畑どうすっかなあという話
春になりぼちぼち畑も再開しつつある。
トラクタの除雪用キャリアーを耕運クローに付け替え、特段の変事がないならいよいよ畑を耕したり、4月になれば田起こしも必要になる。
だが、なんだか今年、暇庭は畑のことが綿密に決めきれなくて、作付け予定を記したノートを見てはあれかこれかと思案し、思案した果てに一度白紙に戻したりしている。良くないな。多分躁鬱の波が悪い方に振れているサインである。
暇庭は元々鬱気質ではある。できるときはエネルギーを集中させて溜まっていた仕事のひと月分をバーっとこなしてしまうし、できないときはその日やる事も半端で終わったり。困ったものだが自分でコントロールがしきれない。
今のところ完全に確定しているところは全体の半分くらい。ほかの人に貸す圃場からイチジクの苗を引き上げてきたので、それを植えなおしたのと、前年計画し晩秋に種まきの終わった茎立菜と絹さや、スナップえんどうは移さず今の場所に鉄骨を組む。タマネギとニンニクは今年は何年かぶりに絶好調でこれも動かさない。里芋とジャガイモの区画も決めたし唐辛子とヒマワリの場所も決まっている。
問題はトマトとナス、ピーマン、かぼちゃ、オクラなどの夏野菜だ。これがどうするか決まらない。
去年作った場所は避けたい。言わずもがな連作障害を避けるためだ。だが流石にだましだまし間に合わせてきた鉄骨の在庫が乏しくなってきた。それもそうか。もう10年くらい新しいのを買っていないのだもの。夏野菜のゾーンをカバーしきれなくなっているのは、私と父が一番よくわかっている。
あーーっ、でもなあ。資材は高騰し続けている。追加で買うのは避けたい。なら多少無理をしても今あるものでどうにか……どうにか?なるのか暇庭?本当に今あるオンボロ鉄骨で何とかなるのか?
そこが踏ん切りがつかなくて、でも、という言葉を境にして心が反復横跳びをしている。今年の絹さやと梅の売り上げが確定しているなら、思い切れる。けれどそうでないなら、農業機械を買ってしまったローンのことを絶対に無視すべきではないし……。ぐあーっ、どうすればいい。
いっそタケノコ採りのついでに竹を資材として刈り取ってきてもいい。あの元気いっぱいの竹林は我が家の土地からあふれそうなのは確かなのだから。あれならナタで割って使っても雨ざらしでまる一年くらいは耐えてくれるはずなのだ。
……やるか。竹取り。かぐや姫がいるなどとロマンチックなことはもはや考える余裕もないが、よろずのことにつかいけり。と、古の物語のようにやってやろうじゃねえの。
鉄骨の間隔を去年の倍にする。スカスカになった鉄骨の、ちょうど半分のところに竹で支柱を作るのだ。余裕があればジョイントパーツで強引に鉄骨に組み込んでやれ。そうすると、鉄骨が経年劣化劣化で使えなくなった分も竹の支柱でギリギリ補えないことはない。……補えるよな。補えると信じろ。竹はあるのだ。有り余る程にある。失敗したってリカバリは効く。あっそうだ、忘れてたが今年はモロヘイヤとオクラを植えねば……去年ナスは結果的に多すぎたのでそこを削ってモロヘイヤ1本とオクラが2本……あああ。書いてても頭がぐちゃぐちゃになってくる。落ち着けまだ焦るような時間じゃあない。
なんで俺はこんなに焦っているのか。えーとそれは。こないだ買ってきたジャガイモの種イモが、思いのほか暖かくて発芽してきてしまったから……ああっやっぱり時間ねぇじゃねえか。
考えがまとまらないのを、せめて頭の中だけでもスッキリさせようと書き出したらにっちもさっちもいかない現実だけがぼやーっと浮かび上がってくる。クソっ、頑張れ暇庭、これはきっと上半期の正念場だぞ。最悪無様でも構わないし村の人の笑い話になっても構わない。春野菜と夏野菜のスペースだけ、どうにか確保しろ。あとはどうにでもなるのだ。
夏野菜の場所決めがなかなか踏ん切りつかないのは百姓あるあるである。暇庭も例によって(?)今それにブチ当たっている。鉄骨がないのがなおさら精神の安定を奪ってくる。後で野菜の場所決めに悩んだ証しとして読み返せるように、ほとんど書き殴りのかたちで書いたもの。




