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プロローグ

 それは、私が5歳の時だった。お母さんが仕事で夏休みの間、海外出張に行くと言うことで、田舎のお婆ちゃんの家に預けられた時、森の中で迷い込んだ洋館。立派な作りだけど、人が住んでないのか、少し廃れているように見えた。庭には、野性の草花が咲き乱れ、周りは木々で囲まれているせいか、風が通り抜ける音以外、何もしない。


「すごーい!」


 その時の私は、自分だけの秘密基地を見つけた気分になっていた。玄関は何故か鍵が掛かっておらず、私は嬉しさのあまり、何も考えず、中に飛び込んだ。今考えれば、不法侵入とか、そういうのが、頭を過ぎっただろうけど、その時の私はまだ子供だったせいか、本当に何も考えていなかった。


 洋館の中は、それはもう豪華の一点張りだった。全体的にホコリを被ってたり、クモの巣貼っていたりしたが、立派な赤絨毯に繊細な装飾が施されたドア。幼いながら、ここが、とてもお金持ちの屋敷だったのだとすぐに分かった。それが分かっただけで、怖くなって逃げだすほど、この時の私には恐怖心はなかったけど。


「ここが、ママのへやでー。ここが、おばーちゃんのへや! あたしのへやはここー!!」


 るんるんと若干ホコリの積もった廊下を歩き、探検していると、自分の歩く以外の音が聞こえてくることにやっと気付いた。まさか、住人がいたのだろうか。そこで初めて、私は、誰も住んでない廃屋敷だと思っていたここが、実は勝手に知らない人の家に上がり込んで探検している悪い子なんじゃないかと気が付いた。


「ど、どうしよ……」


 ここで初めて罪悪感を感じ、私は慌て出した。まだバレていないみたいだし、このままこっそり出て行った方がいいんじゃないか。いや、1度謝った方がいいんじゃないか。色々な思考がぐるぐる頭を回る中、無意識に、私は響いている音の正体に気付いた。


「ピアノだ」


 未だ鳴り止まない音。それは、ピアノの音だった。あの時は分からなかったけど、今なら分かる。あの時の曲はG線上のアリアだと。


「きれー」


 その澄んだ音色に、今さっき考えていた全てを忘れ、私はピアノが聞こえる部屋へと急いだ。この綺麗な音を出す人物を早く見たかったからだ。


「ここ?」


 微かに扉が開いた部屋。不思議だ。ほかの部屋はきちんと閉まっていたのに、ここだけ開いているなんて。まるで覗いて下さいと言っているようだ。そもそも人気のないこの場所で、なんでピアノの音がするんだ。怪しすぎる。今の私ならそう考えただろう。当時の私は、ラッキー位にしか考えなかったけど。


「……わぁ」


 ぎりぎり部屋が見えるくらい開いた扉の隙間に、目を押し付けて中を見る。他の部屋と作りはそれ程変わっていなかったが、その中でも唯一耀いていたのがグランドピアノだ。まるで、この洋館の時間から置去りにされたかのように、新品同様で光り輝くそのピアノは、私が今まで見たどのピアノよりも美しく、そして、綺麗な音を空気に反響させていた。早く、この奏者を見たい。そう思って力を入れ過ぎたのだろう。本来の機能を忠実に執行したドアは、私の重みで物の見事に、開いてしまったのだ。何故か、ここだけ歪んでいるのか、軋むような音を盛大に上げて。


「……あ」


 ピアノの音が止む。それはそうだ。いきなりドアが開けば、誰だってそちらに意識がいくだろう。私だってそうだ。


「誰?」

「あ、えっと…… 」


 立ち上がってこちらに来たのは、幼くても分かる。超絶な美形だった。

 外国人なのだろうか。窓からの光りを受けて、キラキラと輝くプラチナの髪、少し鋭いが、外の新緑の様な綺麗な緑の瞳。整った顔立ち。スラリとした体。その体には若干似合っていない、くたびれたワイシャツと黒のスラックス。

 年は、自分よりも10か15位上だろう。大人とも子供とも言えない狭間の人が醸し出す、独特の雰囲気を感じて、私は勝手にその人を大きなお兄さんと思っていた。


 お兄さんは、私の姿を見て、一瞬目を丸くした後、笑みを浮かべてしゃがみこむ。今ならわかる。きっと、私を怖がらせない為だ。


「君、どこから来たの?」

「あっちー!」

「あっち?」

「うん! おばあちゃんちからきたの! おにいさんはここにすんでるの?」

「まぁ、住んでいると言えば、住んでるになるのかな?」

「なーんだ。ここ、あたしのひみつきちに、しようとおもったのに」

「秘密基地?」

「うん! けどおにいさんすんでるなら、だめだね」

「いいよ」

「へ?」

「いいよ。秘密基地にして」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。けれど、彼の言った意味を知った理解した途端、体の中から溢れ出してのは、嬉しさのみ。思わずぴょんぴょん跳ねてしまったくらいだ。


「わーい! あたしのひみつきち!」

「僕は、住んでるようで住んでないようなものだからね」

「どういうこと?」


 うまく分からず、私は首を傾げる。彼は、苦笑を浮かべながら、足を指さす。その指先を追って彼の足を見た私は、ぽかんと口を開けてしまった。


「あしが……ない」

「僕、どうやら死んでるみたいんなんだよね」

「おにいさんしんでるの!?」

「らしい。ピアノ以外は触れないし」

「かべぬけとかもできるの!?」

「うん。ほら」

「すっごーい!」


 ひょいひょいと壁抜けする彼に、私は大興奮。正直、普通の人が抱くような恐怖心など微塵も感じなかった。寧ろ、彼には安心感さえ、抱いた位だ。


「なんか、照れるな……」

「そう?」

「普通は怖い! とか言って逃げられる場面だろうし」

「あたしは、おにいさんこわくない!」

「そっか。ありがとう」


 私の頭を撫でたかったのだろう。ぽんぽんと伸ばされた手は、ひんやりとした感覚を残したものの、本来感じる筈の感触や温もりは返してくれなかった。


「やっぱり、触れないか」

「さわったかんじしたよ!」

「そっか。ならいっか」

「うん! そうだおにいさん! さっきのきょく、なまえなんていうの?」

「さっきの?」

「うん! きれいなきょく」

「実は、分からないんだ」

「そうなの?」

「うん。ピアノの前に座ればどの鍵盤を弾けば良いのか分かるけど、どこで覚えたのか、なんて曲名なのか分からなくて……。それだけじゃない。この曲と、もう一つの曲の演奏の仕方以外の記憶は、全部飛んでるらしい」


 苦笑しながら、軽めに言っていたが、その話の内容はかなり深刻な問題であるのは、幼いながら、私にも分かった。きっと、彼は不安と絶望でいっぱいいっぱいだったに違いない。だからだろう。あんな事を言ったのは。


「なら、あたしがおにいさんに、なまえあげる!」

「え?」

「そしたら、おにいさんのしってる、ふえるでしょ?」

「そう、だけど」

「ならきまり!」


 彼の表情を少しでも明るくしたい。笑顔になってほしい。そう思って必死に考えた幼い私の頭の中に過ぎったのは、母の言葉だった。


「ひゅうが!」

「ひゅうが?」

「かんじっていうので、ひにむこうってかいて、ひゅうが!」

「それが、僕の名前?」

「うん!きょうからおにいさんは、ひゅうがってなまえ!」


 あの時、我ながらいい案だと、本気で思ったのを今でも覚えている。当の本人は、数秒固まった後、花が咲き綻んだような笑みを浮かべていた。


「日向。うん。日向! いい名前だ。気に入った!」

「そのなまえをひっくり返しておかあさんのなまえつけると、あたしのなまえになるの!」

「え?」

「おかあさんは、あおいっていうの!」

「知ってる、ひゅうが、あおい……向日葵だ」

「そう! それがあたしのなまえ! いいでしょ」

「うん。すっごくいい」


 ぎゅうと全身を冷気が包む。向こうが透けていても分かった。彼に抱きしめられたんだったって。冷房のないこの部屋では、彼のくれる冷たさがとても心地よかったのを今でも覚えている。


「ひゅうがおにいさん、きもちいい!」

「日向でいい」

「でも、としうえには、おにいさんつけなさいっておかあさんが」

「名付け親は向日葵だ。だから、お兄さんとか気にしなくていい」

「わかった! ひゅーくんってよぶね!」

「早速あだ名付けてくれるんだ。嬉しい」


 その時の見た彼の笑顔は、とても綺麗で……どんな宝石なんかよりもキラキラ耀いていた。その瞬間だろう。私が彼に恋したのは。


「また来てくれる?」

「うん! そしたら、またピアノきかせてね!」

「お安い誤用だよ」

「わーい!」


 そんなこんなで、私はおばあちゃん家にいる間、毎日のようにあの洋館に行った。お婆ちゃんには不思議がられたけど、お友達と遊ぶと言ったら、もう友達が出来たんだね。と嬉しそうに見送ってくれた。


 洋館に行っては、彼のピアノを聴いて、私も習いたてのバイオリン持って行って弾いたり。下手くそだなと笑われたけど、才能あるよもっと練習すれば上手くなるよとも言われ、変に舞い上がった。森を出なければ動き回れるという彼を連れ回して、虫を取ったり、花を摘んだりもした。


 とても楽しかった。けど、楽しい時間はいつもあっという間で……気付いたら、帰る日になっていた。ぐすぐす泣く私を彼は抱きしめながら、言ってくれた。


「また来なよ。そしたら、また一緒に遊ぼ」

「うん。それまでに、ひゅーくんのしってるきょくつきとめて、ピアノとバイオリンでにじゅうそうするの!」

「にじゅうそう?」

「いっしょにひくってこと!」

「そっか。楽しみにしてる」

「うん! 約束!」


 指切りは相変わらず冷たい空気が纏ったような感覚しかなかったけど、私にとってはとても大事な約束になった。また来年来よう。それまでに、彼の弾いていた曲を見つけて、バイオリンをもっと上達させて、びっくりさせてやろう。すっごく上手くなったね向日葵と笑ってくれる彼の顔を想像しながら、私は家に帰ったのだ。


 その後の、悲劇を知らないまま。


『 アメリカから日本に向かっていた、L〇〇がエンジン破損で途中墜落。機内に乗っていた全ての乗客が死亡しました』

『 8月〇日に起きた線路陥没事故のせいで、怪我人数十名、死者何名出ているようです。死亡者はーー』


 母の乗っていた飛行機の墜落事故と私を送って帰路についていた祖父母の電車事故。私は夏の終わりに、全ての家族を失った。


「あの子、お父さんは?」

「どうやら、シングルマザーで育ててたらしいわよ」

「親戚もいないみたいで、このまま施設に行くとか」

「本当に可哀想」

 

 葬式の中、そんな声を何度聞いたか分からない。けど、その言葉の全てはどこか余所余所しくて……。やはり、他人事としか思っていなかったんだろう。そうとしか思えないせいか、家族をいっぺんに無くしたのに、涙が全然出てこなかった。


 ここに、彼が入れば、抱き締めくれただろうか? 俺が傍にいると言ってくれただろうか? 泣いていいんだよと言ってくれただろうか? どんなに、冷たかろうと、感覚が無かろうと、彼の腕の中ならきっと泣いていただろうな。と今でも思う。


 それから、私は施設に預けられた。 施設の先生は皆いい人で、母親のように接してくれてし、園長先生がバイオリンをやっていたので、週1回教えてくれた。境遇が似ているせいか、施設にいた子供達ともすぐに打ち解けられたし、それなりに楽しい思い出も沢山ある。


 けど、夏が来る度に、思い出していた。彼との思い出を。彼との約束を。1度、少しでも良いからと、あの洋館に行こうとしたことがあった。だけど、あまりに遠い距離とお金がかなり掛かるということで、断念せざす負えなかった。それはそうだ。私のいた施設からあの洋館までは、新幹線を使わないと、1日で行けない程の距離があったのだから。今考えると、かなり無謀な作戦だったと思う。


 それからさらに幾日が過ぎ、私は今年の3月、中学を卒業した。あの時に比べれば背も伸びたし、彼に会うまで切らないと決めた髪も、もう腰まで伸びている。毎日欠かさず練習していたバイオリンの技術も向上し、この前もコンクールに出て優勝したくらいだ。もう、彼に下手くそなんて言わせない。


 そんな思いで、この春、戻ってきたのだ。


「やっと着いた……!」


 あの洋館がある場所へーー!


 

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