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王太子に嫌われるための百の作戦、なぜか全て「素直で可愛い」と評価されています

掲載日:2026/07/25

王太子殿下に嫌われるため、私は百個の作戦を考えた。


現在、二つまで試した。


殿下からの好感度は下がっていない。その代わり、王宮の厨房から私への確認が増えた。


「こちらの蜂蜜菓子は、今日は下げてくださいませ」


夕食後、給仕が銀皿を置く前に、私はそう命じた。


胡桃を練り込んだ生地で蜜煮の林檎を包み、表面を香ばしく焼き上げた菓子である。仕上げにかけられた蜂蜜が、焼き色のついた表面をつややかに流れていた。


向かいに座るアルベルト殿下が、運び去られようとする菓子を目で追った。


「何か不出来でもあったのか?」


給仕が答えに迷うように私を見る。


「昨日、私が胡桃を増やしてほしいと言ったせいなら、料理長を叱るつもりはないぞ」

「料理長は悪くありません。私が出して欲しくないのです。」

「君が?」


殿下の視線が、菓子から私へ移る。


「理由を聞いてもいいだろうか」

「このところ、毎日のように甘いものを召し上がっているでしょう。雨続きで乗馬にも出ておられませんし、しばらくお控えくださいませ」


殿下の口元が少し上がった。


本当は「殿下が菓子を食べる姿に飽きました」とでも言うつもりだった。冷たく言い放ち、不愉快な婚約者だと思わせる計画である。


ところが、口から出たのはいつもの小言だった。


「つまり、私を心配しているのだな」

「秋の狩猟祭で礼服がきつくなれば、隣を歩く私まで恥をかきます」

「私との将来を、かなり具体的に想像している」

「なぜ、そう受け取るのです?」

「菓子の量だけでなく、秋の私の腹回りまで気にしているからだ」

「太った殿下を隣に置きたくないだけです」

「そこまで正直に言うから、素直で可愛いと言っているんだ」


給仕が笑いそうになり、慌てて顔を伏せた。


「そんなことを言ってほしいわけじゃありません」

「ただずっと食べられないのは辛いな。三日に一度ならいいかな?」

「五日に一度です」

「私の意見は?」

「菓子の種類を選ぶところで反映いたします」


殿下はしばらく蜂蜜菓子を見ていたが、最後には給仕へ手を振った。代わりに焼き梨を食べながら、まだ納得していない顔をしている。


その夜、厨房から連絡が来た。今後、王太子殿下へ甘い菓子を出す際は、フローラ様の許可を得るように――とのことだった。


嫌われるどころか、なぜか仕事が増えた。



自室へ戻ると、侍女のロッテが革表紙の手帳を読んでいた。ロッテとは幼い頃からの付き合いで姉妹のような関係だ。出来のいい姉のような。


「勝手に開かないでちょうだい」

「秘密になさりたいなら、手帳を開いたままで、机の真ん中へ置くのをおやめください」


手帳の最初の頁には、大きく題名を書いてある。


王太子殿下に嫌われるための百の作戦。


一、朝の礼拝を無断で欠席する。

二、殿下の好物を食卓から消す。

三、演説原稿を台無しにする。


一番と二番には、すでに線が引かれていた。


「二番も駄目だったのですね」

「残りは九十八個あるわ」

「九十二番の『殿下の寝室へ蛙を放す』は消しました」

「なぜ勝手に消すの?」

「蛙を捕まえるのも、寝室へ運ぶのも、追い出すのも私でしょう。お嬢様は何をなさる予定でした?」

「その結果、嫌われるわ」

「最も働いていない方だけが成果を受け取る計画ですね」


ロッテは手帳を閉じ、向かいの椅子へ置いた。


「そもそも、なぜ殿下に嫌われる必要があるのです?」

「大神殿が裏で聖女候補のアニエス様を妃候補とするように強く勧めてきているわ」


来年、アルベルト殿下は王位を継ぐ予定である。新王の戴冠には、大神殿による祝福が慣例となっている。だが、神殿の力は儀式や信仰だけに限らない。


各地の教会は広い土地を所有し、診療所や救貧院、学校を運営している。地方では、領主より神官の言葉を信じる者も多い。王都の商人や貴族の中にも、神殿との取引や寄付によって地位を築いた者が少なくなかった。


そこへ、数十年ぶりとなる聖女候補アニエス・モローが現れた。


大神殿はその希少性と人気を利用し、彼女を次代の王妃に据えようとしている。戴冠への協力と引き換えに、婚姻を検討するよう求めてきたのである。


国王陛下も殿下も拒んでいる。


しかし正面から退ければ、戴冠の儀式だけでは済まない。地方教会が王家への協力を渋り、神殿と結びついた貴族や商人まで反発するおそれがある。


教会が進めようとしているアニエス様との婚姻は、単なる縁談ではなかった。大神殿が、次の王の隣へ自分たちの席を作ろうとしているのだ。


「私との婚約がなくなれば、殿下はもっと自由に判断できます。長く婚約してきた私を、ご自分から捨てるのは難しいでしょうから」

「殿下から、そう聞いたのですか?」

「聞けば、私を選ぶとおっしゃるに決まっているわ。責任感の強い方だもの」

「では、お嬢様は殿下の責任感を利用して、ご本人に黙って結婚相手を決めて差し上げるのですね」

「言い方が悪いわ」

「よく聞こえる言い方が思いつきません」


ロッテは手帳を開き、百番目の下へ何かを書き足した。


百一、殿下本人へ聞く。


「勝手に追加しないで」

「最初に実行なさるべき作戦です」

「それは最後にするわ」

「百個失敗するまで、会話をなさらないおつもりですか」



作戦一は、三日前に実行していた。


礼拝を欠席するため、私は礼拝堂とは反対側にある裏庭へ向かった。人目の少ない場所で時間を潰し、礼拝が終わってから戻るつもりだったのである。


ところが裏門のそばで、石壁にもたれて座り込む女性を見つけた。傍らでは、幼い女の子が母親の袖を握り、泣くのを堪えている。


「お母さんが、朝からずっと苦しそうで……」


女性の額に触れると、ひどい熱だった。呼吸も浅く、自分の足で立てそうにない。


私は門番へ馬車を頼み、母娘を王都東区の診療所まで運んだ。診察を待つ間に、女性がマルタ、その娘がリナという名だと知った。


結果、礼拝だけでなく昼食にも遅れた。


殿下は人を助けたことには礼を言ったが、護衛へ何も告げず王宮を出た件については、言い訳を挟む隙もないほど叱った。


「次からは、せめて門番か侍女へ行き先を伝えてくれ。戻るまで、何かあったのではないかと気が気ではなかった」


厳しい声ではある。眉間にも皺が寄っている。


これは、少しくらい望みがあるのではないだろうか。


「ずいぶんお怒りですのね」

「怒っている。君が自分の身を軽く扱うからだ」

「私の無分別に、愛想が尽きたりは?」

「尽きていたら、こんなに心配しない」


駄目だった。


翌日から、私につく護衛は一人増えた。


やはり失敗だった。


マルタは、先に大神殿の診療所へ行ったものの、寄付を用意できないと告げたところ、町医師を頼るよう言われたらしい。詳しい事情は、彼女が回復してから聞くことになった。



作戦三には、慰霊式典の演説原稿を使うことにした。


アルベルト殿下の原稿は、正直に言えば長い。


勇敢なる魂、気高き魂、祖国へ尽くした魂。立派な言葉が服を替えて何度も現れ、昨年の北部国境戦で亡くなった二十三人の名前が出てくるのは十二枚目だった。


私は赤いインクで、遠慮なく書き込んだ。


『前置きが長すぎます。このままでは、広場の後ろ半分が眠ります』


『二十三名のお名前を先に。ご家族は、美辞麗句より名前を聞きに来るはずです』


さらに遺族から届いた手紙を読み、名前の隣へ短い人柄を書き加えた。


娘の髪を結うのが得意だった人。

休暇のたびに、子どもの靴を買って帰った人。


時間を重んじる殿下なら、原稿を長くされたことに腹を立てるだろう。


翌朝、執務室へ呼ばれた。


机の上には、私の赤字で染まった原稿が広げられている。


「冒頭を、ずいぶん短くしたな」

「同じような言葉が、何度も続いておりましたので」

「同じような言葉?」

「勇敢なる魂、気高き魂、忠節なる魂です。どれも亡くなられた方々を称える言葉でしょう。繰り返すより、お名前を早くお呼びした方が伝わると思いました」

「それで、遺族から届いた手紙まで加えたのか。このままでは予定時間を越えるぞ」

「余計でしたら元へ戻してくださいませ。ただ、お名前だけでは、その方を知らない人には、どんな方だったのか分かりませんから」


殿下は遺族からの手紙を一枚ずつ読み、しばらく黙っていた。叱られるのを待っていると、殿下は赤字の一節を指でなぞった。


「この娘は、今いくつだ?」

「手紙には六歳とありました」

「靴の話は残そう。その代わり、前半をもう少し短くしたい。付き合ってくれるか?」

「なぜ私が?」

「原稿をここまで変えた責任だ。最後まで見てもらう」


式典当日、殿下は二十三人の名前を最初に読み上げた。


亡くなった兵士が、休暇のたびに娘の靴を買って帰った人だったと語ると、広場の前列で木札を抱えていた女性が顔を伏せた。隣にいた幼い少女が、その手を両手で握っている。


演説を終えた殿下が壇を下りると、女性は涙を拭い、深く頭を下げた。


数日後、殿下は次の演説原稿を私の机へ置いた。


「こちらも、私が読むのですか?」

「前回と同じように、気になるところを書いてほしい」

「殿下の原稿へ、あれほど勝手に手を入れたのですよ。普通は二度と触らせないものではありませんか?」

「内容が悪ければ、そうしただろう」

「では、今度は何も書きません」

「そのために、わざわざ君の机まで持ってきたと思うか?」


殿下は原稿を置いたまま、さっさと執務室へ戻っていった。嫌われるために始めたことが、また一つ仕事になった。


ほかの作戦も、思うようには進まなかった。


金色の礼服を「古い劇場の幕」と酷評したところ、代案を求められた。濃紺を選ぶと王妃様から褒められ、以後の衣装合わせには毎回呼ばれるようになった。


舞踏会では、わざと足を踏むつもりが力加減を誤り、本当に殿下を負傷させた。


これは少し叱られた。


ところが翌日の新聞には、『痛みに耐える王太子へ寄り添う、献身的な婚約者』と載った。


王太子殿下の足を踏みつけた令嬢が、なぜ献身的な婚約者になるのか。記事を書いた者とは、一度ゆっくり話をしてみたい。



「次は三十六番ですね」


手帳をめくったロッテが言った。


「聖女候補の奇跡へ難癖をつける。これは、かなり感じが悪そうです」

「人前で奇跡を疑えば、嫉妬深い婚約者に見えるでしょう?」

「お嬢様の場合、心配しただけで終わりそうですが」


その予想は、残念ながら当たった。


王宮の小広間で、アニエスが傷ついた小鳥を治すことになった。赤い布の上で、白い小鳥が左翼を震わせている。翼の付け根には細い傷があり、白い羽へ血がにじんでいた。王妃様や大臣、神官たちが見守る中、アニエスは小鳥へ両手をかざす。


「女神よ。小さき命へ、お慈悲を」


白い光が小鳥を包み、にじんでいた血が止まった。

小鳥は翼を何度か動かし、自分の力で開いた窓枠へ飛び移る。


拍手が起こった。


アニエスは柔らかな笑顔で頭を下げたが、私は彼女が右手を袖の奥へ引き込むところを見ていた。治療の前にも、左手で右の手首を押さえていた気がする。


「アニエス様。右手がお痛みなのではありませんか?」

「お気遣いありがとうございます。けれど、何ともありませんわ」

「先ほどから手首をかばっていらっしゃいます。袖の内側で何か光ったようにも見えましたので、火傷でもなさったのかと」


アニエスの笑顔が、わずかに固くなる。


「女神の祝福は、ときに不思議な光として映るものです。ご心配には及びません」

「そうですか。でしたらよろしいのですが」


奇跡へ難癖をつけるはずが、手首を心配する女になってしまった。


それでもアルベルト殿下は、アニエスが退出したあと、小鳥がいた布へ近づいた。血に混じって、わずかに焼けた金属のにおいが残っている。


「君は、最初から何か知っていたのか?」

「いいえ。ただ、光が指先ではなく袖口から漏れたように見えました。治療のあとも、右手を隠していらしたので」


殿下は小鳥がいた布へ近づき、残ったにおいを確かめた。


「金属を焼いたような臭いがする。祝福を安定させる道具でも使っていたのかもしれないな」

「道具を使うこと自体は、問題なのでしょうか」

「正式に認められたものなら問題はない。だが、皆の前で隠して使う理由は確かめた方がいい」


その日のうちに、殿下は王立工房へ使いを出した。


ロッテへ報告すると、深いため息をつかれた。


「お嬢様は、聖女候補の奇跡へ難癖をつけるおつもりだったのですよね」

「ええ」

「それなのに、火傷を心配して終わったのですか」

「手首を痛めているように見えたのだもの」

「難癖より先に救護が出てくる方は、悪女には向いておりません」

「では、次は先に嫌味を言うわ」

「順番の問題でもありません」



作戦五十では、アニエス様と殿下を茶会へ招いた。


私は途中で、侍女に呼ばれたふりをして東屋を離れた。私がいなければ、大神殿との婚姻について少しは話しやすくなるだろう。ただしばらくして戻ると、殿下は私が置いていった演説原稿を読んでいた。


「先月の巡礼では、東区の方々も大勢、私の名を呼んでくださったのです」


アニエス様は楽しそうに話している。


「雨が降っていたのに、皆様なかなかお帰りにならなくて。最後には花輪までいただきましたわ」

「その東区の診療所について聞きたいのだが」


殿下が口を挟むと、アニエス様はすぐに頷いた。


「もちろん存じております。診療所の前にも、私を一目見たいという方がたくさん並んでくださいました」


殿下は一度だけ私を見た。助けを求められた気がしたので、視線を逸らした。帰りの馬車で、殿下は窓の外を見ながら言った。


「診療所のことは、結局何も分からなかった」

「巡礼が盛況だったことは分かりましたわ」

「それを知るために茶会を開いたのではない」



翌日、南回廊でアニエス様に呼び止められた。彼女の腕には、白薔薇の花束が抱えられている。銀色の紐には、小さな札が結ばれていた。


「きれいでしょう?」

「ええ。どなたからですの?」


アニエス様は少しだけ声を落とした。


「アルベルト殿下です。大げさにしたくないとおっしゃっていましたので、内緒にしておくつもりでしたけれど……フローラ様には、お見せしておいたほうがよいと思いまして」


私は花ではなく、紐に結ばれた札を見た。王宮から贈り物を届ける際には、必ず王家の紋章を押した赤い封蝋が使われる。けれど、その札にあるのは、どこにでもある青い蝋だった。


「殿下から直接、受け取られたのですか?」

「いいえ。侍従が届けてくださいましたわ」

「その侍従のお名前は?」


アニエス様の指が、花束の茎を握り直した。


「そこまでは、聞いておりません」

「そうですか」


アニエス様の腕の中へ視線を戻した。


「殿下が贈り物をなさる時は、王家の封蝋を使います。侍従が届けたのであれば、なおさらですわ」


アニエス様の笑みが、わずかに固くなった。


「先日の茶会、わざわざ私と殿下を二人きりになさいましたね。ようやく、お譲りくださる気になったのかと思いました」

「何を譲ると?」

「分かっていらっしゃるでしょう。殿下が神殿との争いを避けるには、私を選ぶのが一番簡単ですもの」


殿下の気持ちは、彼女の言葉の中に一度も出てこなかった。


「ご本人へお聞きになられたのですか」

「聞けば、あなたを選ぶとおっしゃいますよ。あの方はお優しいから」


銀紐が触れていた指には、細い赤い跡が残っていた。

私も同じ言葉を理由に、殿下へ聞かずにいた。



執務室へ入ると、殿下は夕食へほとんど手をつけていなかった。


「少し、お時間をいただけますか」

「その顔で来られて、断れると思うか?」


向かいの椅子へ腰を下ろしたものの、何から口にすればよいのか決められない。殿下は急かさず、冷めた鶏肉の皿を脇へ寄せた。


「大神殿からの申し入れを、殿下はどうお考えですか」

「受けるつもりはない」

「私との婚約がなかったとしても?」

「なぜ、そこで君との婚約がなくなる?」


殿下の眉が動いた。


「私が退けば、神殿との争いを避けられるかもしれません。殿下が私へ遠慮なさっているのなら、嫌われたほうが話も早いかと」

「まさか、菓子を取り上げたり、演説へ赤字を入れたりしたのは、そのためか?」

「……すべてではありません」

「いくつかは純粋に私への不満だったのか」

「金色の礼服については、心から似合わないと思いました」


殿下は怒るべきか笑うべきか迷ったらしい。額へ手を当て、長く息を吐いた。


「フローラ。私は神殿の機嫌を取るために妻を選ぶつもりはない。それに、自分の婚約を本人抜きで譲られるのは、かなり不愉快だ」

「ですが、大神殿が即位の儀式への協力を拒めば、地方の教会まで殿下を新しい国王と認めないかもしれません。国を二つに割るような争いになれば――」

「そうならない道を探すのは、私と父上の仕事だ。君が勝手に婚約から消えることではない」


殿下はそこで言葉を切り、まっすぐ私を見た。


「私が誰と結婚したいかくらい、私に決めさせてくれ」


顔を上げると、殿下は本気で怒っていた。


「昨日、アニエス様から白薔薇を見せられました。殿下の侍従が届けたものだと、おっしゃっていました」

「私の侍従が?」

「ええ。ですが、花束の札に王家の封蝋がありませんでした。お名前を尋ねても、どの侍従だったかはご存じないそうです」


殿下の眉が寄る。


「私は花を贈っていないし、侍従へ頼んでもいない。そこまでして、君に何を信じさせたかったんだ?」

「殿下がアニエス様を選んだと、私に思わせたかったのでしょう」

「先日の茶会で、私が彼女へ好意を示したように見えたのか?」

「蜂蜜菓子をお断りになったことしか存じません」

「何度勧められても食べなかった。君に見つかったあとの方が面倒だからな」

「私を言い訳に使わないでくださいませ」

「実際、菓子を前にした君は怖い」

「私は魔物ではありません」

「分かっている。魔物なら、三日に一度にできないかという話し合いの余地もない」


怒られているはずなのに、最後はいつもの話へ戻ってしまう。だから私は、この人なら自分を捨てられないと勝手に決めつけていたのだ。


「申し訳ありませんでした」

「謝るなら、もう一つ約束してくれ。次に私の人生を変える作戦を思いついたときは、実行する前に話してほしい」

「努力いたします」

「約束ではないのか?」

「殿下も蜂蜜菓子の件では、似たような返事をなさるでしょう」

「それとこれは別だ」


そこで侍従が扉を叩き、王立魔道具工房からの返事を届けた。アニエス様が使ったものと似た光を出す小型魔道具が、工房に保管されているという。


午後、私たちは現物を確かめるため、王立魔道具工房を訪れた。私たちは、その日の午後に工房を訪れた。技師が机へ置いたのは、細い銀色の腕輪だった。


慈光輪(じこうりん)といます。非常に貴重な魔法具で負傷者を医師へ運ぶまで、出血を抑えるために使います」


腕輪の内側には、小さな歯車と白い光晶石(こうしょうせき)が一つ、はめ込まれていた。


「誰にでも使えるのか?」


殿下が尋ねると、技師は首を横へ振った。


「使うこと自体は可能ですが効果は軽い傷を塞ぐ程度です。ただし祝福を持つものであれば、より強い効果が期待できるかもしれません」


大神殿へは、同じものを十二個納めているという。どれも、貧しい患者を診る際に使うためのものだった。王家から神殿へ非公式に確認を求めたが、返事は「聖女候補の祝福を疑えば、信徒を混乱させる」というものだった。


数日後、夏至の祝福祭への招待状が届いた。私は手帳の最後の頁を開く。


百、祝福祭で奇跡を邪魔する悪女になる。


「まだ嫌われることを諦めていなかったのか?」


招待状を読んだ殿下が、呆れた顔をした。


「民衆の前で儀式を止めれば、少しくらい評判は落ちるでしょう」

「慈光輪を正しく使っているだけなら、君が恥をかくだけだぞ」

「望むところです」

「本当に嫌われる方向へだけは前向きだな」



祝福祭当日、大神殿前には千人を超える人々が集まった。白い大礼服をまとったアニエスが壇上へ立ち、後ろには診療所と献金を取り仕切るオルセン大神官が控えている。


「本日は、私の祝福について確かめたいとおっしゃったフローラ様にも、お越しいただいております」


群衆の視線が、一斉に私へ集まった。言い方は丁寧だが、私が疑いをかけたことだけは十分に伝わる。百番目の作戦は、出だしだけなら順調だった。


最初の患者は、腕に傷を負った兵士だった。


アニエス様が右手をかざすと、王宮で見たときよりも強い白い光が広がった。見物人から歓声が上がる。光はますます強くなり、目を細めても彼女の手元が見えない。


やがて、白い袖口から細い煙が上がった。


「アニエス、もういい。手を止めろ」


アルベルト殿下が席を立つ。


「ですが、まだ傷が――」

「袖が焦げている。腕を下ろせ」


アニエス様の表情が強張った。


一度は手を下ろしかけたものの、背後にいたオルセン大神官が静かに告げる。


「ご心配には及びません。強い祝福を授かった者には、多少の熱が生じることもございます」


「多少には見えない」


殿下が壇上へ向かう。それでもオルセン大神官は見物人へ向き直った。


「聖女候補は、皆様のために祝福を続けようとしておられます!」


歓声が再び上がった。その声に押されるように、アニエス様はもう一度、患者へ右手をかざす。


私は壇へ近づいた。


「アニエス様、腕を下ろしてください。煙が出ています」

「これは女神の光です。私の祝福を、また疑うおつもりですか?」

「今は祝福の真偽を話しているのではありません。手首を傷めています」


オルセン大神官が、私の進路を遮る。


「儀式の最中です。これ以上の妨害はお控えください」


殿下が壇上へ上がり、オルセン大神官を鋭く見た。


「妨害ではない。明らかな異常だ。儀式は中止する」

「しかし、信徒たちが――」

「聞こえなかったのか?」


殿下はアニエス様へ向き直った。


「腕を下ろせ。今すぐだ」

「アニエス様、腕輪を外してください!」


私が叫んだ直後、彼女の袖の中から甲高い音が響いた。


私の声に、アニエス様がこちらを向いた。けれど、右腕を下ろすより早く、袖の中から甲高い音が響いた。白い光が弾け、銀色の破片が飛ぶ。破片は壇の上に吊られていた真鍮の飾りへ当たり、支えていた留め具を一つ弾き飛ばした。


大きな光輪が傾く。


「下がれ!」


殿下の声に、見物人たちが出口へ殺到した。その足元で、白い布を入れた籠を抱えていた女の子が転ぶ。


マルタの娘、リナだった。


私は壇を駆け下り、リナの腕をつかんだ。籠を放り出して抱き寄せた直後、真鍮の光輪が石床へ落ちる。耳を打つような音が広場に響いた。殿下は私たちの前へ立ち、倒れた飾りから庇うように腕を広げた。


「殿下、そちらを持って!」

「せめて、人前では言葉遣いは気を遣ってくれ」

「お願いしますから早く!」


二人で台座を浮かせると、近衛騎士がリナを引き出した。


膝下を金具で切り、足首もひねっている。命に関わる傷ではなさそうだが、血が靴の中まで流れ込んでいた。


私はドレスの下布を裂き、傷へ押し当てる。


「アニエス様、慈光輪を使ってください。出血を抑えられます」


アニエスは右袖を胸元へ引き寄せた。


「使えません。先ほど光が弾けたのです。もう一度動かせば、この子まで巻き込むかもしれません」

「出血を止めるだけなら、あと一度程度は持ちます。私が見ます」


奥に控えさせていた技師が答えた。アニエスの目が、リナから広場へ移る。大勢の人々が、彼女の右袖を見ていた。


「ですが、ここで取り出せば……」


その先を、彼女は言わなかった。


私は立ち上がり、アニエスの袖へ手を伸ばした。リナの血が付いた指が、白い裾へ触れる。


アニエスは裾だけを強く引いた。


「この衣装は……まだ使うのです」


殿下の声が低くなった。


「何に使う?」

「大神官様が、戴冠祝福まで大切にするようにと」

「私の戴冠祝福に、君がその衣装で出るのか?」

「いずれ、お隣に立つのだからと……」


殿下はオルセンへ顔を向けた。


「誰の許可を得た話だ?」

「信徒は、目に見える奇跡を求めています。強い光を示せば寄付も増え、診療所も維持できる。いずれ殿下にもご理解いただけると考えました……」

「そのための道具で、子どもをけがさせたのか!」


殿下は近衛騎士へ命じた。


「二人をここから出すな。アニエス嬢、今は腕輪を使え。ほかの話は、この子の手当てが済んでからだ」


アニエスは唇を噛み、右袖をまくった。銀の腕輪は手首へ食い込み、肌が赤く腫れている。彼女がリナの傷へ手をかざすと、弱い白い光が広がった。流れていた血が止まり、リナの強張った顔から少しだけ力が抜ける。


その直後、腕輪から甲高い音がした。銀枠が割れ、小さな歯車と二個の光晶石が石畳へ転がる。

技師が枠の内側を確かめた。


「製造番号は、うちのものです。ただ、留め金が削られている。工房を出たあとで、無理に器を広げたのでしょう」


広場に重いざわめきが広がった。


「魔道具でも、人を治してきたことは本当です」


アニエスは割れた腕輪を両手で包んだ。


「私に祝福がなければこんなに効果を出すことはできなかった。今まで救われた方々まで、嘘だったことにはならないでしょう?」

「治療したことを責めてはいません」


私はリナの傷へ新しい布を巻いた。


「ですが、今あなたが最初に気にしたのは、この子の傷ではありませんでした」


アニエスは血の付いた裾を握ったまま、何も答えなかった。殿下は儀式の中止を宣言し、慈光輪の保管庫と神殿の修繕室を封鎖するよう命じた。


青い冠を外されたアニエスが、殿下を見上げる。


「殿下。民は私を望んでいました。私が妃になれば、神殿との争いも――」

「祝福を持つことと、私の妻になることは別だ」


殿下はそこで言葉を切り、私へ視線を向けた。


「私が結婚したいのは、フローラだ」

「殿下。今ここでおっしゃることですか?」

「君が百回も分からないふりをするからだ」

「まだ十二個ほどしか試しておりません」

「数の問題ではない」


リナの手当てが終わり、ようやく広場に小さな笑いが戻った。


百番目の作戦も、また失敗した。



祝福祭から三週間後、オルセン大神官は職務を停止され、慈光輪を使い過剰に聖女人気を煽った点、慈光輪の改造、診療所の寄付について調べを受けていた。神殿の修繕室からは、腕輪の改造に使った工具と追加の光晶石が見つかった。


アニエスの聖女認定も、調査が終わるまで凍結された。彼女が祝福を持つこと自体は否定されていないが、治療を行う場合は医師が立ち会うことになった。


大神殿からの婚姻要求は取り下げられた。



王宮へ戻り、執務室の扉を開けると、アルベルト殿下が私の手帳を読んでいた。


「返してください!」

「九十二番。寝室へ蛙を放す。これは本当に実行するつもりだったのか?」

「ロッテが消しました」

「ロッテへ褒美を出そう。十一番の『舞踏会で足を踏む』も、二度と試さないでくれ。寒い日はまだ爪先が痛む」

「大げさです。翌日には普通に歩いていたでしょう」

「百番。祝福祭で奇跡を邪魔する悪女になる。結果は、子どもを助け、神殿の不正を見つけた」


私は机を回り込み、手帳へ手を伸ばした。殿下は椅子を引いて逃げながら、頁をさらにめくる。


「礼拝を休めば病人を助け、菓子を下げれば私の体を気にする。演説を台無しにするつもりで――」

「もう結構です。自分でも、悪女には向いていないと分かりました」

「知っていた」

「なぜ教えてくださらなかったのです?」

「楽しそうだったから」

「殿下も十分、意地が悪いです」


殿下は笑い、手帳の表題へ一本線を引いた。


王太子殿下に嫌われるための百の作戦。


その下へ、新しい題名を書き足す。


王太子殿下を困らせながら、結婚まで辿り着くための百の作戦。


「勝手に変えないでくださいませ」

「こちらのほうが内容に合っている。君の作戦は、どれも最後には素直で可愛い」

「その評価は、最初から一度も望んでおりません」


私は手帳を奪い返し、百番目の下へ羽根ペンを走らせた。


百一、勝手に譲る前に、本人へ聞く。


「私は、殿下のおそばにいたいです」


顔を上げると、殿下は先ほどまでの笑みを消し、私の言葉を待っていた。


「おそばにいても、よろしいですか」

「ずっと、そのつもりだった」

「先に言ってくださいませ」

「君が一度も聞かなかったんだろう」


殿下は私の手を取り、指先へ口づけた。ちょうど給仕が、蜂蜜と胡桃の焼き菓子を運んでくる。私は一個を半分に切り、小さいほうを殿下の皿へ置いた。


「事件のあとくらい、大きいほうをくれてもよいだろう」

「五日ぶりですので、お出ししただけでも譲歩しております」

「婚約を続ける条件として厳しすぎないか?」

「嫌われるための作戦は終わりましたが、健康管理は別です」



翌朝、手帳を開くと、百一番の下に殿下の字が増えていた。


百二、蜂蜜菓子は週二回。王太子より再協議を求める。


私は羽根ペンを取り、その一行を塗り潰そうとした。しかし殿下が横から手帳を取り上げる。


「次の百個終わるまでには、週二回へ増やしてみせる」

「殿下。結婚生活を、菓子の交渉に使わないでくださいませ」

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!


今回は、嫌われるために頑張っているのに、なぜか毎回「素直で可愛い」に着地してしまう令嬢のお話でした。


フローラとアルベルト殿下のやり取りを少しでも楽しんでいただけましたら、評価・ブックマーク・いいねなどで応援していただけると嬉しいです。


直近だと同じく短編の

『「兄の好物は作らないでください」婚約者の妹は、私より先に兄を見限っていた』

という短編がありますので宜しければそちらもご覧になってください!


婚約者の妹から何かと口を出され、嫌われていると思っていた令嬢が、その本当の理由を知るお話です。


ほかにも異世界恋愛の短編をいろいろ投稿していますので、気になるものがありましたら、そちらも読んでいただけると嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
かわいいお話! フローラが、とんでもなくかわいい! ロッテ、いつもサポートお疲れ様です。カエル捕まえて、ベッドに放つなんて、フローラにはできないよねえ。よくわかってる。 ここのところ、冷遇されるしごデ…
兄の好物〜とか後妻候補の話が面白かったのでこちらも拝読しましたが…なんだこりゃ?結局、なんで嫌われたかったんだ? そこが知りたくて読んでいたので最後まで不消化だった。 起承転結の起がしっかり説明されて…
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