欲しがりな妹は、存在ごと消えました
目を開けると、見慣れた天蓋が視界に入った。
白いレースで縁取られた、淡い桃色の天蓋。幼い頃から私を見守ってきた、この部屋の象徴。
また、この朝だ。
体を起こすと、窓から差し込む朝日が眩しかった。小鳥たちのさえずりが聞こえる。穏やかで、美しい朝。何も知らなければ、幸せな一日の始まりに見えるだろう。
私は、セレスティア。ローゼンクランツ伯爵家の長女。今日は、私が死ぬ日だ。
何度目の朝だろう。もう数えることをやめてしまった。十回、二十回、いや、もっとかもしれない。何度死んでも、私はこの朝に戻ってくる。
最初は混乱した。次に恐怖した。やがて、真相を探るようになった。そして今、私はすべてを知っている。
なぜ私が死に戻りを繰り返すのか。なぜ妹が私を殺すのか。すべて。
「お姉様、おはようございます」
扉を開けて入ってきたのは、私の妹ミレーヌだった。亜麻色の髪に、すみれ色の瞳。誰もが振り返る愛らしい容姿。私より二つ年下の、可愛い妹。
かつては、そう思っていた。
「おはよう、ミレーヌ」
私は、微笑んでみせた。何度も繰り返したこの朝を、何事もないかのように演じる。
ミレーヌも微笑んでいる。その笑顔の裏に何があるか、今の私は知っている。
「今日は特別な日ですね、お姉様」
「ええ、そうね」
今日、私はクラウス様との婚約を解消する。そして、その婚約者を妹に譲る。ミレーヌがずっと欲しがっていたものを、ようやく手に入れる日。
その夜、私は死ぬ。妹の手によって。
◇◇◇◇
最初の人生で、私は何も知らなかった。
ミレーヌとは仲の良い姉妹だった。少なくとも、私はそう信じていた。
幼い頃、私たちはよく一緒に遊んだ。庭で花を摘み、人形で遊び、同じ本を読んだ。ミレーヌは私の後をついて回る甘えん坊の妹だった。
「お姉様のドレス、素敵。ミレーヌもほしい」
「お姉様の髪飾り、きれい。ミレーヌもほしい」
「お姉様のお菓子、おいしそう。ミレーヌもほしい」
ミレーヌは、いつも私のものを欲しがった。私は、それを可愛らしいと思っていた。妹が欲しがるものは何でも分けてあげた。ドレスも、髪飾りも、お菓子も。
けれど、ミレーヌの「ほしい」は止まらなかった。
成長するにつれ、それは加速していった。
私が褒められれば、ミレーヌも褒められたがった。私が招待されれば、ミレーヌも招待されたがった。私に友人ができれば、ミレーヌはその友人を欲しがった。
そして、私に婚約者ができた。
クラウス・フォン・シュタインベルク侯爵令息。
私たちの婚約は両家の利益のためだったが、私は彼を愛するようになった。彼も私を愛していると、そう思っていた。
「お姉様の婚約者様、素敵ですね」
ミレーヌの瞳が、あの光を帯びていた。幼い頃から見てきた何かを欲しがるときの光。
「ミレーヌもほしい」
妹は、私の婚約者を欲しがった。
私は、笑って受け流した。さすがに婚約者は分けてあげられないと。でも、ミレーヌは本気だった。
彼女は、クラウス様に近づいた。偶然を装った出会い、無邪気な笑顔、計算された仕草。私の知らないところで、二人の距離は縮まっていった。
ある日、クラウス様は私に言った。
「セレスティア、君の妹は素晴らしい人だ。純粋で、可愛らしくて、君とは違う魅力がある」
その言葉の意味を、私は理解できなかった。いや、理解したくなかった。
やがて、周囲の視線が変わった。私を見る目に、同情と軽蔑が混じるようになった。ミレーヌが何を言いふらしたのか知らないが、私は「妹から婚約者を奪った冷酷な姉」になっていた。
事実は逆だった。でも、誰も信じてくれなかった。
両家の話し合いの結果、私はクラウス様との婚約を解消することになった。表向きは私から申し出た形になっている。家の名誉のため、そうするしかなかった。
婚約解消の手続きが終わった日の夜、ミレーヌが私の部屋を訪れた。
「お姉様、ありがとうございます」
その声は甘く、瞳は冷たかった。
「これでクラウス様は私のもの。お姉様のものは、全部私のものになるの」
私が異変に気づいたときには遅かった。体が動かない。紅茶に何か入れられていたのだと、朦朧とする意識の中で悟った。
「お姉様、ごめんなさい。でも、私、幸せになりたいの」
ミレーヌの手が、私の首に伸びた。
「お姉様の命も、私にちょうだい」
それが、最初の死だった。
◇◇◇◇
目を開けると、見慣れた天蓋が視界に入った。最初は夢だと思った。悪夢から覚めたのだと。
けれど、すべてが同じだった。日付も、天気も、使用人たちの動きも。そして、ミレーヌの笑顔も。
「お姉様、おはようございます」
私は、震えた。恐怖で声が出なかった。
その日も私は死んだ。逃げようとしたが、ミレーヌは私の行動を読んでいた。まるで何度も繰り返したかのように。
また目を開けた。同じ朝。同じ天蓋。
何度も死に、何度も戻った。逃げても、隠れても、人を頼っても、結果は変わらなかった。私は必ず殺される。
どうして私だけが死に戻りを繰り返すのか。
答えを求めて、私は調べ始めた。死に戻りのたびに、少しずつ情報を集めた。
そして、私は王宮の古い文献にたどり着いた。神殿に保管された禁断の神託の記録。
そこに、すべてが書かれていた。
『姉が幸せを諦めれば、妹は幸せになれる。しかし、姉が幸せを諦めない限り、姉は蘇る』
神託。ミレーヌは幼い頃、神殿でこの神託を授かっていた。
私が幸せを諦めれば、妹は幸せになれる。そのために、妹は私から幸せを奪い続けた。ドレスも、髪飾りも、友人も、婚約者も。そして最後に、命も。
私が死に戻りを繰り返す理由も分かった。私が幸せを諦めていないから。どれだけ殺されても、私の心のどこかが幸せを求めているから、私は蘇る。
私が諦めれば、死に戻りは終わる。ミレーヌは幸せになり、私は死ぬ。それで終わり。
妹が欲しかったのは、私の命ではない。幸せだ。ただ幸せになりたかっただけ。でも、その方法が間違っていた。
神託など関係なく、私たちは幸せになれたはずだ。分け合えば良かった。姉妹で、一緒に。
でも、ミレーヌは分け合うことを選ばなかった。私のすべてを欲しがった。
◇◇◇◇
また同じ朝が来た。今日、私は終わりにする。
「お姉様、おはようございます」
「おはよう、ミレーヌ。少し話があるの」
私の言葉に、ミレーヌは一瞬だけ表情を変えた。すぐに笑顔に戻ったが、私は見逃さなかった。
「何でしょう、お姉様」
「二人きりで話せる場所に行きましょう」
私はミレーヌを屋敷の離れに連れて行った。誰にも聞かれない、静かな場所。かつて私たちが一緒に遊んだ、思い出の場所でもあった。
「お姉様、改まってどうしたんですか」
ミレーヌは首を傾げてみせた。無邪気を装った、完璧な演技。
「神託のことを知っているわ」
ミレーヌの動きが止まった。
「……何のことでしょう」
「『姉が幸せを諦めれば、妹は幸せになれる。しかし、姉が幸せを諦めない限り、姉は蘇る』。これがあなたに与えられた神託でしょう」
沈黙が流れた。
やがて、ミレーヌの表情から笑顔が消えた。代わりに浮かんだのは、見たことのない冷たい目だった。
「いつから知っていたの、お姉様」
「何度も死んで、何度も戻って、ようやく辿り着いたわ」
「そう。じゃあ、何度も殺したのに、お姉様は諦めてくれなかったのね」
ミレーヌは、笑った。どこか疲れたような笑い。
「羨ましいわ、お姉様。何度殺しても蘇れるなんて」
「羨ましい? 私を殺し続けたあなたが、それを言うの?」
「だって、そうしないと私は幸せになれないもの」
ミレーヌの声が震えた。
「神託を聞いたとき、私は絶望したの。お姉様が幸せを諦めなければ、私は永遠に幸せになれない。お姉様は何でも持っている。美しさも、才能も、お父様やお母様の愛も、素敵な婚約者も。私には何もない。お姉様の妹という立場だけ」
「ミレーヌ……」
「お姉様のものを奪えば、私も幸せになれると思った。お姉様が持っているものを全部私のものにすれば、お姉様は幸せを諦めてくれると思った。でも違った。どれだけ奪っても、お姉様は諦めてくれない」
ミレーヌは、私を睨んだ。その瞳には涙が浮かんでいた。
「最後に残ったのは、お姉様の命だけ。それさえ奪えば、お姉様は幸せを諦めざるを得ない。そう思った。でも、何度殺しても、お姉様は戻ってくる」
「私は諦めないわ」
私は、静かに言った。
「あなたがどれだけ殺しても、私は幸せを諦めない。だから私は何度でも蘇る」
「そんなの、不公平よ」
「不公平なのはあなたよ、ミレーヌ」
私は一歩、妹に近づいた。
「私たちは分け合えたはずでしょう。神託なんか関係なく、姉妹で一緒に幸せになれたはずでしょう。なのにあなたは、私のすべてを奪うことを選んだ」
「分け合う?」
ミレーヌは、嘲笑った。
「お姉様はいつもそう。余裕があるから分けてあげるって顔をする。でもそれは、お姉様が持っているから言えることよ。最初から何も持っていない私に、分け合うものなんてない」
「それは違う。私があなたに分けたものを、あなたは受け取らなかったのよ。いつも私から奪うことばかり考えていた」
私たちは、見つめ合った。
長い沈黙の後、ミレーヌは力なく笑った。
「もういいわ」
その声には、諦めが滲んでいた。
「お姉様は諦めない。何度殺しても蘇る。私は永遠にお姉様を殺し続けなければならない。そんなの、疲れたわ」
「ミレーヌ」
「もう終わりにするわ。こんな終わりのない戦い、続けられない」
ミレーヌは、懐から短剣を取り出した。銀色の刃が、窓から差し込む光を受けて冷たく輝いた。
「最後に一度だけ、お姉様を殺させて」
「何を……」
「お姉様は蘇る。でも私は、もう続けられない」
ミレーヌの瞳から涙がこぼれた。
「私は幸せを諦めるわ。だから、これで終わりにしましょう」
私が言葉を発する前に、ミレーヌは私に飛びかかった。鋭い痛みが胸を貫く。視界が歪み、床に崩れ落ちた。
薄れゆく意識の中で、ミレーヌの顔が見えた。泣いていた。
「ごめんなさい、お姉様。私、お姉様のこと、本当は……」
最後まで聞こえなかった。妹も床に倒れたような気がするが、私は意識を失った。
◇◇◇◇
目を開けると、見慣れた天蓋が視界に入った。
白いレースで縁取られた、淡い桃色の天蓋。何度も見た、この部屋の象徴。
また、この朝……いや、違う。何かが違う。
私は、体を起こした。いつもと同じ朝日、同じ小鳥のさえずり。でも、何かが決定的に違った。
扉が開いた。入ってきたのはメイドだった。
「お嬢様、おはようございます。今日は婚約者様がいらっしゃる日ですよ」
婚約者。クラウス様。
「ミレーヌは?」
私は、尋ねた。メイドは、首を傾げた。
「ミレーヌ様? どなたのことでございましょう」
心臓が跳ねた。
「私の妹よ。ミレーヌ・ローゼンクランツ」
「お嬢様は一人っ子でいらっしゃいますが……。どこかでそのようなお名前の方とお知り合いに?」
一人っ子。私は、一人っ子。
「お嬢様、顔色が悪いですよ。お加減が悪いのでしたら、婚約者様には日を改めていただきましょうか」
「いいえ、大丈夫」
私は、首を振った。メイドが去った後、私は部屋の中を見回した。
ミレーヌの痕跡を探した。妹が使っていた部屋、妹の肖像画、妹との思い出の品。何も見つからなかった。
屋敷の中を歩いた。使用人たちに尋ねた。誰もミレーヌを知らなかった。両親に尋ねた。二人は困惑した顔で、私たちに娘は一人しかいないと答えた。
ミレーヌは、最初からいなかったことになっていた。
離れに行った。
かつて私とミレーヌが遊んだ場所。最後にミレーヌと話した場所。
そこには何もなかった。ミレーヌがいた痕跡は、どこにも残っていなかった。
私だけが覚えている。欲しがりな妹がいたことを。
私のドレスを欲しがり、私の髪飾りを欲しがり、私の友人を欲しがり、私の婚約者を欲しがり、私の命を欲しがった妹。
最後には、幸せを諦めて、自ら消えた妹。ミレーヌ。
あなたは、幸せを諦めると言った。だから、あなたは消えたのね。
神託の言葉が頭をよぎる。
『姉が幸せを諦めれば、妹は幸せになれる。しかし、姉が幸せを諦めない限り、姉は蘇る』
私は、諦めなかった。だから蘇った。ミレーヌは、諦めた。だから、消えた。
涙が頬を伝った。なぜ泣いているのか、自分でも分からなかった。
何度も殺された相手だ。私のすべてを奪おうとした相手だ。憎んでいたはずだ。
でも、ミレーヌは私の妹だった。
分け合えば良かった。最初から、二人で幸せを分け合えば良かった。神託なんか無視して、姉妹で一緒に笑い合えば良かった。
ミレーヌが欲しがったものは、結局、幸せだけだったのだ。私の命が欲しかったわけじゃない。
ただ、幸せになりたかっただけ。その方法が、間違っていただけで。
「馬鹿な妹」
私は、呟いた。
誰もいない離れに、私の声だけが響いた。
その日の午後、クラウス様が屋敷を訪れた。
金色の髪に青い瞳。相変わらず端整な顔立ち。かつて私が愛した人。
「セレスティア、久しぶりだね。元気にしていたかい」
その笑顔を見て、私は気づいた。
この世界のクラウス様は、ミレーヌを知らない。ミレーヌに心を奪われていない。私だけを見ている。
私が望んでいた状況のはずだった。でも、私の心は動かなかった。
「クラウス様、お話があります」
「何だい、改まって」
「婚約を解消させてください」
クラウス様の顔から笑顔が消えた。
「どういうことだい、セレスティア。何か不満があるなら——」
「不満ではありません。ただ、私にはもう、あなたと結婚する気持ちがないのです」
長い沈黙の後、クラウス様は深くため息をついた。
「理由を聞いても?」
「申し訳ありません。お話しすることはできません」
クラウス様は、何か言いたそうだったが、最後には頷いた。
「分かった。君がそう決めたのなら、僕は受け入れるよ」
婚約解消は、あっけなく決まった。
夜、私は一人で庭に出た。
月が明るく照っていた。ミレーヌと一緒に見た月と、同じ月。でも、もう隣に妹はいない。
私は、幸せを諦めなかった。だから、私は生きている。
ミレーヌは、幸せを諦めた。だから、ミレーヌは消えた。
これが因果応報というものなのだろうか。
ミレーヌは、私のすべてを欲しがった。分け合うことを知らず、奪うことしか考えなかった。その結果、妹は存在ごと失った。
妹が欲しがるものは何でも分けてあげた。それで良かったはずなのに。
ミレーヌは、分けてもらうことでは満足できなかった。自分で奪い取ることでしか、幸せを感じられなかった。
だから、こうなった。
「ミレーヌ」
私は、月に向かって呟いた。
「あなたが最後に言おうとしたこと、聞きたかったわ」
答えはない。
この世界に、ミレーヌは存在しない。私以外の誰も、ミレーヌを覚えていない。
私だけが、欲しがりな妹を覚えている。私だけが、妹を失った悲しみを知っている。
これからは、一人で生きていく。幸せを諦めずに。
たとえ妹がいなくても、誰も妹を覚えていなくても、私は、私の幸せを生きる。それが、ミレーヌが教えてくれたことだから。
分け合える人がいるなら、分け合うべきだ。奪い合えば、すべてを失う。
ミレーヌ。あなたが、もう少し早く気づいていたら、私たちは、一緒に幸せになれたのに。




