。これで曲でも弾いてやろう」
子守唄のような曲なら、少しは熱のせいで高まっている神経を鎮められる筈。そう思い、私は構えると弦を滑らせた。
静寂な空間に、音の波紋を広がる。優しく、丁寧に、包み込むように。そう、母親が優しく我が子の頭を撫でるように。そっと、音を奏でていく。
「……」
千倉の頬を一滴の涙が伝った。目を覚ましてはいない。きっと、夢の中で何かあったのだろう。その一滴を皮切りに、次々と彼の閉じた瞼の端から、涙が溢れ出してくる。
「千倉……」
思わず演奏を止めて、今尚溢れる涙を拭う。何が彼をこんなにも苦しめているのか、なんでこんなにも涙を流しているのか。知りたい。そして、出来れば支えてやりたい。
「気に食わない筈だったのに……」
今は、少しでも力になりたい思ってる。彼の為じゃない。千倉の為に。
「だから、話してよ。……ひなた」
じゃなきゃ、何にもできない。力になれない。
「どんなに調べても、本当のひなたは、見えないよ」
寧ろ、遠くなっていくだけ。
「けどね。一つだけ分かったこともあるよ」
千倉……いや、ひなたをぎゅっと抱きしめる。最初の印象は気に食わない。けど、その中に微かに感じていたもの。
「ひなたは、私と少し似てる」
どこがと言われると分からない。だけど、似ていたんだ。それがさらに、気に食わなさを上げていたのかもしれないけど。
「だから、私が力になれる時は、遠慮なく言ってね」
彼が結んだ奇妙な縁。すぐに切れると思ってたのに、いつの間にか、自分から手を伸ばして、切れないようにと掴んでいた。
そして、その行動の果ての感情は、きっともう分かってる。
「……」
けど、絶対に口には出さない。出したらきっと、戻れなくなる。今までの状態じゃ満足出来なくなる。それは、今の状況じゃきっと誰も幸せにしない。
だから、今は。
「早く良くなってね。……千倉」
この感情に蓋をして、今まで通りに過ごそう。
笑顔でこの言葉が言える、その日までーー。