火蓋は切って落とされた
その後、討伐の報告を済ませ(皮を剥いで来なかったことを呆れられながら)ネサラは報酬を受け取った後ギルドを出た。(女職員に負けた冒険者の男はいなくなっていた)
日が暮れ、仕事終わりの大人達が一杯ひっかけ始め賑やかになりつつある街中を歩きながら、ネサラは宿に向けて帰る道中にあった。
「ちっと遅くなっちまったなー。着いたらそのまま晩飯食うか、明日から出費抑えりゃ今日ぐらいは奮発してもいいだろ」
そう言いながら、宿の食堂で一番高いビーフシチュー定食に思いを馳せながら口元を緩ませるネサラ。
そんなことを考えながら歩いているとあちらこちらから酔っ払いの話し声が聞こえてくる。
その内の一つにネサラは気を引かれた。
「なあ、聞いたか?最近噂になってた盗賊団あるだろ?」
「ん?んーああ、あったなそういやぁ確か。何だ?ソイツらが捕まりでもしたのか?」
「違う違う。そうじゃねーよ。驚くなよ、何でもそいつらの内の一人にあの[殺人教本]がいるらしいんだよ」
「ブッ」
話を聞いていた男の方が、口にしていた酒を思わず吹き出した。
「はあ⁉︎殺人教本って、あの殺人教本か⁉︎ソリュート家の⁉︎いやいや、それゃガセネタだろ!何であそこの殺し屋が盗賊の用心棒なんかすんだよ‼︎」
「いや、そりゃオレもそう思ったけどよ実際に襲われたっつー商人の中に前にも殺人教本を見たってヤツがいてよ、本物だったっつーんだよ」
「おいおい、まじかよ。そんなヤツがこの辺りにいんのかよ」
男が恐る恐ると辺りを見渡しだす。
「はっはっは!怯えるこたねーよ。商人ならともかく大工のオレたちには関係の無い話しだろ」
「そっか、そうだよな。ったく、ビビらすんじゃねーよ。そうだ、お前棟梁の娘さん見たか?棟梁に似ず可愛かったよなーーー」
そこで聞くのをやめ、止めていた足を動かすネサラ。
「[殺人教本]、ねぇ。ハハッ物騒な話しだぜ」
「何がだい?」
「うん?だから[殺って、うおぅ⁉︎」
先程まで誰もいなかったはずの隣りからいきなり尋ねられ、思わず飛び退くネサラ。
「ふふふ、いやー相変わらず良いリアクションだね」
そこに居たのは朝別れたメルティアであった。
「お前なー、心臓に悪りーだろが。近づくならもっと普通に近づけよ」
はぁー、とため息を吐きながらネサラが文句をつける。
街中であったからネサラが周囲の警戒をしていなかった、というわけでは無い。というより、ネサラが警戒を解くことは無い。常に警戒するように鍛えられているからだ。
加えて言うなら、外よりもこの街の中の方が危険であると判断しているから、というのもあるだろう。
そんなネサラに気づかれずに接近する身体技術をメルティアは持っていないはずだが、
「お前、どんな魔法使いやがった?」
どうやら何らかの魔法を使ったらしい。
「別に特殊な魔法を使ったわけじゃないよ。精神誘導系の魔法をいくつか使って酔っ払いの声を大きくしたり、歩いてる人達の向きを弄ったり、後は魔力の波長を変えるヤツを使って変えて、一般人レベルに量を落としただけだよ」
本当に大したことなど無いように答えるメルティア。
言うまでも無いが、街中での許可の無い魔法の使用は緊急時以外禁止されている。
それ以前に、精神系の魔法を街中で人にかけることなど問答無用で捕まっても文句の言えない違反行為である。
それに、魔力の波長を変えるなんて魔法は少なくともネサラが知る限りにおいて聞いたことも無い。
「ったく、オレを驚かす為だけに何つーことしてんだよ」
「いいじゃないか、別に後遺症が残るわけじゃないんだから」
反省する気ゼロのメルティアに頭を悩ませながら、ネサラはこのまま別の話題に移そうとする。
「そういや、お前の用事ってなんだったんだ?」
「大したことじゃあない。朝に言ったろ?ちょっと人に会っただけだよ」
「いや、だからその内容を言えよ」
そう言って、ネサラは更に聞き出そうとする。
「おや、嫉妬かい?そんなにボクが誰かと会っていたのが気になるなんて」
からかうような口調で逆にメルティアが聞き返してくる。
「はっ、確かに気になるっちゃー気になるぜ。主にオレの身の安全の為にな。お前がコソコソと動いてる時は、大抵オレへの嫌がらせの為なんだからな!」
今までの苦い経験を思い返しながらそうネサラが言う。
「はぁ、君はボクを何だと思っているんだい?まあ、当たってるけどね」
「合ってんのかよ!まあ、当たってるけどね、じゃねーよ‼︎言え!今すぐ言え!今度は一体何を企んでやがる‼︎」
怒鳴り散らしながらネサラはメルティアに詰め寄ろうとするが、
「じゃあ、キミも隠そうとしているさっきの話しを言ってくれるかい?」
「な⁉︎」
このまま有耶無耶にしようとしていたことを見破られ、思わず動転してしまったネサラ。
「気づかないとでも思っていたのかい?まあ、ボクとしてはどちらでも良いんだけれどね。さて、どうする?」
愉しそうにネサラに選択を迫るメルティア。
本当にどちらでも良いと思っているののだろう。
ネサラの為に仕込んでいる悪巧みだが、こうまで彼が隠したがる秘密を苦々しそうに彼自身の口からしゃべらせるのは実に楽しそうであるし、
(言わなくても、このまま計画を実行に移した後でじっくりと吐かせればいいだけだしね。それでもあえてどちらかを選ぶというのなら、言わない方がいいね。愉しみは多い方が良い。)
そんなことを心の中で思いながら、ニタニタと笑いながらメルティアはネサラの答えを待っている。
「チッ、分かったよ。今回は見逃してやらー」
苦々しそうに顔を歪ませ、ネサラは諦めることにした。
「そうかい。ありがとう、と言っておこうかな」
ふふふ、と笑いながらメルティアは、この先の楽しみに期待を寄せるのであった。
「じゃあ話しを変えるけど、朝飯代はちゃんと稼いできたのかい?」
宿へ向けて歩くことを再開して間もなく、メルティアの方から話しを振ってきた。
「おう、面倒な依頼だったけどその分報酬は良かったからな、朝のを払ってもしばらくは楽できそうだぜって、思い出した。てんめ〜よくも朝はやってくれやがったな」
しばらくは自堕落な生活をできると思い機嫌が良くなりかけたが、そもそもの原因を思い出し一気に不機嫌になるネサラ。
「いいじゃないか、財布の中身は無かったんだろう?じゃあ、どのみち働かなくちゃいけなかったっていうことだ。朝飯を食べられ少しはまとまった金もできたんだからこれぐらいのことは笑って許してくれよ」
「グッ、まあ確かにそれはそうだが、だったら普通に言えば良かっただろ」
「言ったらキミは余計にやる気を無くすだろう?じゃあ強制的に行かせるしかないじゃないか」
確かに、言われたら無駄に反発して依頼になど行かなかっただろう。
そんな自分を容易に想像できてしまったのだろう、ネサラはそのまま言い返せずに黙ってしまった。
「面倒な依頼って言ってたけれど、どんな内容だったんだい?」
メルティアは黙ってしまったネサラなど気にせず、ネサラが受けた依頼に興味を移す。
「あー、ワイルドボアっているだろ?でっかい猪の魔物の」
「いるね。ん?でもワイルドボアって山に生息してる魔物だったよね。もしかして山の中にまで入って行ったのかい?」
意外、といった感じでメルティアが首をひねる。
「いや、そーじゃねーよ。なんか知らんがこの辺りにまで降りてきたんだよ」
「ああ、そうだろうね。キミがわざわざ山の中にまで行くわけなかったね。ゴメンねバカな質問をして」
「したのはバカな質問だよな?オレをバカにしたんじゃねーよな?」
「あははは、キミをバカにする訳ないだろ。そんなこと誰にも出来ないよ。どうやったら既にバカになっているのをバカに出来るのさ」
「、、、、、、おし、話しを戻すぞ。普通ここいらに現れるはずがないワイルドボア2頭を1人で相手取るはめになっちまったんだよ」
怒りを押し留め、スルーすることにしたネサラ。
「ワイルドボアが山を降りてきた、か。冬場でもない今で食糧不足は無いよね。他の魔物にテリトリーを奪われたのかな?」
ネサラに流されても特に気にせず、メルティアはワイルドボアの話しに意識を向ける。
「うーん、それがイマイチ分かんねーんだよな。目につく傷は特に無かったし、そのワイルドボア達が弱かった訳でも無かったんだよな」
「ふむ、敗けて追い出されたんじゃ無ければ環境の変化か。でもさっき言った通り今は冬じゃない。じゃあ、なんか別の理由で食糧不足になったってことかな?」
「さあな、考えても仕方ねーよ。ギルドの連中やら騎士団やらがどーにかすんだろ」
昼間と同様に考えるのが面倒臭くなったネサラが話しを打ち切る。
頭が悪いというわけではないが、その頭を使おうとしないで投げ出すのがこの男の特徴でもある。
大抵その辺りを利用され痛い目に合うのだが。
「そうだね、もうそろそろ宿だしね。ああそうだ、そんなに儲けたのなら今日は奢ってよ」
「嫌なこった。何でお前に奢らなけりゃいけねーんだよ」
「ボクはアレが食べたいな。おばちゃん特製のビーフシチュー」
「聞けよ⁉︎しかもよりにもよってそれをねだるのか⁉︎奢られる分際で⁉︎」
ネサラにとっては、今日のように多めに金が入らなければ頼もうとすら思わないメニューをメルティアは簡単にねだってきた。
「ははは、冗談だよ冗談。それ位自分で払えるさ」
いくら一番高いメニューであろうともしょせんは宿屋の食堂のメニューなのだ。法外の値段という訳ではない。
むしろ、この味ならもっと釣り上げてもいいだろう、と常連客は思っている程である。
「ケッ、いいねぇ懐が豊かなヤツは」
「人としての器が大きいからね、比例して懐も大きくなって貯まるのさ。お陰で重くて仕方ない」
やれやれ、といった感じでまたメルティアがからかってくる。
しかし、
「へいへい、そーですかそーですか。そりゃ良かったな。でも、アレか?器が大きくなると反比例で身長と胸は小さくなんのか〜?」
いい加減に腹が立ってきたのだろう、青筋を立てぎこちなく笑顔を見せながらネサラが反撃をする。
「ふ、ふふふふふ、そうだね、残念ながらそのようだ。まあ、もう少し欲しいけど特別欲しいというわけでもないがね」
気にしていないように振る舞うメルティアだが、言われた時に一瞬固まったのと、いつもより若干笑い声が長かったのをネサラは見逃さなかった。
すかさず追撃を行う。
「ハハッ、おいおい、あんま見栄を張んなよ。欲しけりゃちゃんと欲しいって言えよな。ビーフシチューは無理でもミルクぐらいなら奢ってやってもいいんだぜ?あっ、すまねぇな。ミルクじゃ背は伸びるかもしれないが、胸はどうだか分かんねえな」
よっぽど今までの借りを返せるのが嬉しいのだろう。最低の言葉を吐きながらもにやけ面を隠そうともせずネサラは煽りまくる。
しかし、
カチンッ、という音がメルティアの方から鳴った。
そして、相手に思わず寒気を感じさせるいい笑顔で反撃を開始する。
「いやいや、気にしないでいいよ。珍しく手に入った大金なんだ、大事に使いなよ。まあ、キミにとっては大金でもボクからして見ればはした金なんだけどね。それでもキミにとっては大金なんだろ?ビーフシチューも奢れないそれっぽちが」
「ほぉ」
ブチッ、という音が今度はネサラの方から鳴った。
「面白いこと言うじゃねーか」
「キミの方こそ、面白いのは顔だけにしてくれよ」
「ハッハッハッ」
「ふふふふ」
「ハッハッハッハッ!」
「ふふふふふふふふ」
「ハッハッハッハッハッハッ!!」
「ふふふふふふふふふふふふ」
周りの通行人達の視線を気にも止めず、にらみ合いながら二人は笑い声を上げた。
「ハッ!、上等だ今日という今日はテメェにほえ面かかせてやらぁ」
「出来もしないことを言うもんじゃないよ。後で恥ずかしくなるだけだぞ」
そう言って、火蓋は切られた。
結果から言うと、いつも通りにネサラが言い負かされて、メルティアにビーフシチューを奢る羽目になった。