hello.goodbye summer⑩
「……」
あれから、1週間。私は千倉家本家に皇太の世話見習いとして潜入している。まぁ、そこまではいい。そこまでは良かったんだけど。
「やっちまった……」
皇太のあまりの怠惰っぷりに、堪忍袋の緒ぶちりと切れてしまい、誰も出来なかった矯正? を見事に完遂。そのおかげで私は千倉の世話係という異例の出世を果たしていた。
いやだってね。千倉みたいに、死ぬ程酷いレッスンされてるなら助けようとか思うけど、レッスンサボり放題。しかも、そのレッスンの女性を手篭めにしてるから、あの馬鹿大爺様に行くことなし。あとは、酒に煙草と女遊びと大盤振る舞い。それで、腕は落ちないのだから、ある意味すご過ぎる。正直、きちんと磨けば、千倉に拮抗するまでいけるだろう。
正直、こういう悪知恵が少しでもあいつにあったなら、あんなにならなかったんじゃないかと思ってしまうほどだ。
まぁ、私は週1でもきちんとレッスンやればあっという間に千倉を越せるのになーみたいな事言って、皇太を煽っただけだけど。そのお陰で火遊びも少し収まったらしいし、まぁいいとしよう。
「約1ヶ月振りか」
この扉の向こうにあいつがいる。そう思って扉を開こうとするけど、脳裏にあの姿がちらついて思わず取っ手を離してしまう。
「しっかりしろ!」
ぱんと軽く頬を叩き、踏み出す。そうだ。自分の目的は、陽向をここから連れ出すこと。それなのに、怖気付いてどうする。
「よし……失礼します」
部屋の中はカーテンが引かれているせいか薄暗く、明かりはベットのところにしかついていない。今は昼なのに何故……。近づいて行った私はそこに広がる景色に、言葉を失った。
千倉は、ベッドに四肢をそれぞれ拘束され、口枷を嵌められてるだけではなく、耳にヘッドホンのようなものをつけられ、目隠しをされていた。何が流れているのかは分からない。けど、苦悶に歪んだ顔とぐっしょりと濡れている目隠しを見れば、この行為を望んでない事は一目瞭然だろう。
物音に気づいたのか、ベットの傍らに立っていた男がこちらを振り向いた。見たことない顔だけど、なんか嫌な感じの人だ。こんなところにいなければ、絶対にかかわらない人種だろう。
「おや、あなたは?」
「……陽向様の世話係になりました。空と申します。以後お見知りおきを」
「そうでしたか、私は陽向様の調律師の実澄と申します」
「あの、これは一体」
「今、陽向様の調律中をしている最中です」
「……」
何が調律だ! ふざけるな! そう言って、実澄に殴りかかりたくなるのを必死に止める。この前の二の前になったら、もうあとが無い。そうなれば、2度とこの地獄から千倉を救うことができなくなってしまう。
「もう少しで調律は終わりますので、お待ちください」
「……はい」
けど、手が届くのに、助けられないのが、こんなにも苦痛だとは思わなかった。
「調律は終わりましたので、後はお願いします」
「畏まりました」
ニヤニヤとムカつく笑みを浮かべながら、ヘッドホンを持って出ていく実澄に、塩投げつけてやりたい。今度、厨房からくすねてこよう。
「千倉、千倉!」
「……ぁ」
「千倉。今拘束外すから」
「……」
かちゃかちゃと無機質な音を立てる拘束を取り、口枷と目隠しを外す。調律とかいう洗脳のせいなのか、ぼんやりとした千倉の瞳は、私を見ているようで、見ていないかのよう。実はここにいるのは、千倉そっくりの人形と錯覚しそうで、思わず抱きしめる。
「千倉、迎えに来たよ……」
「ぁ、……ぃ」
「千倉?」
「ひ……り……」
「え?」
「ひま、わり」
「ちょっ、わっ!!」
ぐるんと視界が回ったと思ったら、千倉に抱き締められるようにして、ベッドに転がっていた。私は、抱き枕かなにかか。
「千倉、離して」
「いやだ」
「ちょ、苦しい」
「ずっと、ここにいて。おれ、ひまわりいれば、それで、いい」
「何言って。仙堂先輩だって、他の人だって、私だって……そんなの望んでない!」
そう言うけど、千倉の拘束は強くなるばかり。果てには泣き出してしまった。
「いやだ。こわい……ここからでたくない」
「大丈夫。私も、皆もいるから」
「いやだ。こわいこわい」
「千倉……」
「なまえ、よんで?」
「……陽向」
「もう、はなさない。ここにいよ。ずっと、ここに、そのためなら、なんでもする」
「え?」
カチャン。そんな 音が聞こえたかと思ったら、手錠が手首に嵌っていた。しかも、もう片方は千倉が自分で付けてるし。
「これで、ずっといっしょ」
「あー、なるほどー。……じゃない! まてぇい!」
にっこりと笑った千倉に頬ずりされるけど、これなんの解決にもなってないから! 私まで籠の中の鳥とか嫌だから!!
というか。
「いい加減にしろ! この弱虫!!」
「ぐっ!」
手が使えないので、膝で千倉の腹を蹴りあげる。思い切り鳩尾に入ったのか、その痛みで暴れた千倉のせいで、私がこいつの上に馬乗り状態になっちゃったけど、この際どうでもいい。
「確かに、色々あって、その度にあんな罰受ければ、何もかも諦めたくなるかもしれない。当たり前と逃げたくなるかもしれない」
「ひま、わり?」
「けど、あんたがそんなんじゃ、他の人が必死に救いたいって思っても無駄になるじゃない!」
「たのんで、ない」
「あんたはこのままでいいの? このまま千倉に飼い殺しにされて、人格まで歪められて、人形のように一生を生きたいの!?」
「おまえに、なにがわかるんだよ!」
「私にわかるわけないでしょ!!」
そう、わかるわけない。私は仙堂先輩や彼の様にずっとそばにいたわけじゃないし、千倉となんて、あって半年だ。こいつの過去に何があったのか所々聞いているといえ、それで、全部わかりますって方が正直気持ち悪いだろう。
わからないからこそ、言えることがある。無責任でも、それがその人を傷付ける言葉だったしてもだ。
無知ほど恐ろしいものはないという言葉があるけど、こういう事をいうんだろうなと、心の隅で思った。
「私は、すべて間違ってると思う。千倉家のしきたりも、あんたのその当たり前って考えも、この状況を傍観してるひゅーくんと仙堂先輩の考えも!! だから、全部壊す。自分勝手とか、ほかの人に恨まれても構わない!!」
「……ひまわり」
「私は父さんや千倉の両親みたいに逃げない。正々堂々面と向かってあのジジイに言ってやる。あんたの考えは間違ってるって、音楽は強要されてやるものじゃない。心の底から楽しんでやるものだって」
「……こんどは、ころされるよ」
「知るか! 私は自分が正しいと思ったことをやるだけよ。その過程で自分の命が尽きるなら、その考えはそれまでだったってことよ」
どやって顔で言ったら、千倉に、目を丸くした後笑われた。なんなんだ?
「なによいきなり」
「ひまわりは、つよいなって」
「何言ってんの私は弱いよ」
「え?」
「だって、強いならこんな千倉がボロボロになるまでほっとかない。……それに正直、怖くてたまらない」
口ではなんとでも言えるのだ。けど、それをいざやってみろと言われると、手が震えてどうにもならなくなる。全身が怖いって、逃げちゃいなよって言い始めるのだ。
「私は弱いよ。だけど、逃げない」
救いたいんだ。このバカを。
「だから、千倉も逃げないで。思ってる事、したい事を諦めないで。手が届かないなら、私が支えるから。声が届かないなら、私も一緒に叫ぶから」
だから、お願い。
「そんな、分厚い氷の中にいないで、出てきてよ」
あんたに、そんな場所似合わない。
「……」
ぼろぼろと千倉の目から涙が零れ落ちる。氷が溶け、その水が涙になって溢れ出ているようだ。
「うっ……くっ、ぐす」
「泣き虫だなー」
「おまえのせいだろ」
「はいはい。私のせいです」
ポンポンと千倉の頭を撫でる。私はいつの間にこいつの母親になったのやら。
「今のうちにいっぱい泣いときなよ」
「おまえのまえでなくとか、くつじょくすぎる…… 」
「屈辱ってなによ!」
「けど、ここにひまわりがいてくれて、よかった」
そんなこと言わるとは思ってもみなかった。千倉は、いつだって、私を馬鹿にしていたし、踏み込んで来る事を拒絶すらしてたらから。こうやって感謝される日が来るなんて、本当に奇跡みたいなものだろう。
「そう言えば、拙い喋り方になっている所を抜けば、洗脳されてもあんまり変わらないんだね。テレビで見た時は本当に人形みたいに見えてたけど」
「まだ、ていこうする、よりょくはすこしあるから。けど、こんどうけたら、かくじつに、あぶなかった。これのせいで、あいつもでてこれないし」
「それって、解除とかできるの?」
「できる」
「どうやって?」
素朴な疑問だったのに、何故かにやつかれた。
「キス」
「は?」
「たすけにきてくれた、おうじさまとのきす」
「はい!? というか、私女ですけど!」
「そのかっこうじゃ、せっとくりょくかいむ」
「うっ」
確かに、今私は男装してるし、鳥籠に入れられてたって意味では、千倉の方がお姫様になる。
けど! なーんか腑に落ちない!なんで私が千倉にキスせねばあかん!
「あんたからしてよ」
「おうじさまからじゃなきゃだめ」
「あんたに、そんな乙女思考があるとは思わなかった」
「あいつにあえなくていいの?」
「……」
このまま彼に会えないのは嫌だし、万が一洗脳が解けてないせいで、千倉がここから出れなくなったら全てが水の泡になってしまう。そう考えると、ただキスするだけなら安い気がする。
「目を閉じて」
「ん」
素直に目を閉じる千倉に、顔を近付ける程に、私の心臓がうるさく鼓動を刻む。今気付いたけど、キスなんてにした事ないのだ。こうなるのは当たり前だろう。
「(えい!)」
別にキスならどこでもいいだろうと、千倉の頬に唇を軽く押し付ける。が、離れようとした瞬間、がっしりと頭を掴まれて動けない。
「ちょっ」
「おうじさまのキスは、くちびるにきまってんだろ」
「キスならどこでもいいで……んん!!」
強い力で引き寄せられたかと思ったら、見事に唇が重なり合ってた。目を見開いて固まる私の至近距離で千倉の瞳が笑っているかのように細くなる。こいつ、ふざけてやがる。
「んっ、て、はなし……うっ、んん!」
殴ってやろうかと無理矢理頭を上げたら、再度引き寄せられ、再び唇の熱が重なる。しかも、今回は深いヤツ。
「んっ……ふ、んん」
舌を絡めとられて、体温が上昇する。耳を塞ぎたくなるような音を立てながら滅茶苦茶に口の中を犯され、離してもらった時には、酸欠と恥ずかしさでヘロヘロになっていた。
「ごちそうさん」
「なにがごちそうさんよ! この変態!」
「満更でもなかったくせに」
「はぁ!?」
「すっごい気持ちよさそうな顔してたぜ、お前」
「な、ななな!!」
「俺とのキス、そんなに良かった?」
「うっさい!」
「へぶ!」
丁度手の届く場所にあった枕を千倉の顔に投げつける。見えなくても、自分の顔が真っ赤なのは嫌でもわかった。
「ほんと、お前のこと欲しい」
「何言って」
「俺のものになれよ。向日葵」
「うっさい! ちょっ、どこ触ってんの!!」
「前に言っただろ。心が駄目なら先に体から貰うって」
「そういう事は有言実行するな!」
この状況で何考えてんだこの馬鹿は。もう1度蹴飛ばしたら素直に離れてくれたから良かったけど。
「今はこの家と対決する事が先! それに、ひゅーくんの事もあるし」
「俺はこいつと離れない限り、自由はない」
「なんでよ」
「気付いてないのか? こいつがなにか」
いきなり何を言い出すのか。彼は彼だ。何者でもない。そう言いたいのに、千倉の真剣な表情を見ると、その言葉を口の中で転がす事しかできない。
「こいつは、大爺様が言っている神だ」
「……え?」
「正確には、あの洋館で悲惨な運命を迎えた。俺達の先祖が神に祭り上げられた者だ。だから、千倉家の跡取りにあたる俺達には見える」
「嘘……」
口からはその言葉が出たけど、何故か妙に納得している自分がいた。彼には他人とは違う何かを感じていた。それも、愛情のようななにかだ。けど、千倉の話を聞いてやっと分かった。私が彼に向けてた感情。それは、恋愛感情ではなく、子が親に向けるような、親愛だ。
「じゃあ、ひゅーくんの本当の、名前は?」
「……。調べた限り、当たってるのはこの名前だろう……え、なに? 自分で言う? 分かった変わる」
瞬間、気配が千倉から彼のものに変わる。彼は、少し寂しそうに笑うと……口を開いた。
「僕の本当の名前は、千倉陽葵」
「陽葵?」
「うん。……少し、昔話をしよっか」
「昔話?」
「本当はもっと前に話さないといけなかったんだ。陽向と向日葵をこの狂った歯車に巻き込んだ時から」
そう言って、彼ーー陽葵は話してくれた。
千倉家の歯車が狂い始めた。昔話を。