hello.goodbye summer①
寮の部屋を片付けから、バイオリン片手に、私はすぐにあの洋館に向かった。10年前よりも鬱蒼と生え茂った雑草を掻き分け、うろ覚えになりかけている道を歩いていけば、昔と変わらない姿がそこにあった。正直、廃屋敷だったし、朽ちてるじゃないかなと思ってたけど、思ったよりも昔と変わっていなくて、正直驚いた。
「誰も住んでなさそうなのに」
中に入れば、多少積もったホコリとクモの巣がお出迎えしてくれた。階段も、部屋もそのままで、十年前と殆ど変わっていない。
「ほんと、時が止まったみたい……」
思わず笑ってしまった。ここまで10年前の記憶と違わない場所など、早々ないだろう。時が止まっていない以外、考えつかない。
不意に、あの曲が聞こえた。間違いない、G線上のアリアだ。優しくも、透き通っていて、少し寂しいピアノの音。10年も調律してないはずなのに、音の狂いなんて一切感じない。もしかしたら、幽霊の力か何かで彼がここの時間を周りとは切り離したのだろうか? それなら、ここまで変わっていないのも頷ける。
「はやく、会いたい」
10年、あの約束からそんなに経ってしまった。その間に、何度会いたいと思ったか。何回ここに来たいと思ったか……。やっと、約束を果たせる。その思いが、私の鼓動を速くし、緊張を駆り立てた。
「……」
最初にすぐに約束を果たせなくてごめんって、謝って。それで、会いたかったって抱きしめて……。彼はきっと、遅かったねって笑って抱き締めてくれる。大きくなったねって、頭を撫でてくれる。
「……よし」
1度息を吸い込み、例の部屋のドアを開ける。前と変わらず、他のドアよりも軋むような音を上げるドア。瞬間、ピアノの音が止む。
「だれ?」
「……え?」
違う。この声は彼のじゃない。彼の声はもっと、透き通っていて、心地好い声だった。
これは、彼の声じゃない……!
半開きの途中だったせいか、顔が見えない。だから、思い切り開け放った。
「っ!?」
そこにいたのは……。彼とそっくりの顔立ちの、黒髪に灰色の瞳の青年がいた。
青年は、私の顔を見た瞬間、眉間に皺を寄せて、睨み付けてくる。どう考えても敵にしか思われていない。
「あんた、誰?」
「あんたこそ誰よ!」
「俺が質問してるんだけど」
「訊ねた方が名乗るのが礼儀ってものでしょ!」
「不審者に名乗る名前はない」
「私にとってみれば、あなたの方が不審者なんですけど!?」
「何言ってんだよ? ここ、俺の家の土地だけど」
「はい!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。それもそうだ。ここは、てっきり放ったらかしの廃墟で、持ち主なんていないと思っていたから。それにしては、やけに10年前と変わってないなと思ったけど、まさか、こんなカラクリがあるとは……。
けど、そうなってくると、不法侵入は明らかに私になる訳で。彼に会える期待感から一変、不法侵入してしまったという罪悪感に、冷や汗を流している私に、目の前の男はニヤリと笑みを浮かべる。
「そんで、不法侵入者さん、名を名乗れよ。それとも、警察に通報されたいのか?」
「私の名前は、空嶺向日葵」
「ふーん」
「あなたの名前は」
「だから、不審者に名乗る名前なんてない」
「名乗ったんだから、不審者じゃない! 知り合いよ! だから教えなさい!!」
「めんどくせぇな。……俺は千倉陽向だ」
「ひゅうが?」
「そうだよ」
「嘘だ!」
思わず叫んでしまった。それはそうだ。日向は私が彼につけた名前。いくら偶然とはいえ、同じ名前のしかも同じ顔の人が2人といる訳がない。
「嘘って、俺の名前は陽向だ」
「絶対嘘! だって、日向は私があの人に付けた名前だもの!」
「あの人?」
「ここの幽霊!」
「は?」
「十年前、ここで会ったの! だけど、記憶がないって言って……だから、私が自分の名前から彼に名前をあげたの!」
普通なら、頭おかしいんじゃないかとか、なに幻想語ってんだとか思われるだろう。だけど、十年前ここで起きたことは本当の事だし、絶対に幻想ではない。今でも彼の心地よさや、優しい笑顔を覚えているのだから。
「……」
「何か言ったらどうよ」
「いや、お前がそうなんだって」
「え?」
「お前が、あいつが会いたがっていた女の子なんだろ」
彼は、何を言ってるのだろうか? あいつ? 会いたがってた? 意味がわからない。
そう思いながら、顔をあげた私は、目を見開く。目の前の彼が泣いていて……その瞳が、灰色から緑に変わっていた。一瞬で分かった。彼だと。十年前、私が遊んだ彼だと。
「ひゅーくん!」
「向日葵」
「会いたかった……!」
「僕も会いたかった」
彼に思い切り抱きつく。やっと……やっと会えた。この日をどんなに待ち望んだ事か。透けることなく、彼に触れられる日が来るなんて、こんな奇跡、あるとは思ってもみなかった。
「ごめんね。遅くなって」
「ううん。いいんだ。約束守ってくれて嬉しい」
「あの後、色々あって」
「そっか。大変だったんだね」
「うん。けどね、高校はこっちにしたから、いつでも会えるよ!」
笑顔でそう言ったけど、彼は少し困ったような笑みを浮かべるだけ。
「なんで、嬉しくないの?」
「嬉しいよ。とっても嬉しい……けど、前みたいに何度も会えない」
「それは、このひゅーくんと同じ名前の人のせい?」
「実際、この子の名前は、陽向なんだけどね。女の子らしいって、読み方変えてるだけなんだ。まぁ、気に入った人は本来の呼び方でも何も言わないけど。寧ろひゅうがって呼ぶと怒るんだよね。可愛いでしょ」
「いや、今そこの問題じゃないから」
「あ、ごめんごめん。実は向日葵が帰った後に、ここが立てこもり事件の場所になっちゃってね。その時に人質にされてたのが陽向なんだ。身代金要求だったんだけど、何故か警察が押し寄せちゃってね。混乱の中、陽向が撃たれて瀕死になった」
「え……?」
「もう、救急車とか待っていられる状況じゃなくてね……。陽向が向日葵と同じ年齢であったのもあって、咄嗟に延命のために彼の体に取り憑いたの。そのお陰で、命を取り留めたんだけど、何故か僕と陽向の相性がかなり良かったらしくて、取り憑いたまま離れられなくなっちゃったんだよね」
「え!?」
「無理矢理離れれば、陽向の体に危険が及ぶかもしれないし、方法を探しながら、一緒に暮らそうってなって早10年みたいな感じに」
「……」
正直、私も私で色々あったが、彼も彼で色々あったみたいだ。本当に10年の月日は恐ろしい。
「向日葵の約束もあるし、僕自身ここのピアノが一番好きだから、たまにこうやって陽向に頼んで、ピアノ弾きに来てるけど、会えて本当に良かった」
「うん。本当に良かった」
「そういえば、向日葵はどこの高校に?」
「国貴台高等学校」
「音楽の有名私立高校じゃん!」
「そう! ひゅーくんと一緒にバイオリンやりたくて必死にやってたら、賞もらえるまでになって、推薦合格したの!」
「すごい! そしたら、ここじゃなくてもまた会えるね!」
どういう事だ? と首を傾げた私に、彼は見事な爆弾を投下してくれた。
「だって、陽向もそこの高校通ってるし。ちなみに、2年生」
「……」
「これからも陽向共々よろしくね!」
なんだろう。波瀾万丈な学校生活しか見えない。