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hello.goodbye summer④

「ねぇねぇ、さっきそこで生徒会長みちゃった!」

「いいなぁ!」

「本当に陽向様かっこいいよね! とっても優しいし」

「うん! 私プロマイド買っちゃった」

「えー! ずるいどこで売ってたの!?」

「今度買いに行こうよ」

「いこいこ!」


 そんな会話を一日に1回は聞いてる気がするのは、きっと気のせいじゃない。


 あれから2ヶ月。季節は一つ過ぎ、夏になっていた。なのに、楽譜の復元作業はあんまり捗ってなかった。いや、殆ど出来ていないと言っても過言ではないだろう。


 それもそうだ。千倉は、ここの生徒会長であると同時に、日本代表の超美形有名ピアニストなのだ。授業も特別カルキュラムも組まれているし、放課後は、雑誌の取材やら、コンサートの出場やらで引っ張りタコ。最悪、学校を休むくらいの勢いだ。


 同級生曰く、有名なピアノ雑誌で千倉の顔を見ない時の方が珍しいらしい。私なんかは、施設にいたし、バイオリンのメンテナンスで小遣い使い果たしちゃうから、雑誌なんて買う余裕なかったせいか、全然知らなかったけど。


 そんなこんなだから、あれ以降、千倉とはまともに顔を合わしていない。念のため、放課後は練習室を覗くようにしてるけど、いないし。忙しいのはわかるけど、最近はやる気ないんじゃないかと思い始めてたりする。毎日来いって言ったのはどこのどいつだっていうんだ。


「千倉が忙しいせいで、ひゅーくんに会えないし」


 本当に、最悪だ。


「今日は、あの洋館に寄ろうかな」


 呟いて、そう言えば、あれから1度も行ってないことに気付く。千倉は、今日も来ないだろうし、練習室覗かずに直行してしまおう。


 思い立ったら吉日と、私は放課後になった瞬間、バイオリン片手に洋館へと向かった。彼に会えなくても、彼のいる空気に触れられるだけで、心が浮かれるのがとてもよく分かった。


「あそこは、私の第三の家だもんね」


 昔住んでた家と施設とあの洋館。持ち主は、千倉の両親かもしれないけど、私には関係ない話だしね。


 鍵の壊れた玄関を開けて気付いた。バイオリンの音がしたのだ。弾いてる曲は分からない。けど、とても悲しい音で……自然と涙が溢れた。


 まるで、冷たく、溶ける事を知らない氷のような音だ。悲しい。辛い。寂しい。……助けて。その嘆きに近い叫びは、氷を刃のように尖らせ、心へと深く突き刺さってくる。胸が苦しい。息が出来ない。この悲痛な音色(ひめい)に体をずたずたに引き裂かれそうだ。


「誰……?」


 誰なの。こんな辛い思いを抱えてるのは。ぎりぎりの、今にも崩れてしまいそうな場所にいるのは。


 バイオリンが聞こえる部屋のドアを勢いよく開ける。窓から入ってくる、夕日の逆行で顔は見えない。だけど、私はその人物に抱き着いた。


 そうしないと、目の前の人物が消えていなくなってしまいそうな気がして。


「なっ……」

「音色が泣いてた」

「っ!」

「辛い、悲しいって。誰か助けって」

「……」

「同じ奏者として話を聞く事は出来るよ。だから、一人で抱え込まないで」

「お前に、何ができんだよ」

「……え?」


 目を丸くする。この、声は。


「ち、くら? 」

「離せ」


 どんと突き飛ばされて、思わず尻餅を付く。暗闇が落ちた中で見上げた千倉の顔は怖かった。


「な、んで」

「……忘れろ」

「え?」

「今の事、全て忘れろ」

「何言って」

「忘れろって言ってんだろ!!」


 大声に思わず肩を跳ねさせる。怖い、そう思った。けど、沈黙の中、感情が徐々に変化して……ふつふつと怒りに変わっていくのを嫌でも感じた。


 なんで、私がこんな負の感情を向けられなきゃいけない。


「確かに抱き着いたのは悪かったけどさ、なんで私が、あんたに怒られなきゃいけないのよ!」

「お前が知ったから振りするだからだろうが!」

「音色が泣いてたのは本当だもの。奏者なめんなコノヤロウ。それに、なんでここにいんのよ! 散々放課後の約束ほっぱらかしてさ」

「約束?」

「はぁ!? しっんじらんない。自分で言っときながら、忘れるなんて」

「お前、何言ってんだよ」

「いいわよどーせ。あんたにとってはくっだらない約束だったんでしょ。私一人毎日練習室に行ってほんと馬鹿みたいだった」

「練習室? 俺は、ここって言っただろうが」

「は?」


 なんだ。この食い違いは。


「……あの楽譜復元しようって約束したよね」

「そうだよ。俺が忙しいし、お前も人目を気にするだろうから、ひと月に1回ここであって話し合おうって。あ、お前先月すっぽかしただろう」

「あんた、毎日練習室来いって言ったじゃない」

「言った覚えない。……あいつのせいか」

「まさか、ひゅーくん?」

「あいつ、俺と離れるの反対だからな。きっとそうだ。完成させる可能性のあるお前と俺を離れさせたかったんだよ」

「なんで……」

「くそ、聞いてくる。ちょっと待ってろ」


 言った瞬間、千倉の体から力が抜ける。思わず支えようとするけど、流石男の子。しかも、千倉は異様にでかい。その結果、支えきれず、床へと倒れ込んだ。思い切り打った背中が痛い。


「お、おもい……」


 なんとか千倉の体の下から脱出して、その体をソファーまで引き摺る。制服にホコリが付きまくったけど、それはもうこいつのせいでいいだろう。


「なんか、有耶無耶になっちゃったな……」


 千倉の持っていたバイオリンを手に取って溜息を吐き出す。年季入ってるが、とても手入れのされたバイオリンだ。奏者がいかにこのバイオリンを大切にしているか、ひと目でわかる。


「けど、千倉ってピアノ専門じゃなかったっけ」


 そもそも、千倉の家は、多くの有名ピアニストを輩出しているので有名な一族だ。彼の親自身がピアノの専門店をやっていて、世界的に有名。前に、なにかの雑誌で千倉の祖父が、ピアノ以外の楽器は全て出来損ないの玩具で、作る価値すらないとか意味の分かんない事を言ってたな……。


「そんな千倉がなんでバイオリンなんて」


 使い込まれているところを見ると、かなり昔から使っているのだろう。それに、あの悲しい音色。なんだろう。引っ掛かる。


 こいつの事は気に食わない。それは今でも変わらないし、だけど、千倉をここまで苦しめているものを少しでも取り除いてやりたいとは思った。確かに、知ったかぶりになってしまうかもしれない。それでも、同じバイオリンを奏でる者として、あんな悲惨な音よりも、もっと綺麗で透き通る音を出して欲しい。


「……あんたも、色々大変なんだね」


 思わずぽふぽふと髪を撫でると、柔らかい黒髪が指を優しく包んでくれた。なんでこうも柔らかいんだ。


「狡い」


 試しに頬を引っ張るとここも柔らかい。なんということだ。


「ほんとは、スライムなんじゃないの」


 寝ている事をいい事に、ぺたぺたとシャツの上から体を触ると、腹筋の硬さや腕の硬さに驚いた。どうやら柔らかいのは、顔より上だけらしい。


「手も綺麗だな」


 流石ピアニストと言うべきか。私の場合は、弦タコが結構酷いけど。


「あ、けど、弦タコある」


 こいつにもタコあるのかと思ってたら、いきなり腰を掴まれて、そのまま千倉の上に乗っけられた。ニヤニヤしている千倉の顔が至近距離にあって、思わず体を引こうとしたけど、腕で腰を押さえられてしまって身動き出来ない。


「人が意識失ってるのいい事に、何べたべた触ってんだよ」

「いやー、良い身体だなって」

「それはどうも」

「褒めてないし」

「素直になれよ」

「意味わかんない。あと、離して」

「やだ」


 即答かい。


「何したいの」

「少し他人の温もり感じたい 」

「気持ち悪」

「いきなり抱きついて来た奴が、何言ってんだよ」

「だって、本当に辛そうな音だったから」

「……」

「何かあったの?」

「別に。それより、やっぱり放課後練習室来いって言ったのはあいつだったぞ」

「なんで、ひゅーくんが」

「離れたくない以外は、頑なに言わなかったな。なんなんだよあいつは」

「……」


 彼には、以前の記憶がない筈。なのに、そんなに千倉と離れたくないなんて。よっぽどこいつの事を気に入ってるのか。それとも……。


「まぁ、偶然とはいえ、会えたからいいか」

「それはそうとして。いつ離してくれるの」

「もう暫くこうしてたい」

「私はそろそろ離れたいんだけど」

「いいじゃねぇか。減るもんじゃねぇし」


 優しく背中を撫でられ、力が抜けた。なんでだろう。酷く落ち着く。

気に食わないのに。無意識の内に、頭を千倉の胸に擦り付けたから、くすりと笑われ、はっと我に帰った。


「猫みてぇ」

「うう、うるさい!」

「ほんと、からかいがいがあんなお前」

「もう、離して!」

「嫌だ」

「なんでよ!」

「わかんねぇ。けど、なんか嫌だ」


 ちゅっ、と首筋に千倉の唇が触れ、思わず素っ頓狂な声が出た。これじゃまるで恋人の戯れみたいじゃないか! ひゅーくんならまだしも、千倉となんで御免だ!


「なぁ、どうしたら懐いてくれんだ?」

「私があんたに懐く筈ないでしょ。あと、ペット扱いするな!」

「俺、向日葵欲しいんだけど」

「誰があげるか、誰が!」

「嫌だ欲しい 」

「駄々っ子か!」

「なら、先に体から貰う」

「待て待て待てぇぇぇ!!!」


 くるっと体が反転して、気付いたらソファー押し倒されてた。流石に焦る。なのに、千倉は辞める気ないのか、私の両手を片手で固定するだけじゃなくて、シャツに手をかけようとしてるし!


 やばい、本気で犯される……!!!!


「なら! あの音の原因教えて!」

「……忘れろって言っただろ」

「あんな苦しい音色ほっとける訳ないでしょ。なのに、聞く度にはぐらかして」

「……」

「教えてくれたら、少しは懐くかもしれないよ」

「それなら、いい」

「え?」

「懐かなくていい」


 あっさりと手を外され、拍子抜けた。そんなにも、原因を知られたくないのか。


 けど、そうされると余計知りたくなる。


「決めた。あの音色の原因突き止める」

「は?」

「もしかしたら、そのせいでひゅーくんは、あんたから離れられないのかもしれないし」

「……」

「早く離れて欲しいとは思うけど、ひゅーくんが嫌がってるなら、その原因を解決する方が先」

「踏み込んでくんな」

「あんたの感情や、事情なんて知らない。これは、ひゅーくんの為だもん」

「はっ、よく言う」

「それで私を嫌いになるなら、大いに結構」

「……」

「覚悟してな。私はしつこいよ」


 未だに千倉に伸し掛られ、シャツが中途半端に脱げた状態でこんな事言っても、全然様にならないけど、言いたいことは言えたからこれで今は充分だ。


「俺、本当にお前の事、気に入ってんだけどな。踏み込んでこなきゃ、本気で彼女にしたいくらい」

「前にも言ったけど、願い下げ」

「まぁ、せいぜい頑張れよ。何年経っても、お前は本当の俺には、近付けねぇだろうけど」

「絶対みつけてやるからね!」


 前みたいに千倉を私の上から転がり落とすと、バイオリンケースを持って部屋を出た。くそ、どんな手を使ってでも暴いてやる。


 その時の私は、知らなかったのだ。


「……言えるわけねぇだろうが」


 彼が私なんかじゃ抱え切れない程、深い闇を宿していることに。

 


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