真夢(マム)
朝の食卓。いつものようにリビングのテーブルに、トースト中心の朝食が並べられていた。
七海の父親は銀行に勤める普通の銀行マン。母親はいわゆる専業主婦で、週に3回ほど近くのスーパーにパートで勤めている。
どこにでもあるような普通の家庭。
清潔なリビングにコーヒーの湯気の香りが漂い、いつもの朝食の風景がここにもある。食卓の横には七海たちの父親が、新聞を読みながら口をモグモグさせていて、すでにパンを口にほおばっている。
すっかり準備を終えた2人が2階から降りてくると、キッチンから母親が声をかけた。
「ナミ、シオリ。おはよう」
「おはよう、ママ」
2人も母親にあいさつを返した。
キッチンからデザートのオレンジを運んできた母親が、七海たちにこんな話を切り出してきた。
「ねえ、ナミ。シオリ。パパから昨日のお話聞いた?」
「昨日のお話?なあに?パパ」
待ってましたとばかりの表情で、父親が七海の問いかけに応えた。
「聞きたいか?実はな、昨日パパUFO見ちゃったんだぞ!」
「UFO?あの『未確認飛行物体』ってやつ?」
「おお、よく知ってるじゃないか。すごいだろ!」
父親の話はこういうことだった。
昨晩帰りが遅くなった父親が歩いて家に向かっている途中で、ふいに空から何かのブーンというエンジンのような音が聞こえてきた。
父親はその音につられてその方向を見ると、商店街にある4階建てのビルのすぐ上あたりを飛んでいる奇妙な飛行物体を目撃。
夜の出来事だったので、その姿をはっきりと見たわけではなかったが、薄くオレンジ色に輝いていて、その飛んでいる高さからも形からも、飛行機やヘリコプター、気球などのありふれた物ではなくて、大きさは5〜10メートルぐらいのものだったというのである。
「あれは絶対UFOだぞ。ほら、お前の友だちのミキちゃんたちを誘拐したのも、昨日のUFOじゃないか?」
「パパ。ミキはUFOから誘拐されたんじゃないってば!」
「あれ?そうだったっけ?」
「また酔っ払って帰ってきて、何かと見間違えたんじゃないの?」
オレンジをほおばっていた詩織が口をはさんだ。
「パパはこの前、石着山で雪男を見たって言ってたゾ!」
やっぱりね、と七海は思った。
パパの言うことは時々ものすごく変な方向に進んでいくから、どうせなら銀行員じゃなくてマンガ家にでもなれば良かったのに・・・・。
朝食後。父親が先に家を出た後に、七海と詩織もすぐに登校の時間になった。
「それじゃ、あたし先に行くね。ミキとリコが待ってるから!」
先に飛び出す七海。詩織はその後にノッソリと家を出ようとしたが、ふいに玄関の前で立ち止まった。
どうやら今朝の七海の言葉が気にかかっているらしい。
「ねえママ・・」
「どうしたの?シオリ」
「明日からナッちゃんが家にいないって本当?」
母親の勘がピンと働いた。
「本当よ。良かったでしょ?1人で気軽に部屋をひとり占めできて」
「あのさ、ママ〜。」
「ママはシオリと一緒に寝ないからね〜。がんばって1人寝しなさい♪」
「あー!ママのオニ!」
「オニは余計です!」
「アハハ・・・。いってきま〜す!」
そして、詩織も学校に向かって駆け出していった。
もうすぐ暑い夏を迎える鳳町。
近くの公園の草むらは次第にその勢いを増していき、命の力強さを感じる季節である。
晴れ渡った空には、数羽の小鳥が優しい歌をさえずりながら舞い飛び、そんな気持ちの良い空気の中を、
詩織はその景色を笑顔で眺めながら、元気良く学校に向かっていった。
いつもと変わらない彼女の日常の風景だ。
詩織が学校に向かう途中に、ある白い壁が目立つ曲がり角があるのだが、そこでいつものように彼女を待つ1人の少女の姿があった。
「おはよう。シオリちゃん!」
朝霧真夢。小学3年生。詩織のクラスメートだ。
真夢は詩織とは幼稚園の頃から一緒の大の仲良しで、今でも親友として付き合っている仲だ。
髪にいつも付けているアクセサリーが印象的な優しい女の子である。
「おはようマム〜!」
笑顔を交わした2人は、いつものように手をつないで学校へ歩きだした。
「あのさ、シオリちゃん」
今日最初の話題を切り出してきたのは真夢だった。
「シオリちゃん知ってる?最近この辺に変なのが飛んでるって」
「変なの?あ、そう言えば今日パパが言ってたぞ。UFO見たってさ」
「シオリちゃんも知ってるんだ。でもね、普通のUFOじゃないみたいだよ」
「普通じゃない?どんなんだ?」
「あのね、羽根が生えているんだって。親戚のおばあちゃんも見たんだってさ。おもしろいでしょ?」
シオリの中で、急にモヤモヤした想像力が働いた。
羽根の生えたUFO?まるで化け物みたいだな。
未知の物への想像力は、幼い子どもたちには恐怖感となってイメージを植えつける。詩織の心の中で、その羽根の生えたオレンジ色の飛行物体は、いつの間にか恐ろしい怪物に姿を変えていた。
「あー、マム!!もう。恐いこと言わないでよ!夜眠れなくなるじゃないか・・・」
「ごめーん。でも、シオリちゃんはお姉ちゃんと一緒に寝てるんでしょ?」
「明日からナッちゃんはしばらくいないのだ」
「そうなの・・・。ゴメンね・・・」
しばらく考え込んだ詩織は、真夢にポツリと本音を言った。
「眠れるかな〜?ねえマム。明日からウチに泊まりにこない?」




