hello.goodbye summer③
「で、これなによ」
「楽譜」
「これが?」
放課後。指定された場所に行った私は、楽譜と渡された物に、思わず声が低くなってしまった。
千倉曰く楽譜。けど、私にはどう見ても、所々焼けた穴だらけの紙にしか見えない。私の目が悪くなったわけでは決してない。これだけは、確実だ。
「やっぱりお前にも、楽譜には見えないか」
「え? あんたには楽譜見えるの?」
「薄らだけどな。それを写したのがこれ」
今度はきちんとした楽譜が出てきた。けど、焼けた場所までは流石にわからないのか、穴だらけの楽譜。さっきのは論外としか言いようがないけど、これもこれで演奏できるかと言われると難しい。
「で、違和感ないように繋ぎ合わせたやつがこれ」
「……最初からこれ出してよ」
「お前なら見えると思ったんだよ」
「過度な期待は、やめてくださーい」
「こんな時だけ敬語使うな」
「へいへい」
適当に返事をしながら、千倉作の楽譜を手に取る。確かに違和感はない。けど、なんだろう。これじゃない気がしてならない。
「この方法って誰からきいたの?」
「あいつ」
「この楽譜も」
「そもそも、これはあいつが作曲したものらしいし」
「なら、本人に直接聞けばいいじゃない」
「作曲したのは分かるけど、どんな曲だったかまでは、覚えてないとか言いやがった」
「……」
なんだろ。この持ち上げるだけ持ち上げといて、いきなり落された感覚。本当に辞めてほしい。取り敢えず、今度彼が出てきたら無理矢理でも嫌いらしい酸っぱい匂いを嗅がせようと思う。
ちなみに、彼は入学式以来深く眠っているらしくて、1度も表に出てきていない。千倉によると、最近は洋館に行った時くらいしか彼は出てこないらしい。
「どちらにせよ。弾いてみるぞ」
「はいはい」
楽譜を譜面台に置き、バイオリンを構える。そこまで難しいメロディーじゃないから、試し弾きしなくてもいける。
「いくぞ」
「うん」
スっと弦を滑らせる。川のせせらぎのようにゆっくりと反響するバイオリンの音に滑り込んできたピアノの音に、私は目を見開く。一瞬で、目の前に花畑が顔を出したのだ。
「(千倉の音は……太陽なんだ)」
太陽と言っても、真夏のような灼熱の太陽ではない。地を冬から春へと向かわせるような、力強くも優しい太陽の光。その光は、雪を溶かし、固く閉じた蕾を綻ばせ、可憐に咲かせる。しかも、彼が1音1音、鍵盤を押す度に、その芽吹きは遠くへと広がっていく。
あれだけ騒がれるのも、少しだけ分かった気がする。けど、なんだろう。
「(音も音楽も最高の筈なのに、曲が進めば進む程、違和感が凄い)」
何が違うとか、何が可笑しいとかは分からない。けれど、なにかが変なのだ。その要因がかすかに感じる不協和音の正体だろう。
「……っ、やめ!」
「っ! なんだよ」
「これ、最後までなんて無理」
思わず、弦を離す。小さな不協和音がどんどん降り積もって、雑音みたいになっている。そのせいか、変な頭痛はするし、気持ち悪い。
「おい、顔真っ青だぞ」
「……ごめん。少し横にならせて」
「隣の生徒会長室にソファーがあるからそっち行くぞ」
「うん」
多少ふらつく足で生徒会長室に向おうとした瞬間、ふわりと体が浮く。なにが起きたのか分からず、思わず手短なものにしがみついたら、それは千倉のシャツ。
「なななな!!!」
「ちょっ、暴れるな!」
「何さらりとお姫様抱っこしてるのよ!」
「この方が楽だろ」
「楽の前に恥ずかしいわ!!」
「普通の女なら喜ぶんだけどな」
「あんたじゃなきゃ私も大喜びよ!」
「あーあー、聞こえねー」
「う、動かないでぇぇぇ!」
「なら、落ちねぇように捕まってろ 」
不安定に揺れる感覚が怖くて、思わず千倉にしがみつく。直後ふわりと香る男の子の香りと自分とは違う心音に、思わずどきりと心臓が跳ねた。
施設には私と同じ位の男の子もいたし、姫抱きはないにしろ、抱き着いたり、抱き着かれたりなんて良くやってた。だから、なんてない筈なのに。なんでこんなにも緊張するのだろう? やっぱり、会って間もないからなのか。
「(早く着け早く着け早く着けぇぇぇ!!)」
ただ、今の私はそう願うことしか出来なかった。
「着いたぞ」
「はやく、おろして……」
「なんでそんなげっそりしてんだよ」
「なんかいろいろ持ってかれた」
「たく、ほんと失礼な女だな」
ソファにおろしてもらってやっと一安心できた。本当に、なんでこんな数分間で、ここまで疲れなきゃいけないのやら。
「で、その体調不良の原因は、やっぱり音楽か?」
「うん。なんか、進めば進む程、頭痛くなった 」
「そう言った奴は初めてだな……どこら辺かわかるか?」
「多分、こことここと、ここ」
「……全部俺が繋げた場所じゃねぇか」
がくりと項垂れる千倉。それもそうだろう。私の耳がおかしくなったんじゃなければ、彼が付け足した箇所全部が違うという事になるのだらから。
言いたくないが、彼の10年が無駄になったに等しいだろう。正直、私の音感も正確に合ってるかと言われると微妙な所だけれども。
「ま、まぁ。私が違うって事もあるかもしれないし」
「違うでこんなに体調崩すか」
「……」
「ここで振り出しに戻るとな」
「なんか、ごめん」
「いや、違うって分かってむしろ良かった。お前が言わなきゃ、この間違った楽譜で迷走してただろうし」
「千倉」
「サンキュ向日葵」
「っ!」
思わず呼吸が止まるかと思った。だって、さっきとは違って作り笑いじゃない、本当の笑顔だったから。一瞬、彼が私に向けた笑顔のように感じた。
「(何考えてんの私!)」
一気に顔が赤くなるのを嫌でも感じ、思わず手で顔を覆う。こんな顔、千倉に見られたくない。
「何顔隠してんの?」
「うるさい!」
「まさか、照れたとか」
「うるさいってば!」
「なんだよ、恥ずかしがらずに見せろよ」
「ちょっ!」
いきなり覆い被されたと思ったら、手を掴まれ、ソファに押し付けられる。それでも見られたくなくて、顔を背けること数秒。何故か変な沈黙が落ちた。
「……」
「なんで、黙るのよ」
「いや……お前、思ったよりも綺麗だなって」
「はぁ!?」
「背のちっさいただのチビだと思ってたけど、改めて良く見ると、綺麗な顔立ちしてんな」
「な! 何言ってんの!!」
「本音」
「そんな本音聞きたくない!! 」
なんでいきなり、こんな羞恥プレイを敢行してるのか。自分は具合が悪くて、少し横になる為にソファーに寝てるだけだったはず。
なのに、なんでこうもまじまじ、しかも至近距離で彼そっくりの顔を見なくてはいけないのか……彼の顔を見れるのは嬉しいが、正直心臓が持たない。
「離れて!」
「嫌だ 」
「ならひゅーくんに変わってよ!」
「もっと嫌だ」
「なんでよ」
「俺が見つめてたいからに決まってんだろ」
「別に、ひゅーくんに変わっても、あんたには見えるんでしょ!」
「あいつが出てる時、俺は半分夢の中にいる状態なんだよ」
「そうなの?」
「あいつの時もそうらしい。今は完全に寝てるけどな」
そんな風に入れ替わってるなんて知らなかった。って、ことは、この状態を彼は知らないわけで……。というか、知ってたら無理矢理にでも変わってそうな気がする。
「あの、さ。そろそろ離れて。体調も良くなってきたし」
「もうちょっと」
「ちょちょちょっ! 近い近い!!」
「俺、綺麗なものは、何時間見てても飽きないタイプなんで」
「私は、ガラスケースの中の宝石とかと違うんだけど」
「いや、宝石なんかよりもずっと綺麗だぞ」
「っ!? そういう台詞は彼女にいえ!」
「うぐ!?」
膝で千倉のお腹にケリを入れると、丁度鳩尾に入ったのか、力が緩んだ。その機会を見逃さず、思い切り上に乗っかってる奴をソファーから突き落とす。うん。いい感じに転がった。
「いってぇ! なにすんだよ!」
「それはこっちの台詞だよ! 人の顔ジロジロ見てさ!」
「綺麗なんだからしょうがない」
「だーかーらー! そういう台詞は彼女に言え!」
「なら、彼女になるか?」
「はぁ!?」
何言ってんだこいつ。そう思ってたら、いつの間にか目の前に来た千倉に顎を掴まれ、またのぞき込まれる。もう、やめてくれ。
「お前は俺の事、嫌いみたいだけど、俺はお前のこと気に入ったし。下手な彼女作るより面白そうだしな。それに、俺の彼女になれば、あいつにも会えるし、早く楽譜が完成するかもしれない」
「そう言いながら、私の顔ジロジロ見る気でしょ」
「よく分かったな。今なら専属ダッコちゃんになってやるぞ」
「いらんわ変態! それに、あんたの彼氏なんて願い下げよ」
「俺程の最良物件いねぇと思うんだけどな」
「と、に、か、く! 私は楽譜の復元には協力するけど、あんたと必要以上関わる気はないからね! 全部ひゅーくんの為なんだから勘違いしないでよ」
「はいはい」
降参ポーズをとってるけど、なんか嫌な予感しかしない。必要以上に近づかないようにしよう。
と、思ったのに。
「それじゃ、毎日放課後ここにこいよ」
「はぁ!?」
「はぁ!? じゃねぇだろ。今復元に協力するって言ったじゃねぇかよ」
「だって、私にだって放課後の約束とか、バイトとか」
「この学校はバイト禁止」
「だとしても、色々とやる事あるの」
「俺とこいつを切り離す以上に、大切な事なんてあんのかよ」
「それは……」
「俺とこいつが離れられる時期が早ければ早いほど、お前とあいつがいる時間が長くなるのにか?」
確かに、彼とはもっと一緒の時間を共にしたいし、もっと色々な話をしたい。それを夢見心地でも、千倉に聞かれるのは嫌だし、千倉も千倉で聞くのは嫌だろう。
そうなれば、選択肢は一つしかない訳で。
「分かったわよ。毎日来るわよ」
「サンキュ。約束通り、こいつと離れられたら……もうお前らには干渉しねぇからさ」
「当たり前よ」
気に食わないのもあるけど、それ以上に、人気者が新参者の自分と仲いいなんてなったら、何が起こるか分かったもんじゃない。彼と一緒にいる以上の特別なんて、私には全く必要ない。こんな事になってなきゃ、千倉となんて関わりを持つことだって無かっただろうし。
「そんじゃ、これからよろしく」
「……」
はやく、楽譜を完成させよう。そう決意しながら、私は差し出された千倉の手を握ったのだ。その瞳の色が変わっていることに気づかずに。